ACほむ提督の航海日誌2.9

アダルトチルドレンのほむ提督が、生きづらさを抱えつつもそれを克服し、生きていこうと孤軍奮闘する日々をまとめたブログ。 生きづらさからの脱却、毒親の典型的特徴を備えた親への対処法、内向的な人間の生き方などを模索しています。

親に「親」をやってほしかった

子供には子供の言い分だってあるんだ!


継続するのが相変らず難しいほむ提督です。
やらなければ、と思うことはもうその時点であまり継続しませんよね。
やりたいと思っているうちは続くのですが、いつの間にかやらなければになっているという不思議。
やりたくなくてもやらなければいけないことは、だからいつも辛くて面倒なんですよね。やりたいわけではない、という感情がどこかにあるんですよ。
子供の頃毎日宿題やるとか、大人になっても仕事のため毎日英語の勉強するとか。健康のために毎日運動するとか、食事制限とか何でもです。

社会人になれば勉強をしなくていいと思う子供は多いかもしれません。
ですが大人になればなるほど時間は減るのに、学ばなくてはいけないことも何処からか湧いてきます。勉強しているだけで済むって言うことはありがたいことだったのだ、と今になり思い知らされています。
ただ子供の時より意味があるといえば語弊がありますが、どうして学ぶのか目的が明白であるといえます。

ただどちらにせよ、人は死ぬまで何かを学び続ける生き物なのだということでしょう。

生きているということは知ること


なんですね。


もっとも、子供は子供でその時特有の悩みや感じ方があるので、一概に子供の方が楽とは言えません。
アダルトチルドレンも何も関係なく、子供として親というか大人に言いたいことの一つです。

大人の立場と感覚で子供のことを考えるのは間違いです。


子供の時は自分達も大人に向かって腹を立てたり、理解してもらえず辛かったくせに、大人になるとみんな忘れてしまうんですよね。
色々なことを悩み、考えて大きくなってきたはずなのに、大人になると子供は楽でいい、子供の考えなんかたかが知れていると言いだす。
子供はかつてあなたがそうだったように、拙くともあなたが思うよりもずっと色々なことを考えて生きています。


ここからは大人というより親にと言えることですが

子供は他人


であるということを忘れないでほしいです。
他人というのは関係のない人という意味ではなく、あなたではなくあなたの付属品でも所有物でもないということです。

子供には子供の考えや予定や気持ちが存在します。
子供の考えなんて浅はかだという人もいますが、浅はかであってもそれをないがしろにする言い訳にはなりません。
この方が良い、これが子供のためだと思っても頭から子供の意見を無視し、否定するべきではありません。

子供は一つの人格を持った存在であり、別個の人間です。
あなたがいきなり、一方的に物事を決められたらどう思うでしょう。自分の意見など一顧だにせず、そもそも聞かれもせずに自分に関係することが決められていく。
不快感を覚えるのではないでしょうか。私にだって考えがある、私にも予定が、私はこうしたいのに。
そんな風に不満に思うのではないですか。

子供も同じですよ。


子供の言い分だってあるんだ!


私はガンダム宇宙世紀派なんですが、それでもガンダムXはすごく好きです。
地味だの不人気だの打ち切りだの言われますが、好きなものは好きなんです。
本来毎回使ったりして話を盛り上げる必殺技を、あえて「使わない」ことに重きを置くというのはなかなかできないと思います。
あと序盤でさらりと言われてますが、戦争前の100分の1まで人口が下がっているという重い世界観も好きです。
そんな中で生きてきたから、好青年に見える主人公も銃を向けられたら反射的に撃ってしまうとか。それだけ荒れた世界なのだと示していますよね。
こういった登場人物に血が通ったというか、細かい設定や動きが地に足がついた感じでいいのです。


それはともかく、その作品の中で好きな言葉があります。
主人公の仲間の中でも一番年長の医者の台詞です。


大切に思うのと、大切にするというのは似ているようで違う


というセリフです。一言一句合っているかはわかりませんが。

これはとても大事なことだと思います。
親と子供に限定することなく、全ての人間関係にも言えることですね。
大切に思い、そのために何かをする。それ自体はいいことです。
しかしそれで相手を大切にできているでしょうか。

あなたが大切に思っていても、伝わらないものは意味がないのです。
独りよがりの善意は時に悪意よりもたちが悪いものです。
自分は正しい、あなたのためにという思いがあるので、相手が嫌がっても気にしません。むしろどうしてわかってくれないの、と相手を非難するに至ることもあります。

相手のことなのに、何故自分の考えだけが正しいと思えるのか、コレガワカラナイ


感情にせよ考えにせよ、相手がいることは何でも相手に伝わらないと意味がないのです。大切に思っていようと、相手が大切にされていると思えなくては相手はそう感じません。
心を傷つけられて育ってきたアダルトチルドレンや引きこもり、ニートの人の親はこの辺が大概理解できていません。
子供はひどく傷つき、苦しみながら育ってきたのに、「あんなに大切に育ててきたのに」と本気で思っています。

今になってようやくわかった。なんでお母さんが私にああしてくれたか……。
そんなドラマみたいな話を期待しているのならやめてください。迷惑です。
わかってもらえるのなら、後と言わずその時わかってもらうのが一番です。
わかってもらえずとも、わかってもらいたい。何故ならこの方があなたのためだと思うから、つまり「あなたが大切だから」。
そんな気持ちが伝わればそれだけでも十分意味はあるのではないでしょうか。

考えまでもは理解されなくても、ともかく相手を大事に思っている、そのことだけでも伝われば意味はあるはずです。
完全に理解は得られなくても、そう思う気持ちがあなたにあることが相手に伝わる努力をするべきでしょう。


だからといって相手の意思を無視してはいけませんが。
あなたのためだからと一方的に押し付けることが、本当に相手を大切に、尊重しているといえますか。

相手は人格を持つれっきとした個人なのです。たとえ自分の子供でもです。

大切に思うからこうしなさいと言っているの、ではなく大切にするためにどうするかを考えてみるべきではないでしょうか。
難しいことかもしれませんが、もとより親になり人ひとりを立派に育て上げるとは簡単なはずがないのです。
本来仕事と一緒にすることではないと思います。


かつての子供は天からの授かりもの、という考えはいい考えだと思います。
今は産み分けやら妊娠日の調整やらで自分の好きなタイミングとか考えて産めてしまいます。だから子供は自分のもの、みたいな意識になってしまっている節があるのではないでしょうか。
子供は理想の家族生活、理想の奥さんお嫁さん像を叶えるための付属品ではありません。人格を持つ親の理想通りにはならない個人なのです。

親の方々には、いつでもそのことを忘れないように心がけていただきたいものです。

当日になっていきなり、「今日は出掛けるぞ」なんて言ってませんか。
些細な所からほころびが出てくるものですよ。子供に予定はない、子供は親が出掛けるといえばついてくるもの。そういう意識がどこかにあったりしませんか。

 

 

 

 

久しぶりに更新したと思ったら、また重い話になりました。
おかしい、こんなはずでは……。
本当はもっと軽めの話を書こうと思っていたのですが、変ですね。
題名も途中で書き替えましたよ。書いている最中に、これは違う方向に行くなとわかってしまったので。


まあ更新したのでとにかくよし!ということにしておきましょう。
ほむ提督でした。