ACほむ提督の航海日誌2.9

アダルトチルドレンのほむ提督が、生きづらさを抱えつつもそれを克服し、生きていこうと孤軍奮闘する日々をまとめたブログ。 生きづらさからの脱却、毒親の典型的特徴を備えた親への対処法、内向的な人間の生き方などを模索しています。

継続は力なりとはいうものの 言うは易く行うは難し

継続は力なり 言うは易く行うは難し わかっちゃいるけど続かない、続けられない

 


徐々に暑くなり始め、季節の変化を感じます。
気温の変化や花粉などで大変な今日この頃です。
そのせいでブログの更新もめっきり減りました。いいわけなんですけど。

言い訳といえば、時々言い訳はしない(キリッみたいなのがかっこいいように扱う話を見ます。ですが言い訳というか、どうしてそうなったのかという話は理解や納得には一定程度必要だよなあといつも思います。
言い訳はしない、ということで自分はいい恰好できて満足かもしれませんけどね。
本当に責任とかを感じているのなら、相手にどう思われようが行動の意味や意義を話す努力は必要なのでは?


ということで、ブログの更新が減ったのは気温の変化や花粉症のせいだと言い訳してみました。実際そんな大人気ブログとかでもないし、自分の分を書く練習や備忘録の意味合いが強いのですが、言い訳として。

誰に言い訳しているのだろう、と思うときの言い訳は、自分の中の罪悪感とか良心に対してが多いです。なんか自分が言い訳めいたことを考えているな、というときは一度立ち止まって考えてみてください。
意外とこれが重要で、そういう何となく引っかかることが自らの本心や本当の望みを知らせるサインです。このサインを見逃したり無視したりし続けると、どんどん命が己から乖離していきます。



ほぼニートのような生活になってから思うのは、自分がいかに己の人生を生きていなかったかということです。

私の家庭は典型的な一般家庭です。日本では珍しくもない、本当によくある家庭です。
父親が朝早く仕事に出掛け、夜遅くに酔っぱらって帰ってくる。
母親は早く起きて朝食や弁当の準備などをしてくれ、日中は掃除など火事に励み時々パートに出掛けたりする。
サラリーマンの父と主婦の母というありきたりな両親です。
さらに父親は仕事仕事で家にはほとんどいなく、たまの休日は母に買い物のために車を運転させられる。
それ以外は寝てたり何か趣味らしきことをしている。母親はいつも口うるさく学校の成績、宿題、塾がどうのと怒っている。そんなどこにでもある家庭です。

そんななかに、毒親といわれる由縁、子供をその生涯にわたり苦しめる毒が潜んでいるのです。私の父はその年代に典型的な仕事人間で、朝早く出掛け夜は遅く休日も時々仕事の電話をしていました。
私は父が一定の年齢、役職になり職場が変わった最近まで、ろくに父親と会うことがありませんでした。朝は起きて朝食を食べる頃には父は食事を終え、学校に行く準備をする間にもう父は出勤しています。
夜は私が寝るのが早い子だったというのもありますが、小中学校の頃は寝る前に帰っている方が少なかったです。
高校くらいになると夜ふかしできるようになり帰ってきた父に会うことも増えましたが、基本酔っ払いで会話は不可能でした。
休日はさすがに食事は一緒になりますが、母と買い物に行くか外で趣味の庭いじりかでやはりそれほど同じ空間にはいませんでした。

そんな生活でしたので、私は父と話をしたことはろくになく育ちました。
未だにこの年でも父と二人にされると何を話していいのかわかりません。
またいずれ記事にしようと思いますが、父は仕事がひどく精神的にきつい時期や兄と折り合いが悪い時期がありました。その頃の父は些細なことでいきなりキレて大声で怒鳴り散らし、幼い私はひどく怖かったものです。
そのせいか未だに父はいつキレて怒り出すかわからず、それが怖くて接するのにはいつでもひどく緊張します。母が出掛けて父と二人なんてときは、いっそ父も一緒に連れて出てくれといつも思います。

 

そんなわけで家庭、というか親子関係に父が不在とも言える状況でした。
ですがこれはあまり私世代では珍しくないのです。仕事人間の父親が家庭を顧みない時代だったようです。ですから家には母親と子供だけなのですが、兄は学校の成績こそ私より悪いものの生きる力のある人でした。
要領よく飄々としたところのある人で、母が何度怒り怒鳴っても何食わぬ顔でよく出かけていました。
私は昔から親の言うことをよくきくいい子でしたので、とてもそんなことはできなかったです。
兄のこういう、勉強とかではない生きる上の力は本当に今でも羨ましいです。どこででも生きていけるタイプなんですよね。

これで兄もいなくなった家庭には、母と私の二人きりです。この母は典型的な教育ママであり、お受験ママでした。
一般的なと言う通り、世間的には勉強していい高校、いい大学に行って公務員になるのが幸せ、みたいなモデルができ始めた頃でした。
自分が働いていた当時は珍しい、女性で理系のうえ最新技術だったパソコンなども使うキャリアウーマンだったせいもあるでしょう。

なので学校の成績が悪くはないが望む域でもない。そのくせよく出かける、つまり遊んでいる兄には当然不満を感じていました。
一方で家庭を顧みない父への不満もずっと貯めてきました。もっと幼い赤ん坊の頃の育児すら手伝わなかったそうですから、やむなしという気もします。

そこに親の、というよりもっぱら母親の言うことをよくきいてくれる子が一人いるわけです。望む通りに学校の成績はいつも良く、父や兄のように母を置いて遊びに行かない子供です。母親の望みが集中するのもわからなくもないでしょう。

私は気がつくと母のそういった願いを受け止める器と化していました。
母の言うことを聞いていい成績を取り、習い事もきちんとして、母親の話を聞いてくれ、母親の面倒を受けないと生きていけない。そういう母が望む理想の子供を演じることを

強いられているんだ!


最後がおかしいと思う方がいるかもですが、こういった一般的な教育ママや家庭に縛られた母にはよくある望みのようです。
自分の存在理由を求めるようなもので、この子は私がいないとダメだから、この子を育てるのが私の使命。そんな感じで自分の人生に意味を持たせるために、子供が自立してしまっては困るのです。
子供に勉強や習い事をさせ、立派に育て上げる理想の母親を演じるための小道具みたいなものです。

どう強いられたかというのは色々あります。塾などの習い事も、よくある話ですが行かされましたし。
例えば私は部屋から出ているときはタイマーで時間を計られ、それ以上の休憩を認められませんでした。鳴ったら早く部屋に戻って勉強、というわけです。つけずに下にいると、何遊んでいるのと叱られたものです。
おかげで未だに私は食事以外で部屋から出ることはほとんどないです。もう体に染みついているのです。部屋から出てはいけないと。
家族でリビングでくつろぐなんて、別世界の話ですよ。部屋から長い間でていると怒られるんですからね。


また学校の成績も、テストで80点以下を取ろうものならひどくののしられたものです。何やってたの、とかちゃんとしなさいとかヒステリックに叫ばれるのが、ひどく怖く辛かったです。
今時の子は失敗に弱い、とか言われますが私も失敗には弱く、何より失敗することが怖い。失敗、ようはテストで一度でも、少しでも低い点、それが78点とかでもものすごく詰られ罵倒されたからです。
大学生になっても、試験を受けるときはいつも失敗したらどうしようと胃が痛くなりました。こうなると最終的には、何か新しいことに挑戦することがなくなります。
何かをすれば失敗する可能性があるからです。失敗すると怒られ、怖くて傷つく。なら何もしなければいい。無意識の内にそう考えるようになります。

 

このように色んな恐怖や痛みで縛られ、理想のいい子を演じざるを得なくなっていったのです。また子供と親の絶対的関係も問題でした。世間の親はあまり深く考えていないですが、子供にとっての親の存在がいかに大きいかという話です。
子供にとって親は最も身近な大人であり、保護者であり、わからないこともできないことも親に聞けば解決する、そんな絶対者なのです。
これは幼い赤ん坊だけでなく、ある程度の年齢になってもどこかで無意識的にそう捉えている節があります。
そこで親は正しい、親の言うことを聞いていればいい。絶対者にそういわれて育つと、ある程度自我が確立してもなお親の支配下に置かれてしまうのです。
親と違うことを思うと、自分の考えや感じたことの方が間違っているのだと、意識無意識の両者あるいは片方で考えてしまうのです。
その結果、本当はやりたくない。本当は辛い。そういった本心の、自らのサインを黙殺あるいは排除してしまう。

 

私は本当に最近になって、自分の本心だとかそういったことに気がつけました。
普通ならもっと早く気がつき、親に反発したりするのでしょう。それが反抗期です。
私は反抗期らしい反抗期はありませんでしたし、何より親の言う通りに生きるのが正しいのだとずっと思っていました。

言われた通りに勉強し習い事に行き、親の指示した高校大学を出て、家から通える職場で働く。できれば公務員になる。
そう言われ続けていましたから、自分の人生はずっとそうなるのだろうと思っていましたし、それ以外の人生など考えたこともなかったのです。
進路や将来のことに悩んだりなんて一度もしたことがありませんでした。
何故なら、もうどうするべきか決まっていたからです。
私にとってそれは自分の考えることではなかったのです。

 

 

ひどいものですよね。
自分の人生なんかまるで生きていない。そもそも思考が停止していたわけで、哲学的ゾンビみたいなものです。
今になって、本当はあの時辛かったんだな、とかやりたくなかったのにとか、そう言うことに気がつくのです。
アダルトチルドレンの治療として、このように過去に本当はどう思っていたのかの確認が行われます。

ですがこれはアダルトチルドレンでなくても、大事なことです。
とかく忙しない世の中で、私達は自分の心や本心のサインを無視しがちです。
しかし無視して生き急いだ果ては、取り返しがつかなくなってからの後悔です。
本当はあのときああしたかった、こうしたかったと後になってわかっても、もうどうしようもないのです。
取り返しがつかなくなる前に、世間や常識、親や他人に惑わされず、己の心や望みに向き合ってみるべきです。
早ければ早いほど、取り戻せる可能性は高くなると思いますよ。


 

これブログを更新しなかった言い訳から始まった話です。
本当はしなくちゃいけないな、と思いつつ後回しにしてたから己の良心の痛みに勝手に苛まれているのです。ですが夏休みの宿題とか普段の予習復習とかと同じで、毎回そう思うんですけどやらないのですね。本当はやらなきゃと思うのに。
夏休み前は必ず先に終わらせる、と思うんです。試験前になるといつも、普段から勉強しておけばと思うのです。

わかってても、言うは易く行うは難しというわけです。心のままに生きるとか、かっこいいけどそういう訳にもいかない世の中です。
自分のことだというのに、ままならないものですよね。

連休の過ごし方 花見に旅行、読書と引きこもり、いつも渋滞

連休の過ごし方 花見に旅行、読書と引きこもり

 

連休明けの憂鬱な一週間目、みなさんいかがお過ごしでしょうか。
私はどうにもやる気が出ません。すっきり意識や気持ちを切り替える、というのは難しいものです。
とりあえずそれでも動き出さねば、ということでブログの更新から始めてみます。


提督らしく、錨上げ!出港!というところでしょうか。それ以前、船に火を入れろ、出港準備という段階かもしれません。
しかも遠洋に出るでもなく、近海で航行練習のみ、くらいの気持ちです。


そういうわけで、とにかく記事の方を書いていこうと思います。

さて、連休の過ごし方というわけですが、今更という話題です。
ですが連休などの休みの後

もっとああしていれば

そう後悔することはありませんか。私は時々あります。
連休など長い休みになればなるほど、この後悔が頭をもたげてきます。
そんな方に向けて、特に内向性型の人に向けての話です。



私は内向性の強い人間です。
内向性人間の特徴として、何もしない時間、一人で静かに過ごす時間が必要であるという点があります。
休みになるとどこかに出掛けたり、何かをしたりして

ああ、楽しかった。いい気分転換になった。
明日からまた頑張ろう。

という風にはなかなかならないです。
もちろん楽しくない外出だから、というのではありません。
興味のあることのための楽しい外出もあります。ですが終わると、ああ疲れた、となりがちです。

これも内向性の特徴として言われています。
外出して活動したあとは、たとえそれが楽しい体験であっても、消耗したと感じるのです。
ですから、楽しい外出でも終われば疲労がどっしりとのしかかり、明日から頑張ろうとはとても思えません。

楽しいイベントや予定で忙しい週末より、何もすることのない週末を選ぶのも内向性の特徴と言われています。
私はもろにそうです。楽しくても忙しいより、何もなくていいので一人で静かにしていたいのです。

ですがここで社会とのずれが発生します。
社会、世間では連休は旅行花見など、多くのイベントが行われる時期です。
そしてそれをさぞ素晴らしく、連休とはこうするものだと言わんばかりです。
そのために、どうしても惑わされてしまうのです、普通、世間並みとかいうまやかしに。


ですが考えてみてください。
休みの過ごし方なんか人それぞれ、良いも悪いもないものです。
何かが終わった後に、もっとああしていればというのは何事にもあります。
ですが休みにおいて、世間で言われていることをしなかったからと、何か間違ったような気になる必要はありません。
大事なのは自分が休めたかどうかです。

外向性の強い人は外に出て、買い物や遊びなどイベントをこなすことで刺激を受け、活力を得ます。
内向性の強い人は、一人で静かに過ごして活力を得ます。
人により元気の出し方が違うというだけの話です。

ではどうして惑わされてしまうのか。
それは以前にも内向性の話をした際に触れた気がしますが、社会が外向性の人向けにできているからです。
例えば多くの人が意識無意識に影響を受けている存在に、テレビがあります。
しかしその成り立ち、構成を考えてみてください。
あれは


番組の間にCMを流しているのではありません。
CMの間に番組を流しているのです。


この基本的なことを、私達は時折忘れてしまいます。
テレビ番組とは究極的には、CMを見せるためのつなぎでしかないのです。
しかもその番組すら言ってみれば宣伝なのです。


番組を作る会社があり、そこに資金を提供する複数の企業などがあります。
彼らは出資者であり製作者ではありません。
しかし製作者は資金提供を受けている以上、その意向をある程度反映させなくてはいけません。その結果できるのが、旅行や買い物、食事に遊びにといった様々なことに興味を抱かせる番組です。

それを前面に打ち出しているか否かに関わらず、多かれ少なかれ、テレビ番組にはそういった部分があります。
つまり宣伝を含む番組、宣伝、番組の繰り返しとなっているわけです。
ご飯をおかずにご飯を食べるみたいな話ですね。
つまり


あいつらは! 何億という金をかけて!人々の脳みそにサブリミナルメッセージを送り、 思考を操作してるんだ!
俺は中退したけど短大にも通ってたんだ!専攻は心理学だった。だから分かる!これは企業の陰謀だ!!



概ねこれで間違っていません。
企業はテレビ雑誌ネットなどを通じて人々に何らかの興味を抱かせ、金を使わせようとしているのです。
企業は利益を求める団体であるということを踏まえれば当然のことです。
そしてそのターゲットが外向性の強い人なのも当然です。

私のような内向性の強い人間は、はっきり言って不経済な存在です。
休みに一人で部屋で本を読んだり、寝転がりぼんやりとしていれば十分なんていうのは、経済に何ら寄与しない存在です。
なので企業はあの手この手でメッセージを送り、人々を少しでも外に出そうとするのです。

外に出て金を使え利益を上げさせろというわけですね。


少し闇の深い話をすると、社会が外向型向けなのもそれが理由です。
金を使う人間が多い方が企業や国には都合が良いのです。
企業は自らの提供するもので利益を得られ、国は税などで収益を得られるわけですから。

そして企業が自分達に利益のある、都合のいい政治家に金を渡し、政治家は更なる金と権力のために仕事をする。
そこで先ほどのテレビ番組のように、自分に資金提供してくれる企業への配慮も当然しなければなりません。
根回しするにも金が要りますし、単純に懐を温めるためにも、提供を続けてもらいたいですからね。

世間の上、上流部分ではそういった仕組みが存在します。それこそ戦後あたりからある仕組みです。
昔から政治家、企業、医者にやくざというのはがっちり絡み合っているものです。表で振るう力が権力、警察などで裏がやくざというわけです。
その仕組みにのっとって、互いに都合のいい外向型の人間を中心に据えた社会が構成されていくわけです。
まああまり詳しいことまでは書きません。
詳しい話をすると「誤って豚足を喉に詰まらせたことによる事故死」してしまうので。
悪しき政治家の命を受け、悪徳マッポがのっぴきならない暗黒メガコーポを守っているのだ。何たるマッポーめいた暗黒体制か!

おお、ブッダよ!寝ておられるのですか!



企業のこういった宣伝以外にも、気になってしまうことといえば人の話です。
誰かがこんなことをした、どこそこに行った、あんなことをして楽しかった。
そんな話をしていると、自分も何かすればよかったかなと思ってしまうものです。
ですが外向性の強い人の方が、声が大きい(物理的な話ではなく)ので耳に入りやすいだけです。

内向型の人の共感できる、静かな過ごし方をしている人はまずあまり聞こえるように話をしません。
親しい数人と話すことがあっても、積極的に休みの内容についてまでは話さない人が多いです。そのため耳に入りにくいだけで、聞こえれば内向型の人の多くはそちらに心を動かされるでしょう。

まずそもそも人の過ごし方が良く思えるのは、隣の芝生は青く見えるようなもので、よくある現象にすぎません。
もしくは食事に出掛けると他の人が食べている料理の方が、自分の選んだものよりおいしそうに見えるあれです。
ただの錯覚なので、あまり気にしない方がいいでしょう。

休みが終わってからふと、あれをした方が良かったのではないか、自分は休みを無駄にしたのではないかと思うこともあります。
外向内向関係なく、他にも何かやれたんじゃないかと思う場合です。
そういう場合は、自分が休み明けだということを思いだしてみてください。
あなたは休みを過ごし、活力を取り戻したなのです。だからそのように思えるのです。思うだけの余裕ができたと言えます。
活力を取り戻す最中の、休みの間とは自分の状態が違うのです。

当時のあなたには休息こそが最良でしたが、その休みを経たから後になって、何かをした方がよかった、したかったという後悔のようなものをするのです。
できない、しようと思わないほど自分は疲れていたのだな、と自らの状態をきちんと認識して無駄な後悔はしないことです。

 

 

そんなわけで、ここまで連休の過ごし方について述べてみました。
早い話、人それぞれで、みんな違ってみんないいというだけです。
旅行と引きこもり、花見と天井の染み数え。どちらも人によって価値が違うのです。終わってからああしたらこうしたら、というのも無意味です。
休み前と後ではもう前提条件から違うのですから、勘違いしてくよくよしたらもったいないです。
どうせ思うのなら、まあまあ悪くない休みだったかな、と良い風に考えた方が健康的ですよ。

 

 

天気がしばらく悪いというのもあって、気が滅入りますね。
休み明け、未だに気合が入らないほむ提督でした。

初の米艦防護、護衛艦「いずも」出港! 房総半島から四国沖まで

初の米艦防護実施、護衛艦「いずも」出港―房総半島から四国沖へ

 

 

海上自衛隊最大級ヘリコプター搭載型護衛艦いずも」(1万9500トン)が1日午前10時ごろ、横須賀基地(神奈川県)を出港しました。
いずもは横須賀基地を出港後、午後には米軍補給艦と合流し、千葉県の房総半島沖から四国沖まで護衛する予定です。
海上護衛ということで、当然ですが攻撃を受けるなどした場合、必要最小限の武器使用も認められています。

いずもは平成27年に就役したヘリコプター搭載護衛艦DDH)で、いずも型護衛艦の1番艦です。
2017年現在、2番艦の「かが」と共に海上自衛隊では最大の護衛艦となります。ヘリ搭載型という最新型空母のようなもので、搭載したヘリコプターで対潜水艦の哨戒などを行います。

その後米軍補給艦は日本海などに向かい、弾道ミサイルを警戒監視中の米イージス艦カール・ビンソン、共に行動する艦隊への燃料補給などを行うとみられます。
この任務は友軍の補給を支援するものであり、合同訓練と同様に極めて重要なものであるといえます。

今回の出港は安全保障関連法に基づき、自衛隊が米軍艦船を守る「米艦防護」を行うためです。
米艦防護は自衛隊に新設された「米軍等の武器等防護」に基づくもので、安保法施行により可能になりました。
日本の防衛のために活動する米軍などの艦船や、航空機を対象に実施できます。なお、一応戦闘が行われている現場では行わないということになっています。


米艦防護は、昨年3月の同法施行後初めての実施となります。米軍の要請を受け、稲田朋美防衛相が命じました。
北朝鮮との関係が緊迫する中、新任務の実施で日米同盟の結束を顕示すると共に、共同訓練に続き日米の連携を深め、北朝鮮をけん制する狙いがあります。

これ以後の「米軍等の武器等防護」の対象としては、北朝鮮の弾道ミサイル発射をに対応すべく警戒中の米イージス艦。そのイージス艦などを後方支援する補給艦、日米共同訓練などへの適用が想定されています。

安保関連法による新任務としては、南スーダン国連平和維持活動(PKO)での、派遣部隊の「駆け付け警護」などが話題になりました。
しかしこれまで任務が実施されたことはなく、今回が同法に基づく初めての実施となり、これを機に運用が本格化する可能性があります。


また、いずもは護衛を終えた後シンガポールに向かい、そこで開催される国際観艦式に参加する予定のようです。

 


また騒がれそうな事態ですね。

正直このニュースを見たときは、またどこかや誰かが騒ぎ出すだろうな、とまず思いました。米軍を護衛するために自衛隊が出動するわけですからね。
戦争に加担するのか、とかアメリカの犬めとか。そういったいつもの批判が出るかな、と。こういった話題は変な人や粘着する人が湧くのであまり触れませんが。


私としては、ただ無事に行って帰ってくることを祈るばかりです。
ミサイル発射は失敗した、とは聞かされていますが実際がどうなのかは一国民には分かりません。そして失敗にせよ何らかの実験だったにせよ、実弾が撃たれ緊張が高まっているのも事実です。

対潜警戒もできるヘリ空母が抜錨ということで、北朝鮮潜水艦の攻撃なども想定しているのかもしれません。


敵の潜水艦を発見!

ダメだ!


本当潜水艦とかいらないので、何事もなく警護を終えてほしいものです。


また以前も書いた気もしますが、アメリカとの関係や戦争がどうだというのは自衛隊の方々にはどうにもできないことです。
どうせ声をかけるなら批判や罵りではなく、無事で帰って来いと激励や祈りをかけてあげてほしいです。


しかし自衛隊関係は、実にニュースになりませんね。
なんかやってはいるものの扱いが小さかったり、目立たなかったり。
本来割と重大なことなので、目立つようにするべきではないのかと思うのですけどねえ。気がつくと、こうしてました、とかこんなことがありました、と後から知ることが多いんですよ。

日本のために文字通り命を懸けている人たちなんですから、こそこそと隠すようなニュースはどうなのでしょう。
お前が見ていないだけだ、という批判があるかもしれないですが、私は一般的なニュースの時間にニュース見てます。
朝や夜の6から8時くらいのです。大体多くの人はこのあたりにテレビつけるのでは。朝夕のご飯時ですからね。



徐々に高まっていく緊張が恐ろしいですね。
風呂にいたため、昨日の地震が結構怖かったほむ提督でした。

 


ちなみに今回の護衛艦いずもの先代は

名前は出雲ま……じゃなかった

日本海軍の装甲巡洋艦出雲型の1番艦「出雲」です。
似た名前に僕らのヒーロー出雲マンがいますが、こちらは正しくは出雲丸で貨客船、つまり民間商船です。
相方のヒャッハーさんが言っている様に、商船改造空母として戦うことになってしまいましたが。

出雲は実に45年ほども現役の歴戦艦であり、大正天皇が乗艦する御召艦を務めたこともある名誉ある艦です。
出雲という名自体が出雲大社に代表されるように、日本神話などにも深く関わる日本国伝統の名です。
その名を受け継いだ名誉ある艦から、更にその名を受け継いだのが護衛艦「いずも」なのです。

そんな良き名を背負った艦が、乗員全員と共に無事に日本に帰還してくれることを祈ります。

ヤフー前社長、井上雅博さん死去 カリフォルニア州で交通事故~どの人生も終わる~

ヤフー前社長、井上雅博さん 交通事故で死去

 

ネットサービス大手のヤフーYAHOO)の前社長、井上雅博(いのうえ・まさひろ)さん(60)が25日(日本時間26日)、米カリフォルニア州で交通事故で亡くなられたことを、ヤフーが昨日29日に発表しました。
葬儀などは未定のようです。

井上さんは1996年1月、孫正義氏(現ソフトバンクグループ社長)らと共に米ヤフーと合弁でヤフーを設立しました。
ヤフーはインターネットやパソコンの普及が進みだしたこの時期に、日本国内初の商用検索サービス事業を始めました。

同年7月に孫氏の後を継いで、井上氏が社長に就任。
その後ニュースやネットオークションなど、現在のヤフーの中心事業となる新事業も開始。そしてついに現在のような、国内最大級のポータル(玄関)サイト運営会社に育てあげました。
2012年に退任しましたが、在任中は16期連続で増収増益を実現するという素晴らしい実績を残しました。


なんというか、衝撃でした。
ヤフーとカタカナで書くと何だか違和感がありますが、YAHOOは日本でネットを使う人なら誰でも知っているでしょう。
ネットをしない人でも、電話などネット以外の事業にも参入しているため、テレビの宣伝などで一度は目にしていると思います。

私が学校でパソコンを使う授業を受け、ネットを使った時はyahooを使いました。当時はまだ家庭用のパソコンなど珍しく、ネットも家庭で個人が使うことが普及し始めた頃でした。
そんな時期から国内ネット事業を始めたyahooは、まさに日本のネット産業の先駆けであり、偉大な開拓者でした。

心からご冥福をお祈りします。

 

 

とはいえ、私は別段ネット事業に深いこだわりや関連があるわけではないのです。それでも自分が初めて使ったネットサイトであり、現在でもニュースなどを使っていることもあり、意外なほど衝撃を受けました。
ですがさらに衝撃を受けたのは、その亡くなり方です。

交通事故。

ありふれたものです。
それではいけないのですが、それでもありふれたものです。
一日に一人は交通事故で死亡するか、大けがをしていると言っていいほどでしょう。
そんな普通の悲劇で、あっさりと流されてしまう悲劇です。

ですが今回は亡くなった人が特別です。
アメリカで起きた、という違いがあれど交通事故は自動車が一般的な国ならどこででも起こりえます。
そんなありふれた事故で、井上氏のような偉大な功績を残した方が亡くなってしまう。
不思議な気持ちです。


人は誰でも死ぬ。
普通のことなんですが、yahooという大手の社長を務めるという、いわば成功者となった人。そんな人でも、あっさりと、よくある交通事故なんかで死んでしまう。
長い闘病生活とか寿命とかではなく、事故でです。


人は死ぬ…みな死ぬ…例外なんかありはしねえのさ


そういうことなのでしょう。
どれだけ成功を積んでも、死ぬことからは逃れられない。
60歳なんて、今時ではまだ若いとまで言われる年です。定年もまだ、年金もまだという社会的にもまだまだいける、とされる年齢です。
その齢であっさりと逝去してしまう。

その日交通事故に会うなんて、思ってもいなかったでしょう。
成功を積み、富と名声を得て、年齢的にもまだまだ人生ここから。
そんなときにふっと終わりが来てしまう。

怖いですね。

頑張って、頑張り続ければ、やがて自分の好きなように生きられる時が来る。
いつかいいことが、いい出会いが、自分の本当の人生が。
誰でもそんないつかを抱いているものです。
ですが、そのいつかが来る前に終わってしまう人生かもしれません。

いつ死ぬかわからないから、やりたいことをするべき
これはやはり一つの真理なのでしょう。

いわゆる世間並み、普通の生き方をして「いつか」を待つ。
あるいは世間一般の生き方をしつつ、合間を頑張って作り何かをする。
そんな生き方がそれこそ普通なのでしょう。
ですがそのいつかが来ない、合間で何もなしえない。
そんな生き方で、ある日ふと終わりが来て、その時後悔しないでしょうか。

どの人生も終わる。
いつと知ることはできなくても、一日一日、その終わりに近づいている。
だから今を精一杯生きなければならない。

使い古されていますが、それだけ古くから多くの人が考えてきたことです。後はそれを実行できるかどうかの問題でしょう。

世間や親戚の冷たい目を受け、将来が危うくなると理解していました。それでも私は今のほぼ引きこもり、フリーライターもどきの生活を選びました。
これが正しかったのか、ただの逃避だったのか。
私は明日、否、今日その終わりが来て、後悔しないでいられるか。

 



死や人生について考えてしまうニュースでした。

日ハム12年ぶり10連敗 栗山監督の56歳誕生日も勝てず……

日ハム12年ぶり、泥沼の10連敗 栗山監督の56歳誕生日も黒星


 

日本ハムが本日26日、栗山英樹監督の56歳の誕生日に10連敗を喫しました。
今日のソフトバンク戦は初回に奪われた4点を巻き返せず、1-4の完敗。
05年の2分け挟んだ11連敗以来、12年ぶりの10連敗となります。
栗山監督就任以後ワースト記録という、暗黒の56歳誕生日となりました。

日本ハムの先発は今季2度目の先発となる村田。しかし1死から今宮に今季1号の先制ソロを浴びます。そこから内川に左前にタイムリーヒットデスパイネには3号2ランを浴びて一挙4失点。

ここのところ変わらない、暗黒の幕開けでした。

打線もいつも通りつながりません。2回先頭の中田が珍しく安打で出塁するも、この日5番の田中賢が空振り三振。
レアードはファールフライに打ち取られ、石井一も空振り三振。
いつも通り塁に出れても得点に繋ぐことができず、塁に出られないのもしばしば。
7回2死からレアードが4号ソロを放ちましたが、得点はこの一点だけ。

失点は初回の4点以外なく、何とか抑えきったものの打線が沈黙。
この日も泥沼から抜け出すことは出来ませんでした。


今日は栗山監督56歳の誕生日でしたが、就任6年目でワースト10連敗を記録する暗い誕生日となりました。
チームとしては2つの引き分けを挟み11連敗を喫した2005年以来、12年ぶり2ケタ連敗となります。


「北海道に肥溜めはあるか?」

「ある」

「日ハムは今その肥溜めに落っこってんだ。文字通りドツボにはまって全身クソまみれだよ」

 

今日もひどい試合でした。
特に中継を見ていたときのプレイ。これがひどかった。
一塁の中田が、アウトにできる所でエラーをしてセーフに。
そこからボークを取られ二塁に進まれ、ワイルドピッチで捕手が球を取りそこない三塁へ。
もうあっという間にエラーだけで、一塁から三塁まで相手選手を運んでいくのです。

まったくお笑いだ。

ここのところ、本当にエラーがひどいですよね。
それでふと思いついたことがあるのです。


実は日ハムの選手たちは、ストライキをしているのではないか。


どうでしょう。ここまでひどい試合ばかりだと、そんな気になりませんか。

私はなる。

むしろそうであってほしいです、いっそのこと。

今の日ハムは大谷選手こそ不在ですが、その他の一軍選手はほとんど全員揃っています。
それでこの有様ですよ。


以前大谷選手ばかり押し出し過ぎ。他にも選手はいるのに、とか思いました。
他にも選手がいて、野球は選手全員で作るものだと思ったのです。
ですがどうも日ハムには大谷選手しかいないみたいですね。

一軍選手が怪我でボロボロ、皆脱落してしまったとかならわかりますが、いてこれってどういうことなの。
優勝まで行き試合数が多かったから疲労が、とかあるのかもしれません。
ですがそれくらいわかりきっていたことですし、プロならもう少し何とかならないんですかね。

特に投手

がアピールチャンスでしょう。大谷選手がいないこそ投手として目立ち、実力をアピールするときではないのですか。
だというのに、証明しているのは大谷選手以外、投手陣は役に立たないということです。
例えば斎藤佑樹投手なんかは、同じく今日の二軍試合で初回7失点の大炎上です。
1軍復帰のためにぜひともアピールが必要な一戦で、先発でこの大失態ですよ。
勝負は時の運と言いますが、いくらなんでもこれはひどいでしょう。

中田選手以下打者も、野手としてはエラーで打者としてはろくに塁にも出られないのでは困ります。レアード選手が一人でホームラン打ったり頑張っていますが、他の打者も何とか結果を出してほしい。



本当に、もういい加減どうにか泥沼を抜け出してほしいです。
最近はもう試合を見るのも辛いくらいひどいですよ。
栗山監督も辛いでしょうね。この調子が後一月も続けば、絶対体壊しますよ。
プレッシャーや責任感、監督にかかる重圧は想像もできないほど厳しいでしょうし。

ただの一ファンには、この沼を抜け出ることを祈ることしかできません。



難しい話題のバランス取りに軽い話題を選びましたが、気分は落ち込む話題でした。

失言再度、今村復興相更迭……後任は吉野氏

震災巡りまた失言、今村復興相更迭……後任は吉野氏か

 


自民党今村雅弘復興相は25日所属する自民党二階派のパーティーで講演を行いました。そこで東日本大震災について「(発生が)東北だったから、よかった」との発言をしました。
そのことが「地震があったのが東北でよかった」と受け取られる可能性がある、不適切な言葉であるとして批判されています。
そこでこれまでの失言問題もあり、今回責任を取って辞任する意向を固めた模様です。

これは安倍首相の強い意向が働いたもので、事実上の更迭といえます。
安倍首相は同日のパーティーに出席しており、その場で「東北の方々を傷つける極めて不適切な発言だ。おわびをさせていただきたい」と謝罪を述べていました。
今村氏は26日、つまり本日午前に首相官邸を訪れ、辞表を提出する見通しです。
首相は後任に自民党の吉野正芳衆院議員を起用する方針です。

今村氏は今月4日の記者会見で、東京電力福島第1原発事故に伴う自主避難者についても失言をしています。

自主避難者について、国が責任を取るべきでは、という記者の質問がありました。
それに対し今村氏は「本人の責任でしょう。(不服なら)裁判でも何でもやればいいじゃないか」と、いわゆる「自己責任」発言をしました。
さらに記者が質問しようとすると「無礼だ。もう二度と(会見に)来ないで下さい」や、「うるさい」などと言って感情的に会見を打ち切りました。
同日夕刻には記者団に「感情的になったのはおわびする」と釈明しましたが、自主避難者への発言は「私は客観的に言ったつもりだ」と撤回しませんでした。

ところが7日の閣議後の記者会見では、「本人の責任」と言ったことについて「誤解を与え、反省している」と述べました。
その上で、発言は「撤回しているとご理解いただいて結構だ」と、遠回しながらも撤回する旨の発言をしました。


反省しているなら、はっきり撤回しますって言え
というかそもそもあっさり撤回するなら変な意地を張るなよ、とか思いましたね。

そもそも政治家とか偉い人は、謝罪しますとかしか言いませんよね。
悪いことをしたらごめんなさい、と子供に教えるくせにです。
謝罪しますって厳密には謝りますと言っているだけでは。
謝ります、というだけで謝った気になってはいかんでしょ。

ちゃんとごめんなさいって言うべきでは。

謝罪の記者会見とか見ているとそう思うことがあります。
本当に申し訳ありませんでした、と頭を下げるのならいいですけどね。

お詫び申し上げます、だけでは、何かすっきりしないんですよね。
このあたり日本人的曖昧さというか、はっきり言うのではなく察する文化なところです。
アダルトチルドレンや内向性の以前に、こういった曖昧な風習などになじめないのがまずいかもしれません。
伝統とか仕来りとか、日本は結構そういうの多いですよね。海外の事情を知っているわけではないですが。

いつか機会があれば記事にするかもですが、二人称とかもです。
お前、と言われると腹が立つ。名字で呼ばれると不快。あなた、は気取った感じで嫌などなど。面倒くさいことこの上ないですよね。ただYOUと言いたいだけなのに。
尊敬語とかも時々煩わしいです。
文句つけるくらいなら、学校などで一律統一して教えればいいんですよ。

こういったことでもめる話を聞いたりすると、あほらしくなります。
そんなところが社会に合わないのでしょうかね。


2012年の第2次安倍内閣発足以降、不祥事による閣僚の辞任はこれで5人目となります。
こんな辞め方をするような人を閣僚という重大な地位につける安倍首相。
人を見る目がボロボロですよ。


ただ今回の今村氏の発言は、マスコミの切り取り方がちょっと悪意あるかなとも思います。
今村氏は「社会資本の毀損(きそん)も、色んな勘定の仕方があるが、25兆円という数字もある」と、経済的な資本の損失という話をしています。
そこで「これはまだ東北で、あっちの方だったから良かった」と言ったわけです。
そしてこれがもっと首都圏に近かったりすると、甚大な被害があったとも言っています。

これは事実です。

事実なんですが、言い方がよくないのも事実なんですよね。
確かに経済的損失でいえば、首都圏での大地震なら東北よりもはるかに膨大な被害となったでしょう。
それを思えば、東北でよかったという考えもわかります。不幸中の幸い、といったら問題ですが、そういった感覚でしょう。
ただ言いたいことはわかりますが、人が死に今も苦しむ人もいることについて、良かったはないだろうと。

結局、ものには言い方があるということです。

東北の被害はひどかった。しかもこれが首都圏ならば、これよりもなおいっそう甚大な被害が出る。
だから東北のような悲劇を繰り返さないよう、防災により取り組むべきだ、と主張したかったのでしょう。

言っていることは間違いではないのですが、言い方というのは大事ですね。


ですがマスコミの広め方もよくないかなとも思いました。
震災が東北でよかった。東京なら大変だった。みたいな言い方が多いです。
別に東京が無事ならいいとか、東北のような田舎だからよかったと言っているわけではないのです。
田舎だからよかったという意味はあるといえばありますが、あくまで経済的数値の上の話です。
死者など被災した人たちについてどうこう言っているわけではないのです。
数値だけ見ればまったくの事実なのです。

その経済的損失、社会資本の毀損という観点で話をしているということを、意図的にカットした記事が多いようです。
中をじっくり見るとそのことにも触れてあるのですが、見出しだけではただの屑発言です。明らかに誤解や反発を煽るような書き方がされているといえるでしょう。
もっとも報道会社は自らの所の記事が売れることが大事なのですから、荒れるような書き方で目を引きたいのでしょうが。

 

今村氏も報道も、全部含めて、なんだかなあと微妙な気持ちにさせる話です。
景気が全然よくならないとか、北朝鮮のミサイルとか、色々問題のある社会です。
そんな日本を率いる政府がこんな人たちの集まりかと思うと、げんなりしますね。

 

ほむ提督でした。

護衛艦出港~俺の戦争じゃなかった~ジパングとランボー

護衛艦出港~俺の戦争じゃなかった~ジパングランボー

 

記事名の話題に入る前に、ちょっと前回からの続きです。
今回出港した「あしがら」と「さみだれ」についてです。

 

今回出港した「あしがら」はあたご型護衛艦です。
かつての高雄型重巡洋艦愛宕」の名を関した護衛艦型ですね。
同じくかつての重巡洋艦には妙高型という艦もありました。その3番艦に「足柄」という艦があったのです。
ですが護衛艦として生まれ変わると、何故かあたご型になりました。

さみだれ」はむらさめ型護衛艦の6番艦です。
旧海軍の白露型駆逐艦の6番艦「五月雨」の名を受け継いでいます。
「むらさめ」という名も2代目で、以前には同じく白露型駆逐艦の3番艦に「村雨」という艦がいました。
白露型の3番艦の6番艦という、よくわからない感じになってますね。


このように旧日本海軍など、大日本帝国時代の軍の話などすると、危ない人扱いされることもあります。兵器とか人殺しの道具が好きな危ない奴、みたいな。


ですが私は、この護衛艦が二次大戦時の軍艦から名を受け継いでいるのが好きです。
かつてこの国のために戦い、沈んでいった船たちが、再び日本を守ってくれる。
そう思うと胸が熱くなります。船の方はもうごめんだと思っているかもしれませんが。


軍艦とかを嫌う人がいますが、そういう人は大抵戦争の道具が、人殺しの道具がと言います。しかしその忌避感や嫌悪感をぶつける相手が違うと思うのです。

船は船です。

船が自ら戦争したわけではないのです。
船はただ望まれて生まれ、戦い、そして沈んでいきました。
船が戦争を望んだわけではないし、船に戦争の責任があるわけでもないのです。

もちろん戦争への忌避感から、その象徴とも言える兵器にも忌避感を抱くのもわかるのです。
しかしできればあまり嫌わないで挙げてほしいと思います。あくまで個人的にですが。

日本では物にも心が宿るという考えがあります。付喪神とかですね。
それによると、船のみならず飛行機や戦車、銃に至るまで、全てに心が宿っています。
それらは戦いの道具かもしれませんが、日本のために作られたものです。
日本のために生まれ、役目を全うして、その生を終えたのです。

その挙句が守った日本人に嫌われ、罵られるのではあんまりだと思うのです。

回天のように非人道的兵器は非難されるべきです。
それはそうですが、悪いのはそれを作ろうとしたり、使用した人の方です。
さらに言うなら、実際に使った現場よりもそれを使わせる立場の人間が悪いでしょう。


今回の件でもそうです。
PKO活動に参加し、つい先日帰国した自衛隊員や、本日出港した護衛艦に乗る自衛隊員の方々。

彼らを非難するのは間違っています。
そもそも作戦に参加したか否かを問わず、自衛隊の方々全般にいえることですが。


俺の戦争じゃなかった、あんたにやれって言われたんだ!


ランボーという有名な映画の台詞です。
ベトナム帰還兵ジョン・ランボーは、国としての戦争が終わった後もその傷に苦しみます。
するべきではなかったと言われるベトナム戦争。それに参加した兵隊を、国民は戦争への抗議として罵ります。

シャバに戻ってみると空港に蛆虫どもがぞろぞろいて、抗議しやがるんだ!
俺のこと赤ん坊殺しだとかなんとか言いたい放題だ。奴等に何が言えるんだ?
奴等はなんだ、俺と同じあっちにいてあの思いをして喚いてんのか!

そう言ってランボーは国民への怒りを叫びます。


実際に口にはしていませんが、このように思った自衛隊の方もいるのではないでしょうか。軍人と自衛隊という違いはあれど、突き詰めて言えば上記の台詞の通りです。

彼らの戦争ではないのです。

傭兵だとかのように「好き好んで金貰って、好き好んで戦争やって」るわけではないのです。傭兵がなんで傭兵しているかは各々事情があるでしょうが、例えです例え。
ようは自ら望んで戦争や軍事行動に出たわけではないのです。

国の兵、国を守る自衛隊として、命令に従っただけです。
自衛隊の派遣をするか否か、なんてことは彼らの意思によるものではない。
そこの所を間違えないでほしいですね。


ジパング』という漫画があります。かわぐちかいじ氏による作品です。
日米の新ガイドラインの下、エクアドルへ演習という名目の威嚇のため、海上自衛隊の艦隊が海外派遣されます。
その一隻であるイージス艦みらい」は、航行中に突如嵐に巻き込まれミッドウェー海戦直前の太平洋上にタイムスリップしてしまうという話です。

その「みらい」の出港の際、港には海外派遣に反対する人々が押し寄せていました。
船に乗り込み、最後になる可能性すらある日本を見る乗組員たち。
彼らの眼前には「派遣反対」「新ガイドライン違憲」など、海外派遣を批判するプラカードがいくつも掲げられていました。
さらに「それでも日本人か」「アメリカの犬め」などの罵り、叫びばかりが聞こえていました。

この時の彼らの心情は、軽々しく理解できるとは言えません。少なくとも、いい気分でないことだけははっきりしています。
昔よりはるかに安全とは言え、船に何かあったりすれば死ぬ危険もあります。
また共同演習という名目ですが、武器弾薬を配備した威嚇です。
そのまま本格的な戦争に巻き込まれる可能性も十分にありえます。

そこに国のため、国の政治の一環のため、死を覚悟して赴くのです。
ですがその出港は守るべき国民の罵声を浴びながらです。

辛いことです。

責める相手が間違っていますよね。
派遣を決めたのは政府であり、自衛官の方々よりもっと上の人達です。
決めた人たちは命を懸けず、罵倒されることもない。
命じられた方は命を懸け、罵声を浴びせられる。
こんなのは不公平です。


今回の護衛艦2隻の出港は、この『ジパング』の出港目的に似ています。
明確にそうだと言われていませんが、共同演習を名目として別の理由もあるでしょう。
そのため今朝のニュースで護衛艦の出港を知った時、この漫画のシーンが浮かびました。


戦争反対、軍国化反対、安倍政権の決定は違憲だ等々、主張は多々あるでしょうがその矛先を誤ってはいけません。
実際に命令を実行し、派遣などをされる人を責めても仕方がないのです。
自衛隊は特に、武力を持つため一番自分の意思だけで動くことが許されない存在です。
強力な武力が自らの考えだけで動く危険は、それこそ第二次大戦下の日本が物語っています。

自衛隊の存在が違憲だ、とかいう人もいますがそれも同じです。
自衛隊員は、違憲だと批判されて、じゃあ辞めますというわけにはいきません。

 

ここではあえて、自衛隊の存在や派遣や演習などについて、意見は述べません。
とにかく言いたいのは、相手を間違えるなということです。
批判する相手を誤って喜ぶのは、その批判したい事柄の黒幕ばかりです。
本当に国のため、自分のためを思うのなら、そのことはもっとよく考えてほしいものです。

 


ほむ提督でした。