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ACほむ提督の航海日誌2.9

アダルトチルドレンのほむ提督が、生きづらさを抱えつつもそれを克服し、生きていこうと孤軍奮闘する日々をまとめたブログ。 生きづらさからの脱却、毒親の典型的特徴を備えた親への対処法、内向的な人間の生き方などを模索しています。

護衛艦出港~俺の戦争じゃなかった~ジパングとランボー

護衛艦出港~俺の戦争じゃなかった~ジパングランボー

 

記事名の話題に入る前に、ちょっと前回からの続きです。
今回出港した「あしがら」と「さみだれ」についてです。

 

今回出港した「あしがら」はあたご型護衛艦です。
かつての高雄型重巡洋艦愛宕」の名を関した護衛艦型ですね。
同じくかつての重巡洋艦には妙高型という艦もありました。その3番艦に「足柄」という艦があったのです。
ですが護衛艦として生まれ変わると、何故かあたご型になりました。

さみだれ」はむらさめ型護衛艦の6番艦です。
旧海軍の白露型駆逐艦の6番艦「五月雨」の名を受け継いでいます。
「むらさめ」という名も2代目で、以前には同じく白露型駆逐艦の3番艦に「村雨」という艦がいました。
白露型の3番艦の6番艦という、よくわからない感じになってますね。


このように旧日本海軍など、大日本帝国時代の軍の話などすると、危ない人扱いされることもあります。兵器とか人殺しの道具が好きな危ない奴、みたいな。


ですが私は、この護衛艦が二次大戦時の軍艦から名を受け継いでいるのが好きです。
かつてこの国のために戦い、沈んでいった船たちが、再び日本を守ってくれる。
そう思うと胸が熱くなります。船の方はもうごめんだと思っているかもしれませんが。


軍艦とかを嫌う人がいますが、そういう人は大抵戦争の道具が、人殺しの道具がと言います。しかしその忌避感や嫌悪感をぶつける相手が違うと思うのです。

船は船です。

船が自ら戦争したわけではないのです。
船はただ望まれて生まれ、戦い、そして沈んでいきました。
船が戦争を望んだわけではないし、船に戦争の責任があるわけでもないのです。

もちろん戦争への忌避感から、その象徴とも言える兵器にも忌避感を抱くのもわかるのです。
しかしできればあまり嫌わないで挙げてほしいと思います。あくまで個人的にですが。

日本では物にも心が宿るという考えがあります。付喪神とかですね。
それによると、船のみならず飛行機や戦車、銃に至るまで、全てに心が宿っています。
それらは戦いの道具かもしれませんが、日本のために作られたものです。
日本のために生まれ、役目を全うして、その生を終えたのです。

その挙句が守った日本人に嫌われ、罵られるのではあんまりだと思うのです。

回天のように非人道的兵器は非難されるべきです。
それはそうですが、悪いのはそれを作ろうとしたり、使用した人の方です。
さらに言うなら、実際に使った現場よりもそれを使わせる立場の人間が悪いでしょう。


今回の件でもそうです。
PKO活動に参加し、つい先日帰国した自衛隊員や、本日出港した護衛艦に乗る自衛隊員の方々。

彼らを非難するのは間違っています。
そもそも作戦に参加したか否かを問わず、自衛隊の方々全般にいえることですが。


俺の戦争じゃなかった、あんたにやれって言われたんだ!


ランボーという有名な映画の台詞です。
ベトナム帰還兵ジョン・ランボーは、国としての戦争が終わった後もその傷に苦しみます。
するべきではなかったと言われるベトナム戦争。それに参加した兵隊を、国民は戦争への抗議として罵ります。

シャバに戻ってみると空港に蛆虫どもがぞろぞろいて、抗議しやがるんだ!
俺のこと赤ん坊殺しだとかなんとか言いたい放題だ。奴等に何が言えるんだ?
奴等はなんだ、俺と同じあっちにいてあの思いをして喚いてんのか!

そう言ってランボーは国民への怒りを叫びます。


実際に口にはしていませんが、このように思った自衛隊の方もいるのではないでしょうか。軍人と自衛隊という違いはあれど、突き詰めて言えば上記の台詞の通りです。

彼らの戦争ではないのです。

傭兵だとかのように「好き好んで金貰って、好き好んで戦争やって」るわけではないのです。傭兵がなんで傭兵しているかは各々事情があるでしょうが、例えです例え。
ようは自ら望んで戦争や軍事行動に出たわけではないのです。

国の兵、国を守る自衛隊として、命令に従っただけです。
自衛隊の派遣をするか否か、なんてことは彼らの意思によるものではない。
そこの所を間違えないでほしいですね。


ジパング』という漫画があります。かわぐちかいじ氏による作品です。
日米の新ガイドラインの下、エクアドルへ演習という名目の威嚇のため、海上自衛隊の艦隊が海外派遣されます。
その一隻であるイージス艦みらい」は、航行中に突如嵐に巻き込まれミッドウェー海戦直前の太平洋上にタイムスリップしてしまうという話です。

その「みらい」の出港の際、港には海外派遣に反対する人々が押し寄せていました。
船に乗り込み、最後になる可能性すらある日本を見る乗組員たち。
彼らの眼前には「派遣反対」「新ガイドライン違憲」など、海外派遣を批判するプラカードがいくつも掲げられていました。
さらに「それでも日本人か」「アメリカの犬め」などの罵り、叫びばかりが聞こえていました。

この時の彼らの心情は、軽々しく理解できるとは言えません。少なくとも、いい気分でないことだけははっきりしています。
昔よりはるかに安全とは言え、船に何かあったりすれば死ぬ危険もあります。
また共同演習という名目ですが、武器弾薬を配備した威嚇です。
そのまま本格的な戦争に巻き込まれる可能性も十分にありえます。

そこに国のため、国の政治の一環のため、死を覚悟して赴くのです。
ですがその出港は守るべき国民の罵声を浴びながらです。

辛いことです。

責める相手が間違っていますよね。
派遣を決めたのは政府であり、自衛官の方々よりもっと上の人達です。
決めた人たちは命を懸けず、罵倒されることもない。
命じられた方は命を懸け、罵声を浴びせられる。
こんなのは不公平です。


今回の護衛艦2隻の出港は、この『ジパング』の出港目的に似ています。
明確にそうだと言われていませんが、共同演習を名目として別の理由もあるでしょう。
そのため今朝のニュースで護衛艦の出港を知った時、この漫画のシーンが浮かびました。


戦争反対、軍国化反対、安倍政権の決定は違憲だ等々、主張は多々あるでしょうがその矛先を誤ってはいけません。
実際に命令を実行し、派遣などをされる人を責めても仕方がないのです。
自衛隊は特に、武力を持つため一番自分の意思だけで動くことが許されない存在です。
強力な武力が自らの考えだけで動く危険は、それこそ第二次大戦下の日本が物語っています。

自衛隊の存在が違憲だ、とかいう人もいますがそれも同じです。
自衛隊員は、違憲だと批判されて、じゃあ辞めますというわけにはいきません。

 

ここではあえて、自衛隊の存在や派遣や演習などについて、意見は述べません。
とにかく言いたいのは、相手を間違えるなということです。
批判する相手を誤って喜ぶのは、その批判したい事柄の黒幕ばかりです。
本当に国のため、自分のためを思うのなら、そのことはもっとよく考えてほしいものです。

 


ほむ提督でした。