ACほむ提督の航海日誌2.9

アダルトチルドレンのほむ提督が、生きづらさを抱えつつもそれを克服し、生きていこうと孤軍奮闘する日々をまとめたブログ。 生きづらさからの脱却、毒親の典型的特徴を備えた親への対処法、内向的な人間の生き方などを模索しています。

明けましておめでとうございます~社会不適合者の新年~

明けましておめでとうございます~社会不適合者の新年~

 


1か月遅れですが、あけましておめでとうございます。

皆さん、新年如何お過ごしでしょうか。

私は初詣や遠出も何とかこなせ、復調の兆しを感じています。

かと思えば、予想より多かった食事を残しもできず、食べ過ぎで苦しんだりもしました。
はっきり言って自業自得です。
せっかくよくなりつつあったのに、自分の馬鹿さ加減に腹が立ちます。


そんなこんなで一月経ってしまいました。

当初はもっと早くに更新する予定だったのですが……。


私は一度何か大きな出来事があると、なかなか平常に戻れない人間です。
内向性型の人間は、外出などイベントごとに外向性の人よりも多くエネルギーを費やすと言われています。

私はまさにそれでしょう。

何かイベントごとがあると通常の日常ルーチンに戻るのに、時間がかかるのです。
エネルギーの消費が激しく、しかも消費した分が埋まらないと普段の活動で手いっぱいなのです。

初詣に行き、親戚の集まりに顔を出し、家の掃除というかワックスがけを行い。
溜め込んでいた本や雑誌を消費し、病院にも行って。

その度に回復を待っていると、もう一月が終わっていました。

時間が経つのは早いですね。


しかもいい加減人に返さないといけない本やゲームを消費していたからなおさらです。

私は一つのことしかできないタイプで、やりはじめると朝から晩までそのことばかり考えています。
ゲームならずっとやっていて、食事やトイレでできないときも、次はどうしよう、こうしようと段取りを立てています。
本なら一日中読んでいられますし、読んでいない時もここまでの話を思い返したり、次はどうなるのかで頭がいっぱいです。

ブログの更新とか、そういう他のことはほとんど思いだしもしません。

なので本来私はブログとか、頻繁に更新するものって苦手なんですよね。
時間を作るというのは、何かの最中に中断することです。
これがなかなか難しいのです。

日常ルーチンにしてしまえばいいのですが、私は日常のルーチンはそんなに作れないのです。
朝や寝る直前みたいな他に何もできないときや、しない時くらいです。
こうしてブログ記事を書けるのは、書こうと決めていた時や他に何か熱中していることがない時くらいでしょうか。


ブログを書くことを軽んじているわけではないのですが、そこまで重いものにもしたくありませんし。


そのためこうして時間が空いてしまうわけです。
しかしこうして改めて自分を見直すと、やはり社会不適合者だなあという感想が浮かびます。

一回外出しただけで一週間ほど休みたくなるとか、現代社会にはどう考えても不適格でしょう。
一つのことしかできない、というのもよくないもので、学校行っているときは他に何もできませんでした。
毎日学校に行って帰ってくる、何とかその日々を終わらせるくらいしかできなかったわけです。
働きながら資格の勉強、とか休日には何らかのイベントや遊び、なんて到底できません。

それがわかっているから、現状無職なわけです。
働き出したら自分の人生なんて、何一つ確保できないでしょう。
週五日、何とか何事もなく行って帰ることで精一杯で、休日は回復に努める。
そんな日々を後は死ぬまで営々と繰り返すだけになります。
しかも学業よりもつらいものを、長期休暇もなしにです。

どう考えても自分にはそれはできません。



つくづく社会というものは、外れ者には厳しいものですね。
個性を大事に、皆違って皆いい等々……聞こえのいいことをCMやらドラマやら小説やら教育方針やらで言います。


しかし実際はどうです?

皆同じような服を着て、同じ時間に動き、同じようなことを言う。
そうでない人間はまともじゃない、浮いてるなどと言われ距離を取られる。
それだけならまだしも、大概の場合は人と違うというそれだけで攻撃の対象となります。

軽んじられ、詰られ、疎まれ、蔑視され……。
周りに合わせない、世間でいう一般ではない、普通ではないというだけで、社会はその存在をつるし上げます。

皆違っていいというわりに、何故違うことをすると責められるのか。
就職などで求められている人材も、個性がどうのと謳う割に必要なのは従順さですからね。
まず高校に行って、大学を出て、スーツ着て就職してサラリーマンに……この流れから外れた時点でろくでなし扱いされるのが日本です。

こんなもの、商品の大量生産と同じですよ。
安く手ごろな量産品を作る社会というコンベアに乗せられ、規格が違ったり型が合わなくなったものは廃棄品です。

そんな真似をしておいて、よく個性を尊重とか言えるものです。

皆と同じように、皆一緒に。

この言葉が蔓延り続ける限り、日本は衰退の一途をたどることでしょう。
建前、上っ面だけ、綺麗ごととしての「個性の尊重」……いつになったら日本は中身のある言葉を使えるようになるのか。

 


新年初っ端から辛気臭い話になりましたが、社会不適合者は不適合なりに、何とかまだ生きています。

今年もよろしくお願いします。


ほむ提督でした。