ACほむ提督の航海日誌2.9

アダルトチルドレンのほむ提督が、生きづらさを抱えつつもそれを克服し、生きていこうと孤軍奮闘する日々をまとめたブログ。 生きづらさからの脱却、毒親の典型的特徴を備えた親への対処法、内向的な人間の生き方などを模索しています。

アハ体験と悟り~フォースの暗黒面・ダークサイドの帳~

アハ体験と悟り~フォースの暗黒面・ダークサイドの帳~


お久しぶりです、ほむ提督です。

ちょこちょこ更新していこう、と思ったのもつかの間。
あれをしよう、これをしようと日々を過ごすうち、記事を書くことなど忘れ去ってました。


ですがふと気がついたことがあります。

私は記事を書くとき、何か記事として書けそうな題材を探します。
季節のこと、身の回りのこと、何でもいいので一つ話題になることをです。
それで何も面白い、書きたい材料がない時は書いていませんでした。

そもそも題材探しすらしないこともしょっちゅうですが。


しかし、これっておかしくないかと思ったわけです。

私は元々備忘録的に、当時の自分が何を考えていたのか。
どう考え、どう過ごしていたのかという自らの足跡を残そうと思い、ブログを始めました。
ブログという形態にしたのは、単なる日記では続けられないだろうとわかっていたからです。

また、同じように苦しんでいる誰かの助けになればと思ってのこともあります。
苦しんでいる最中、同じ苦しみを抱えた人のブログなどを見つけると嬉しいものです。

自分が異常なのではない、同じように悩み苦しむ人がいる。
それは自分を否定し、他者をも否定して迷う中、得難い肯定感であり、連帯感でもあります。
そんなささやかな助けとなれば、これはもうとても嬉しいことです。

そういうわけでブログを始めてみましたが、実際はこんな感じです。
しばらく間が空いたのは具合が悪かったため仕方がありません。
ブログところか、もう生きるの辞めたくなるほど病んでいたので。

 

しかし単純にさぼっている日も多いわけで。
毎日書かなければいけない、なんて決まっているわけではありません。
ですがそれにしても、もう少しねぇと思ったりもします。

そして書きたいこと、思うことはあるのになんでかな、と思ったわけです。
すると私のやろうとしたことと、やっていることがこれは少しずれていやしないかと気がついたのです。

備忘録とするなら、記事は何かの話題だけしっかりするよりむしろ、他愛もないことでいいのではと。
そして文量も一定程度必要だろうと思っていたのですが、こだわることもないかなと。


どうも自分で思い込みの枠を作り、そこに囚われていたようです。
暗黒面の帳ですね。暗黒面がフォースを曇らせ、真実を見抜けなくさせていたのです。

さて、この暗黒面とは、今最新作が上映されているスターウォーズに出てきます。ダークサイドいわば悪の勢力です。
その反対、正義に当たるのがジェダイなわけです。実際はそう単純に二分してはいけないのですが。
では暗黒面とは何かと一言でいえば、


執着


だと思っています。
ダークサイドについて、スターウォーズ内ではっきりと触れられてはいません。
というより、悪には「こうしなければならない」と決まりは必要ないと個人的には考えます。
なので明確に言及され得るものではないのでしょう。

一方正義とは、この場合ジェダイですが、それは悪に堕ちないように決まりを作ります。
この辺は法的正義や形式的正義がどうのと正義論になるので、ここでは割愛します。ジェダイは完全な正義でもありませんし。

とにかく正義、もしくは自らをそう信じている立場のジェダイは「ジェダイ・コード」という掟や、他にもいくつか掟や教義も持っています。
そこでジェダイは執着を持つことを禁じます。

ジェダイの教えは概ねが、ここに行きつくように思います。
他者に怒りを持つこと、個人に愛情を持つことなどを禁止するのも、それに執着することを戒めているといえます。

ですが愛情を持つことを禁じているからといって、非情になれと言っているのではありません。
むしろあらゆる存在を愛し、愛おしむようにせよと言っているわけです。
なのでその中の一つだけを特別視してはならない、と教えるのですね。
これはキリスト教でいうアガペー、無条件の愛、無償の愛の教えです。

所有を禁じる教えもありますが、これも根本的には同じことです。
全てに分け隔てなく、ということは何かを特別にしてはならない。
ひいてはその物や人、出来事や感情にも囚われてはならないということです。


もちろん思い込みや偏見にもです。
私が陥った視野狭窄の原因は、勝手に作り上げた「こうあらねば」という思い込みによるものです。
こういった思い込みや偏見はどこにでも転がっていて、気がつくと道を誤っているのです。


こういった暗黒面に囚われず、いかに自由な精神と綺麗な目でものを見るか。
これが大事で重要なことなのでしょうが、それだけに難しい。
仏教でいう八正道の考え方にあたるでしょうか。

これは涅槃、つまり悟りを開くための8つの項目である正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定のことです。
正しく見たり、考えたり、話したり聞いたり……といった教えです。

実は仏教と言うのは、本来宗教と言うよりも哲学の方が近いのではと常々思っています。
現在の仏教は神様(厳密には仏様)を敬い、祈っていればいいとか言っているのもいますが、こんなことブッダは言っていないのです。
そもそも仏陀の教えの中にはいなかった神様や仏様を後付けし、宗派争いなどをしている時点で仏教を名乗っていいのかとすら思います。

まあ今回は仏教の話は置いておきますが。


どうするのが良いことかわかったところで、暗黒面に対抗するにはもう一つ前段階があります。

それは、己が暗黒面に囚われていると知ることです。
思い込みや偏見はいけないという道理はわかってはいます。
しかし自分の価値感が凝り固まっていること、それ自体に気がつく必要があり、これがとても難しいのです。

こういったものは知らずして体に纏わりつき、いつの時代も人々を惑わせてきました。
常識、空気、普通……色々な言い方がありますが、その手のものがいつも人を、その思考を縛るのです。
これがなかなか曲者で、それを通常としていると意識すらできません。
なのでよく言われるのが、旅に出るということです。

旅と言っても様々ですが、よくインドに行くといい、人生観が変わるなんて言います。
それは価値観が国レベルで違うからです。ようは国外ということですので、厳密にはインドでなくてもいいでしょう。

しかし欧米、と言うか先進諸国は文化レベルや土台が同じため、海外でも一定程度基礎を同じくする面があります。
そこであえてそれらから離れた土地、その中でもインドは日本と大きく異なる社会や感覚を持つため、名が上がるのでしょう。

そうしてまるで違う環境に身を置くことで、ようやく自分を取り巻くものの姿が見えてきます。
けれど旅に出なければ気がつけないというわけでもありません。
気付きに良い方法としては、ぼんやりする時間を作るのがいいかもしれません。

 

私が自分の思い込みに気がついた時、思わず「あっ」と声が出ました。
こうして何かにふと気がついた時、どこか爽やかなすっきりした気持ちよさがありますよね。
いわゆるアハ体験です。


こんな体験は、ある時突然来るものかもしれません。
理屈はわかっていても、実感で身に付く瞬間です。

私の場合は、なんでブログが続かないのかぼんやりと考えていた際に、あっとひらめきました。
仏陀は瞑想の末に悟りを開いたと言われていますし、気付きに何か特別な行動は必要ないのかもしれません。
強いて言うのなら、頭を空にしてできるだけ無垢な頭になることでしょうか。
いつも予定や悩み事でいっぱいの頭を空にして、考えに執着しすぎないで考えること。


仏教でいうところの悟りとは、世界の真理に気がつくことだそうです。
ブッダの名の意味も、「(真理に)目覚めた人」という意味だそうですし。
つまり悟りとは、究極のアハ体験なのかもしれませんね。



長くなりましたし、話が飛びまくりな気もしますが、備忘録とはこういうものでしょう。
そういうわけで、これからは初心に戻って記事を書いていこうと思います。
適当に、力を抜いて。


ほむ提督でした。