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ACほむ提督の航海日誌2.9

アダルトチルドレンのほむ提督が、生きづらさを抱えつつもそれを克服し、生きていこうと孤軍奮闘する日々をまとめたブログ。 生きづらさからの脱却、毒親の典型的特徴を備えた親への対処法、内向的な人間の生き方などを模索しています。

森永ヒ素ミルク中毒事件の残す傷~障害被害者、高い死亡率~

森永ヒ素ミルクの爪痕~障害被害者、高い死亡率~


1955年に発生した「森永ヒ素ミルク中毒事件」から、62年ほどが経過しました。かつては不買運動など大規模な騒動となった事件も、今や政治経済や現代社会など、子供が学校で習う教科書にその名を残す程度になりました。

時の経過とともに事件の記憶は世間から薄れ、消え去っていきます。

ですが障害を受けた被害者は今も存命の方もいます。当時粉ミルクを飲んだのですから、現在60歳を超えた頃です。医療のなどが発達した現代では、人によってはまだ働かなければならない齢です。

ですがこの事件により被害を受けた方は、重い場合は手足の麻痺などで動くこともできないという方もいます。長年の障害に加え加齢もあり、健常者よりますます生きにくい体で生きていかなければならないのです。

そんな被害者の方について、大阪府立成人病センター(現大阪国際がんセンター)の疫学調査により新たな事実が判明しました。

なんと被害者の方に予測される死亡率が、一般国民よりも高いというのです。

ですが一方で、追跡可能な被害者全体の死亡率は一般と変わらないレベルにまで低下したことも判明しました。
また被害者が「発がん年齢」に達しているため、がん罹患(りかん)率についても調査が行われました。全国のがん罹患率と比べると、全体としてはほぼ変わりませんでした。しかし肝臓がんは1.56倍と、やや高い数値が出たようです。

これについて調査を担当した医師は、ヒ素ミルク事件当時はまだC型肝炎ウイルスなどが知られていなかったことを理由の一つに挙げます。ヒ素ミルクを飲んだ乳児の治療で輸血などが行われたそうですが、C型肝炎などは今のようにその危険性などが知られていなかったようです。

近頃でもまだテレビで肝炎などについて、給付が受けられる、みたいな話をしているので当然ですね。

そのため当時の輸血治療の際に、肝炎などに感染してしまった人が多かったからではないか、と推測しているようです。


森永ヒ素ミルク事件は、私はいつだったか、学校で習った近代史辺りの教科書で見かけた気がします。水俣病イタイイタイ病などのような公害などと一緒で、急速に発展した社会による歪みの一つですね。

簡潔な事件の概要としては、
森永ヒ素ミルク中毒事件は、1955年頃から主に西日本を中心として起きた毒物混入事件です。森永乳業製の粉ミルクにヒ素が混入していて、飲んだ乳幼児に多数の死者や中毒患者を出してしまいました。

森永ヒ素ミルク事件とも言います。私はこちらで習いましたね。

森永乳業は、乳製品の凝固を防ぐ安定剤として、第二燐酸ソーダというものを粉ミルクに加えていました。品質が悪く酸化した牛乳は溶けにくいようで、それを誤魔化すために溶解しやすくする薬品を加えたようです。

試験段階では純度の高いものを使用していたのですが、本格導入時には安価なため純度の低い工業用を使用しました。


もうこの時点で正気じゃないと思うのですよね。工業用、ということは人が口にしてはいけないでしょう、おそらく。普通に考えればです。

後に裁判となった際にこの工業用第二燐酸ソーダの納入業者は、「まさか食品に工業用の薬品を使用するとは思わなかった」と証言したらしいです。

それはそうですよね。当時でもやはりおかしいことだったのでしょう。
そもそも品質の悪さを誤魔化すために、薬品を使って早く溶かしてしまおうという発想がすでにひどいですよ。

当時の社会の闇は深い。

そしてついに1955年に徳島工場で製造された「森永ドライミルク」の製造に、第二燐酸ソーダが用いられました。これに多量のヒ素が含まれていたため、これを飲んだ1万3千名もの乳児がヒ素中毒になり、130名以上の中毒による死亡者も出たそうです。

当初は奇病扱いされたのですが、岡山大学医学部の妹尾佐知丸教授が森永乳業製の粉ミルクが原因だと突き止めました。その後岡山県を通じて当時の厚生省(現厚生労働省)に報告され、事件として発覚しました。

ですが当時の発達万歳な時代背景や消費者の立場の弱さもあり、被害者の運動は抑え込まれてしまいました。

しかしその14年後、大阪大学医学部の人たちにより、被害者に後遺症が残っている可能性が浮上しました。その報告が日本公衆衛生学会で発表され、事件は再燃したのです。
被害者の運動も再び始まり、裁判や不買運動などが起き、全国的に事件が知られていきました。

森永は事件当時も再燃後も、長きに渡り責任を否定し、逆に被害者を糾弾する動きさえあったようです。ですが発生から15年経過した1970年、ついに森永側も自らの責任を認めました。

これによって事件は、事件としては収束の方向に向かっていくのですが、残されたものもありました。

それは現在も苦しみや不便に耐えながら生きる被害者と、その親です。

麻痺や知的障害、精神疾患など重度障害の苦しみ。さらに障害者故に差別を受けたりもしたそうです。

また親の方もそのような毒物を飲ませ、自分の子供を障害者にしてしまったのです。その自責の念に長く苦しめられたようです。
自分の手で子供に毒を飲ませたわけですから、その苦しみは想像できません。


事件は徐々に収束に向かい、今では教科書で名前を見る程度です。
ですがその被害者は障害を抱え、今も生きている。そのことはつい忘れがちですよね。
とは言え、常にそのような人たちについて考えることはできないというのも事実です。

安倍総理の妻、安倍昭恵夫人の実家がこの森永です。
この二人が今問題になっていることから、この事件についての話題が急に出たことに作為を感じるという人もいるようです。


そういう裏読みはしようと思えばできるし、どこかにそういう意図があるのかもしれません。ですがそれはそれとして、このようなきっかけでもなければ日々の暮らしの中、事件やその被害者のことは風化していきます。
このニュースの送り手の意図はどうあれ、忘れられていく事件とその関係者について考える、良い機会とできたらいいですね。

また、既に社会人として働く人はもちろん、新社会人、新入社員となった人たちも忙しい中少し考えてみてください。

あなたの会社は大丈夫ですか?

業績のために人を踏みにじるようなところではないですか?その片棒を担ぐことになりませんか?

社会の一員として、また組織の一員として、その在り方を考えるという点でも良い機会としたいですね。

私は学校の授業で事件の存在自体は事実として知っていました。しかし改めて調べてみると、色々と考えさせられる事件でした。どのような意図に基づく報道かは知りませんが、個人的にはよいきっかけになったと思います。

 

ほむ提督でした。