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ACほむ提督の航海日誌2.9

アダルトチルドレンのほむ提督が、生きづらさを抱えつつもそれを克服し、生きていこうと孤軍奮闘する日々をまとめたブログ。 生きづらさからの脱却、毒親の典型的特徴を備えた親への対処法、内向的な人間の生き方などを模索しています。

男性カップルに養育里親認定 その2

男性カップルに養育里親認定


前回に続いて、男性カップルに里親認定が出た件についてです。
前回では、それが本当に子どものためになるのか。
それを考えてほしいという主張をしました。


何故なら、そのことが念頭にないような意見も、ネット上などでは見受けられるからです。何を中心にした意見かという問題です。

どうも同性カップルの側に立つ意見が多いようですが、今回のことは親の認定です。子供無くして親はありえないのです。

そもそも子供のために、児童養護施設などがあるのではないでしょうか。
そこから子供にとって施設より良いと思うから、里親に託すわけです。


親のためであっては、本来いけないはずです。
親のためという面もあることは否定しませんし、それが悪いとも言いません。
互いが互いを求め、癒す関係になりうるのですから悪いことではないです。
ですがやはり第一は子供のことを考えるべきではないでしょうか。


一見すると今回の件は時代の進歩、性的少数者への差別撤廃の一歩。そのように見えます。けれども本当に子供のことを考えているのでしょうか。
未だ同性愛者、同性カップル自体が認められていない世の中です。
偏見という問題ではなく、認められていないのが事実です。

そんな中、親が同性カップルであるという境遇は、いじめの対象になる確率はどうしても一般家庭の子より高まります。
片親というだけ、ひどいときは親が他の親よりやや歳をとっているということでもいじめになるのです。
社会的に認められていない同性カップルが親というのは、格好の餌食とされかねません。

そんな偏見を持つ方が悪い、というのは理想論もいいところです。
大人の社会でも偏見を持つ人は未だ多く、同性愛は認められているとは言い難いのです。まして偏見を持つのは悪いことだ、同性愛者でも互いが幸せなら、なんていうのは大人の意見です。

それを子供に理解しろ、というのは無理な話です。

良い親であれば子供が偏見を持ったら叱るかもしれませんが、それで受け入れられるわけでもないのです。
腫れ物に触るように遠巻きにされるか、いじめを受けるか。
そういう事態は容易に起こりうるのです。


また思春期などを迎えると、子供も性的なことに興味や関心を持ちます。
そのときに、自分の親が同性愛者だということで、ショックを受けることになる可能性は否定できません。
その結果親に対する嫌悪感を抱いてしまうことも、仕方がないでしょう。

大人の言う、同性愛者でも本人たちが幸せならとかいうのは理性の意見です。
大人になり、知識や経験を積んだうえでそういった意見が出てくるのです。
本能的に性に目覚めたばかりの子供にとって、親の同性愛がどう影響するのか、それは全く未知数です。

子供が同性愛者になる心配をしているわけではありません。


子供が同性愛者でなく、親が同性愛者であることに否定的な感情を抱くことはありえるという話です。その途端、その家庭は子供にとってひどく居心地の悪い場所となります。
同性愛に否定的な感情を持っても、それが自分の親で、そこが自分の家庭なのです。
親に対する愛情と、同性愛者に対する否定的な感情を持て余し、苦しむことになるでしょう。

家庭が安息の場でなくなるというのは、本当に恐ろしいことです。

そんなとき、その子には相談できる相手や場所がありますか。

その子に気持ち悪いなどと罵られても、それでも親をきちんとやれますか。


子供が同性愛を否定することは、私は悪いとは思いません。
生物的には当然異性が結ばれるのが自然なのです。
その理に反している以上、本能的な否定はあるのが当然です。

私は一応言っておきますが、同性愛は別にかまわない派です。

一方で同性愛に嫌悪感を持つ人を否定はしません。
本能的には当然なのですから、持っても仕方がないのです。
やがて大人になり、理性で判断することが増えると、徐々に抑えられていくかなと思います。
しかし大人でも気持ち悪いという方はいますが、それもまた仕方がないと思います。
本能に根差した感情的なものなので、持つこと自体は仕方ないのです。

それを表に出し、非難したりするのがいけないのです。

自分に関係ないのならあえて非難する理由も意味もないのだし、しまっておけば問題ないと思います。
ですが現状そうできない人が、大人にすら多くいるということです。
そういった人たちから攻撃されてしまうのは、悲しいながら事実なのです。

大人の同性カップルはまだ耐えられるでしょう。
ですが子供はどうなるのでしょうか。
親の愛があれば平気、なんて薄っぺらい話ではない現実の問題です。
また愛をもって接したところで、それが全て通じるわけでもないのです。
大事にするのと、大事に思うことの違いでもあります。


本当に子どものためになりますか?


またこのように今回の件で、子供の心配をすると、子供にかこつけて差別する偏見もちの悪人のように罵られます。

しかしそういう人たちに限って

幸せに育ててもらえば大丈夫
偏見を受けてきた人たちだから、優しい子に育つ
偏見を持つ方が悪い

そんな感じのことを主張します。
挙句に虐待したり、いがみ合うような男女の親に育てられるよりはいいなんて言い出します。男女の夫婦の悪い例を取り上げてそれよりいいと言っても、同性カップルが親になることとは別の話だと思いますが。
同性カップルが虐待したり、けんか別れしたりする可能性がないわけでもないのです。

またいくら愛情を注いで大事にしようが、世界は親と子で閉じているわけではないのです。世間から悪意を受けることは考慮しなければならないのです。
それを都合よく忘れて、同性愛を認める進歩に酔ってはいけません。

同性愛カップルのために、子供がいるわけでは断じてないのです。
子供がどうなるか、子供がどう思うか。
本当に子どものためになるのか。子供を幸せにできるのか。

同性だろうと異性だろうと、親になろうとするものに問われるのはこの一点です。

同性愛の人の苦労も、同性愛への偏見も子供には知ったことではありません。
ですが同性カップルに引き取られることで、嫌でもそのことと関わることになります。
そのことで不利益を受けるリスクがあります。
それを理解したうえで、不利益を与えるかもしれないが、それを上回るほど幸せにできる、幸せにしたい。そういう覚悟があり、準備があるのならまだいいのですが。

そこまできちんと考えていますか。
同性愛を認める、偏見のない自分に酔っていませんか。

もっとも賛成も反対も全て部外者にすぎません。
無責任なのはお互いさまであり、そこまで考える必要はないのかもしれません。
ですが、ただ賛成するばかりなのも危険だと思ってしまうのです。


また子供がいじめられる、周囲に何か言われるという意見もあります。
それに対し、そんなことを言う周囲がおかしい、それを正していくべきだという反論があります。

ですがそれはそもそも先にしておくことではないでしょうか。


社会を変わっていくきっかけになればという意見や、偏見を持つ方が悪いなどもそうです。先に同性婚が認められるなど、同性愛自体が認められてから、子供など家庭の話になるべきではないですか。

子供は同性愛とは関係ないのです。

関係ないのに、同性愛を世間や社会に認めされるための礎にしようというのですか。

犠牲になったのだ、古くから続く差別の撤廃、その犠牲にな……。

なんて言うつもりですか。

周りが何か言っても、愛情を注げばなんて言いますが、言われて一番傷つくのは、その可能性があるのは子供です。
本来関係もない子供が一番傷つきやすいのに、その子供を無視して同性カップルが認められた。そのことだけを喜ぶのはおかしなことです。

愛情を注げば、大切にすれば、なんていうのは大人の、親の目線です。
どこまでも親の目線から、根拠もなく、愛を注げばきっと大丈夫。
そんな無責任な話はないです。

子供は同性愛者を認めるための道具ではない。
同性愛者の人が一般家庭と同じように子どもを持つためにいるわけでもない。

子供は子供として、一人の人間なのです。


同性カップルを認めてほしければ、まずはその人たちだけに影響することをするべきです、同性婚などのように。
それを怠り、未だ世間が同性愛に厳しい中でやる必要があったかと疑問を抱くのです。
子供を巻き込む前に、先にやるべきことがまだまだ残ってはいませんか。

もちろん、同性カップルの人達が子供を持ちたいと思うことを否定はしません。
子供を持ちたい、親になりたいというのは同性、異性問わず当然のことと思います。
しかし今の社会では子供の負担が大きくなるような、リスクが高い気がするのです。
それからも守り、立派に育ててみせると決意しているのなら応援したいです。
ですが、子供のことを考えると、やはりまだ時期尚早ではないかとも思うのです。

今回の件に否定的、もしくは不安な態度を示すと偏見を持っていると非難されてしまいます。しかしただ称賛するだけ、それ以外は悪とすら言いかねない態度や流れには危険を感じます。

どうも、同性愛に理解があることが進歩的、今時という流れのようなのです。
同性愛に関係することで否定的なことを言う人間は遅れている、時代遅れの偏見。
そんな雰囲気です。
一種の同調圧力とも言えるでしょう。世間の変化の流れに逆らうものは悪なのです。


ですがやはり私は、手放しで賛成とは言い難いです。
もちろん同性愛の人を、社会的に認める動きとして喜ばしく思います。
ただそこに子供を巻き込んで良いものか。
他に先にやること、できることがあるだろうと思ってしまうのです。


同性愛者の人の側に立つか、子供にこだわるかの違いといえます。
私が親との関係に苦しむ身であればこそ、なおさら気になるのかもしれません。



どうなるにせよ、すでに事態は動き始めました。
せめて同性カップルの人も子供も、共に良い方向に向かうことを祈ります。

 

ほむ提督でした。