ACほむ提督の航海日誌2.9

アダルトチルドレンのほむ提督が、生きづらさを抱えつつもそれを克服し、生きていこうと孤軍奮闘する日々をまとめたブログ。 生きづらさからの脱却、毒親の典型的特徴を備えた親への対処法、内向的な人間の生き方などを模索しています。

お役所仕事窓口対応編~申請、申告、深刻~

お役所仕事~申請、申告、深刻~


 

先日役所の方へ、ちょっとした手続きに行ってまいりました。
その時のお話です。
まあ、題名通り、お役所仕事についてです。


先日はあいにくの天気で、その先もあまり天候に期待はできないという予報でした。
ちょっとした、とは言いつつも役所まで行くのですから、それなりに大事なことです。
無事にやれるか、もしかしたら今日はだめでまた次の日になるか。
そんな風に緊張しつつ役所へ向かっていました。

ダメでもまた明日行けばいい話ではあります。
ですがそう簡単に思えるのなら、私は今ほぼ引きこもりになってません。
しかもその日も天気は悪かったのですが、それからしばらくはなお悪いというのです。
必要でも行きたくはない手続きのためもう一度、今度はもっと天気の悪い日に外出なんて、まっぴらでした。

前日までうだうだと本当にこれでいいのか、とか悩みもしました。
アダルトチルドレンの傾向の一つに、失敗を恐れる、完全主義者というのがあります。
私はもろにこの類で、何につけても失敗が本当に恐ろしいのです。
ですから、何か行動するときはいつも怖い。行動すると失敗してしまう可能性があるからです。

あげく一度した失敗を数年たっても思い出しては苦しみます。
思いださなければ、と思うかもしれませんが、勝手に出てくるのです。

話がややずれました。

二度も外出するのが手間というのもありました。
外出自体が苦痛なタイプなので、遊びに行けば楽しいことには楽しいのですが、その後ひどく疲労を感じます。
できるだけ、何か用事がある時以外は外に行きたくないのです。
ましてその用事が果たせず、また次の日などとなればもう嫌で嫌で発狂状態に入りかけます。

そんなこんなで、結構不安を抱えつつも役所に向かいました。
ただいざとなれば、例えば手続きの途中で何か違ったり、間違えた場合です。
そうなればさすがに何か言われるから、間違ったまましてしまうことはないだろうとも思っていました。


思って、いたのですが……。


まさにお役所仕事でした。

まさかここまでひどいとは。

話をしながら手続きを勧めたのはいいのですが、話をしているというより、機械音声でした。決められた内容を順番通り話して、順番通りに操作などをするだけです。相手の理解や反応なんかは何一つ見ていません。

ただただ決められたとおりに行動するだけです。

紙面に記入して提出したりすることもありました。
それを受け取って次の手続きをしていくのですが、その内容がひどいものです。
途中までは違和感を感じつつも聞いていたのですが、さすがにおかしいと思い途中で止めました。

紙面である項目を選択していたのですが、それを選択していない場合の説明を受けていたのです。
一方的に話しているのを遮り、確かそこの部分はこう書いたと思うのですが、みたいに告げました。
告げたのですが、その対応もまたひどいものでした。

ああ、そうですか。

それだけ言ってその話をいきなり打ち切り、何事もないように次の話を始めました。
紙面を確認することもなくです。
というより、そもそもこちらのことなど何一つ見ていないのでしょう。

こうこう、こういった風に書いたのですが、問題ないですか。
そう質問しても、紙を見ることもなく

大丈夫です

というだけです。

何かを考える間もなく、即答でした。
優秀だから即答できた、という考え方もできます。
できますが、まるで内容を把握せずに手順通り説明を読み上げる。
そんな振る舞いを見た後ではそうは思えず不安だったのですが、他の質問も似たり寄ったりで埒があきませんでした。

また、ここで早く終わってよかった、と思えないのが私です。
終わったことをくよくよと、いつまでも引きずってしまうのです。
あれで本当によかったのか、ダメだったらどうしよう。
そんなことが頭の中でしばらく渦巻いて、何事も手につかないありさまでした。

この辺はお役所仕事のせいではなく、自分の性質によるものですけどね。

ただ言いたかったのは、お役所仕事というものを実感したということです。
マニュアル通りに行うだけ、機械的で事なかれ主義。
そんな感じに言われていますが、実際に体験してみると恐ろしいものです。

彼らにとって、目の前にいるのは人間ではないのではないでしょうか。
一定の手順で行う仕事の、開始の合図か作業用の資材のような。
それが来ると所定の作業を開始しする。
時々微妙に違うものもあるが、それもマニュアルに記載されている通りにしておけばよい。


そのように思考を停止した、いっそ彼らの方が機械のような感覚を覚えました。
人と対面で行った意味があるのかと。
機械に人が勝手に打ちこんでいくのとまるで変わりませんよ、あんなの。
あんなのでいいのか、やる気あるのか、大丈夫なんだろうか。
終わった当初はそんな風に憤りと不安を感じていたのです。


ですが次の人にもまったく同じ調子で、同じ内容をひたすら繰り返していたのです。
ゲームのNPCみたいなものです。
いくつか選択肢が出て、それによって多少変化する程度の。


空恐ろしいものを覚えました。本当に一瞬背筋が冷えました。 

公務員とは、人が人であることをやめねばならない職業であった。



 

ほむ提督でした。

日本ハム5連敗 中田・レアード途中交代

日本ハム5連敗 暗雲立ち込める



本日もまるで重くない、趣味の話です。
重い話とかばかり探したり書いたり調べたりしていると、気が滅入ってきます。
まして体力気力に欠けるときは、なおさらそういった話はしたくないです。

そういうとき、それでもやらなくてはという気にもなります。
ですがそういった義務感、使命感というのは何かと尽きないものです。一つやったら次、それを終えたら今度はあれ、といった具合に、世間や社会は私達を追い立てます。
まるで足を止めてものを考える、あるいは一度落ち着くといった行為を禁ずるかのようです。

近頃大事なのだと感じるのは、流れに抗い自分の意思で足を止めることです。
あえて自分の意思で何かをやらない、というのは意外と難しいものです。
疲れている、面倒だなどの理由で何かをやめることはあるでしょう。
しかしそうではない、やろうと思えばやれるしやるべきだと思っていても、あえて足を止めてみる。

これがなかなかできないのです。

今の世の中の風潮ですね。
余裕がなく、次から次に成功や勝利、利益を求める。
失敗すれば流れからはじき出され、復帰は極めて難しい。
息苦しい、忙しない世の中だなと思います。

そんなとき、あえて足を止めて自分の立ち位置を調整するのです。
前回少しお話しした、気分転換と同じです。
一度自分の意識や考えをフラットにするのです。

本当にしたいのか、本当にこれでいいのか。

そう自分に問いかけ、答えを得るにはその必要があります。
あれがしたい、これをしなくては、という考えが頭にあると、本当の自分の意思を追いやってしまうのです。
あれもこれも何もしなくていい、全部やめたという状態を意識的に作るのです。

アップルのCEOを務めていたスティーブ・ジョブズを含む、世界の偉大な経営者たちがしているという瞑想。
それと似たようなものです。
一度湧き続ける考えを停止する、ということの重要性を彼らは知っているのです。


行こう行こう。いつも先を急ぐ。

そしてある日死ぬ。

たまには足を止め、人生の楽しみを味わうべきだ。

 

なので偉大な世界のトップ陣にならい、今回も難しい話はしません。

 


そういうことで、今日は野球です。
道民として一応応援しているファイターズです。
ただ気分転換もかねているのに、逆に気が重くなりそうな状態ですよ。


本日9日、京セラドーム大阪で行われたオリックス日本ハムの試合。
結果は2―0で日ハムの敗北に終わりました。
日ハムは完封負けのうえ、これでついに5連敗となります。

これだけでも暗黒時代待ったなしか、という気になります。
連覇を目指すとかいうのは何だったんですかね。

エラーしまくり、打てない、投げたら打たれる。
やる気ないの?もしくは何かあったの?と聞きたいほどです。
同じ敗けるにしても敗け方、試合の内容というものに差があります。
今年の開幕は本当にひどい。

おまけに選手も
前日の8日には左太もも裏の肉離れを発症し、大谷翔平選手が欠場。

今日は4番の中田翔選手が、試合中に右足付け根付近に痛みを訴えて途中交代。

同じく今日、7番のブランドン・レアード選手も、5回に左上腕に死球を受けて交代。

もうぼろぼろです。


日曜の朝はいつもサンデーモーニングを見ています。
今日の放送で張本勲さんが、大谷翔平選手について「野球生命ダメになるかも」と言っていてびっくりしました。
四週間ほどで復帰、みたいに聞いていたので、そこまでひどいものだとは思いませんでしたから。

現状日ハムから大谷選手が消えたら、もうおしまいですよ。
日ハムといえば大谷選手、と大谷選手ばかり前面に押し出しているわけですから。


それに万が一そうなったら、あまりにむごいです。
大谷選手はまだ若いのですから、野球人生これからですよ。それを日ハムのために使いつぶしていいのでしょうかね。

今日ゲスト出演していた前DeNA監督の中畑清氏が、日本ハム栗山英樹監督の大谷の起用法に疑問があるとしていました。
大谷選手の野球人生は長いのに、なぜ完治のため治療に専念させなかったのかと言っていたのです。

本当にね。

全力で走るのを禁止しながら、何故か打者として塁に出させるって意味が分からない。
案の定走塁中に怪我をして、交代、欠場です。
わかり切った結末のような気がしますけどねえ。


栗山監督の采配は、実は以前からあまり好きじゃないんですよね。
交代させればいいのに、続けさせて失点とか多い気がして。
まあそこまで熱心でもないファンが監督に向かって、采配がどうとかいうのは何ですけどね。

なんでそんなんを、さい配のアレを言われなアカンのや!

といわれそうです。

そんな名言ならぬどん語を数多く残す「どんでん」こと岡田彰布氏が

民放は最後まで流さんなら放映権取るな

と言ったそうですね。


ほんとこれですよ。
途中まで見せておいて、たいていいところで中継終わりますよね、野球は。
続きが見たければ金を払え、と言わんばかりに有料チャンネルで続きをご覧いただけますとか言って終わります。ほんと腹たちますよ。

最高に盛り上がるところだけラジオで聞くという悲しみ。
夜は逆に延長してアニメの時間を圧したりしますし。

日本でスポーツといったら野球、くらいに人気あるスポーツなんですから、もう少しうまく放送してほしいですよね。
放送の仕方でいらぬヘイト稼いでいる部分がないとは言えないと思うのです。

何とか改善してくれないかな、と思います。

 

 

ほむ提督でした。

攻殻機動隊、新作アニメ決定!監督は神山健治・荒牧伸志

攻殻機動隊、新作決定! 監督は神山健治・荒牧伸志


ここのところ真面目な話が続いたので、息抜きをして軸を戻します。

いつかブログ記事にしてみようと思うのですが、私はこの気分転換というか、軸をフラットに戻すことはとても大事だと思っています。
真剣でまじめなこと、もしくは現実的なことばかり考えていてはいけないと思うのです。考えるな、というのではなく、考えてばかりではだめです。

途中でただの娯楽や趣味などで、頭を一度楽な方向に持っていきバランスを取る感じでしょうか。
アダルトチルドレンの治療の一つに、これまでの人生を振り返ることがあります。あの時本当はこう思っていた、本当は苦しかったとかを自分で認めてあげる必要があるようです。
そんなとき、必要とは言えずっと考えていると、もう過去は覆せない。その延長でダメになってしまった私の人生も、もうどうにもならない。

死のう。

みたいな感じで、危険な方向に向かってしまうこともあります。そうでなくても、今時真剣に将来を考えたりすると、結構気が重くなります。
そういうときは一度頭を空っぽにしてしまわないと、そのまま暗黒面に落ちてしまいかねません。

真面目に考えるのも、やりすぎてはいかんのです。


仏教の中道みたいなものですよ。



それはともかく、今回は息抜きです。


士郎正宗氏の有名漫画「攻殻機動隊」の新作アニメの制作が決定しました。
監督は神山健治氏と荒牧伸志氏です。

神山氏は『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』など、これまでもテレビアニメ、映画の両方の「攻殻機動隊」に関わってきた方です。

最近では映画『ひるね姫』の監督や脚本をされた方です。この映画は面白そうなので見に行こうと思っていたのですが、タイミングが合わず結局見れていません。でも面白い映画だそうですよ。

攻殻機動隊については、アニメも映画も見ましたが良い出来だったと思います。
評論家気取りができるような人間ではありませんが、面白かったです。なので新作も期待しています。

荒牧氏の方は、実はあまり知りません。
ただ同じく士郎正宗氏原作の『アップルシード』・『アップルシード アルファ』という映画の監督だった方です。以前一度見たことがありますが、面白かったです。
原作の世界観を壊さないように心がけたそうですが、その心を作品の中からも感じました。

またアニメ『スクライド』のデザインなどもしたそうです。スクライドはいいアニメでした。デザインもいい感じでしたので、これはやはり期待できるかなと思います。

今年公開の『虐殺器官』というアニメ映画にも関わっている人だそうです。こちらの映画は劇場で予告を見ただけなので、詳しく知りませんが。


今作は

GHOST IN THE SHELL攻殻機動隊
攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』シリーズ
イノセンス
攻殻機動隊 ARISE
攻殻機動隊 新劇場版

と何作も製作されてきた「攻殻機動隊」の最新作となります。
何作も、と言ってもどれも面白いですし、どれを見てもまだ見たくなるので、嬉しいものです。

タイトルや展開時期については現状「未定」とされ、決まり次第発表というかたちになるそうです。

流石に気分が高揚します。
早く詳細が知りたいものです。

 


ここまで原作を知っていて当然、みたいな感じで来ましたが、知らない人向けに簡単に宣伝を。

攻殻機動隊』は、情報ネットワークとサイボーグ技術の発達した未来社会、その中の特に日本を舞台にしたSF作品です。

この世界ではマイクロマシン技術により、脳の神経ネットにデバイスを直接接続する電脳化技術。
義手・義足にロボット技術を組み合わせ、発展したサイボーグ(義体化)技術などが発展、普及しています。
その結果、多くの人間が電脳によってインターネットに直接アクセスできるようになりました。


社会では生身の人間や電脳化した人間、サイボーグにアンドロイド、バイオロイドなどが混在しています。
そんな世の中で起きるテロや暗殺、汚職などの犯罪を事前に察知。
その被害を最小限に防ぐ、内務省直属の攻性公安警察組織「公安9課」(通称「攻殻機動隊」)の活動を描いたのが、この『攻殻機動隊』です。

これでもかと言わんばかりにSFです。SF好きならみんな知っている、くらいの作品ではないでしょうか。原作漫画は1991年に一巻が出版されていますから、もう結構前の作品ということになります。

それでもアニメや映画が今でも作られるという、大変人気のある漫画です。

ハリウッドで実写化もされ、映画『ゴースト・イン・ザ・シェル』という題名で、本日7日に日本公開となりました。
ビートたけしも主人公の上司役で出演しています。


未来社会なんですが、発展した部分とその発展の犠牲になり、むしろ退化したようにも見える部分。そんな二つが隣り合う感じの、何というか、いわゆるサイバーパンクの世界観です。
未来世界で高度に科学技術が発達してスマートになったかと思えば、逆にごちゃごちゃしまくりな感じですよ。

好きなんですよね、こういう世界観。銃夢とかもそうですけど。
最近の作品だとニンジャスレイヤーとかもそうですね。
アニメは慣れればあれはあれで、と思えますがやはり世界のサイバーパンク感を出すにはあのアニメではだめです。
もっとCGとか使って背景しっかり作られた、映像化されたニンジャスレイヤーが見たかったんですけどね。


ニンジャやマグロですごいわけのわからない作品に見えますが、あの作品の下地自体はすごくサイバーパンクしてますよ。
バイオスモトリとか意味わかんないですけど、クローンヤクザとかもそうですけど、技術的にはすごく発達しているんです。

サイバーゴスのカワイイな女学生と激しく前後してえなあ、俺もなあ……。

 


後ゲームでいうならクーロンズゲート、でしたか。
中国を舞台にした風水とかの話なんですが、それよりまず街並みが楽しいです。
電飾やCGのふんだんに使われた、眩い街。ですがどこか退廃的で、混沌としている。
使われている技術と比較すると、どこか時代遅れな雰囲気が混在した街並みがとてもいいです。
何でもPlayStationVRで復活するとか。楽しみですね。ただほぼ引きこもりニートの私には、発売されても買う金がないんですが……。



最近はなかなか満足いったり、好みにあうSF作品がないので、新作アニメには期待です。
SFは小説も楽しいです。漫画もアニメも楽しいです。ですが漫画やアニメ、特にアニメはせっかく映像となるのだから、背景だとかでそのSFっぷりをきちんと見せてほしいのです。主人公たちをアップにしすぎて周りが見えないのでは、楽しみが半減しますよ、最悪四分の一です。

あとロボット出して戦わせておけばSFというのは違います。SF何でしょうけど、求めているものとは違うんですよね。まあ個人の趣味なんですけど。
ロボットものも好きなんです、なんですがなんというか、日常生活とかの端々に見える未来感が好きと言うか。

ロボットものでも、あまり無茶苦茶するのは何だかなと思います。
ビュンビュンビュン、ドーン、ズバーンみたいな音が聞こえてくるような、軽さを勝手に感じてしまいます。
それはそれで好きなんですが、ロボットものとして見るには。


今主張し、求めているSF感というのは、いうなればもっと技術的なのです。
コクピット内部の操作とか、機体の各部のスラスターの噴射の様子とか。
発射シークエンスとかギミックとかは好きですね。
Z.O.Eのジェフティのベクターキャノンとか、ガンダムXのサテライトキャノンのマイクロウェーブ受信の所とか。

それだけ見せられてもダメですが、そういう細かい未来技術を感じられる部分があると好きです。ロボットとか科学技術の設定でも、そういう技術的な感じが見れないと、科学でも魔法でも違わなくなってしまい気がします。
よく分からない何かの力でそうなっている、というだけですから。


攻殻機動隊」の好きな所の一つは、作品の至る所にそういう未来技術が、当たり前の光景として組み込まれている所です。
原作の漫画ではページの横や下の余白に、作者による知識が細かい文字で詰め込まれていて、それを読むのも好きでした。

サイバーパンクらしく貧しい地域も出てくるのですが、そこで浮浪者みたいな人が壊れた義体のパーツを漁ってたりします。
話に何の関係もないのですが、こういう光景があると楽しくなってくるのです。

 

長くなり、途中ただの個人的な好みの話になってしまいましたね。
とにかくお伝えしたいことは

攻殻機動隊」は面白い

攻殻機動隊」の新作アニメに期待高まる

ということです。

SFが好きと言うなら、当然読んでるよね、という人もいるほどの作品です。
知らない人にはぜひ読んでほしいなと思います。

 


ほむ提督でした。

男性カップルに養育里親認定 その2

男性カップルに養育里親認定


前回に続いて、男性カップルに里親認定が出た件についてです。
前回では、それが本当に子どものためになるのか。
それを考えてほしいという主張をしました。


何故なら、そのことが念頭にないような意見も、ネット上などでは見受けられるからです。何を中心にした意見かという問題です。

どうも同性カップルの側に立つ意見が多いようですが、今回のことは親の認定です。子供無くして親はありえないのです。

そもそも子供のために、児童養護施設などがあるのではないでしょうか。
そこから子供にとって施設より良いと思うから、里親に託すわけです。


親のためであっては、本来いけないはずです。
親のためという面もあることは否定しませんし、それが悪いとも言いません。
互いが互いを求め、癒す関係になりうるのですから悪いことではないです。
ですがやはり第一は子供のことを考えるべきではないでしょうか。


一見すると今回の件は時代の進歩、性的少数者への差別撤廃の一歩。そのように見えます。けれども本当に子供のことを考えているのでしょうか。
未だ同性愛者、同性カップル自体が認められていない世の中です。
偏見という問題ではなく、認められていないのが事実です。

そんな中、親が同性カップルであるという境遇は、いじめの対象になる確率はどうしても一般家庭の子より高まります。
片親というだけ、ひどいときは親が他の親よりやや歳をとっているということでもいじめになるのです。
社会的に認められていない同性カップルが親というのは、格好の餌食とされかねません。

そんな偏見を持つ方が悪い、というのは理想論もいいところです。
大人の社会でも偏見を持つ人は未だ多く、同性愛は認められているとは言い難いのです。まして偏見を持つのは悪いことだ、同性愛者でも互いが幸せなら、なんていうのは大人の意見です。

それを子供に理解しろ、というのは無理な話です。

良い親であれば子供が偏見を持ったら叱るかもしれませんが、それで受け入れられるわけでもないのです。
腫れ物に触るように遠巻きにされるか、いじめを受けるか。
そういう事態は容易に起こりうるのです。


また思春期などを迎えると、子供も性的なことに興味や関心を持ちます。
そのときに、自分の親が同性愛者だということで、ショックを受けることになる可能性は否定できません。
その結果親に対する嫌悪感を抱いてしまうことも、仕方がないでしょう。

大人の言う、同性愛者でも本人たちが幸せならとかいうのは理性の意見です。
大人になり、知識や経験を積んだうえでそういった意見が出てくるのです。
本能的に性に目覚めたばかりの子供にとって、親の同性愛がどう影響するのか、それは全く未知数です。

子供が同性愛者になる心配をしているわけではありません。


子供が同性愛者でなく、親が同性愛者であることに否定的な感情を抱くことはありえるという話です。その途端、その家庭は子供にとってひどく居心地の悪い場所となります。
同性愛に否定的な感情を持っても、それが自分の親で、そこが自分の家庭なのです。
親に対する愛情と、同性愛者に対する否定的な感情を持て余し、苦しむことになるでしょう。

家庭が安息の場でなくなるというのは、本当に恐ろしいことです。

そんなとき、その子には相談できる相手や場所がありますか。

その子に気持ち悪いなどと罵られても、それでも親をきちんとやれますか。


子供が同性愛を否定することは、私は悪いとは思いません。
生物的には当然異性が結ばれるのが自然なのです。
その理に反している以上、本能的な否定はあるのが当然です。

私は一応言っておきますが、同性愛は別にかまわない派です。

一方で同性愛に嫌悪感を持つ人を否定はしません。
本能的には当然なのですから、持っても仕方がないのです。
やがて大人になり、理性で判断することが増えると、徐々に抑えられていくかなと思います。
しかし大人でも気持ち悪いという方はいますが、それもまた仕方がないと思います。
本能に根差した感情的なものなので、持つこと自体は仕方ないのです。

それを表に出し、非難したりするのがいけないのです。

自分に関係ないのならあえて非難する理由も意味もないのだし、しまっておけば問題ないと思います。
ですが現状そうできない人が、大人にすら多くいるということです。
そういった人たちから攻撃されてしまうのは、悲しいながら事実なのです。

大人の同性カップルはまだ耐えられるでしょう。
ですが子供はどうなるのでしょうか。
親の愛があれば平気、なんて薄っぺらい話ではない現実の問題です。
また愛をもって接したところで、それが全て通じるわけでもないのです。
大事にするのと、大事に思うことの違いでもあります。


本当に子どものためになりますか?


またこのように今回の件で、子供の心配をすると、子供にかこつけて差別する偏見もちの悪人のように罵られます。

しかしそういう人たちに限って

幸せに育ててもらえば大丈夫
偏見を受けてきた人たちだから、優しい子に育つ
偏見を持つ方が悪い

そんな感じのことを主張します。
挙句に虐待したり、いがみ合うような男女の親に育てられるよりはいいなんて言い出します。男女の夫婦の悪い例を取り上げてそれよりいいと言っても、同性カップルが親になることとは別の話だと思いますが。
同性カップルが虐待したり、けんか別れしたりする可能性がないわけでもないのです。

またいくら愛情を注いで大事にしようが、世界は親と子で閉じているわけではないのです。世間から悪意を受けることは考慮しなければならないのです。
それを都合よく忘れて、同性愛を認める進歩に酔ってはいけません。

同性愛カップルのために、子供がいるわけでは断じてないのです。
子供がどうなるか、子供がどう思うか。
本当に子どものためになるのか。子供を幸せにできるのか。

同性だろうと異性だろうと、親になろうとするものに問われるのはこの一点です。

同性愛の人の苦労も、同性愛への偏見も子供には知ったことではありません。
ですが同性カップルに引き取られることで、嫌でもそのことと関わることになります。
そのことで不利益を受けるリスクがあります。
それを理解したうえで、不利益を与えるかもしれないが、それを上回るほど幸せにできる、幸せにしたい。そういう覚悟があり、準備があるのならまだいいのですが。

そこまできちんと考えていますか。
同性愛を認める、偏見のない自分に酔っていませんか。

もっとも賛成も反対も全て部外者にすぎません。
無責任なのはお互いさまであり、そこまで考える必要はないのかもしれません。
ですが、ただ賛成するばかりなのも危険だと思ってしまうのです。


また子供がいじめられる、周囲に何か言われるという意見もあります。
それに対し、そんなことを言う周囲がおかしい、それを正していくべきだという反論があります。

ですがそれはそもそも先にしておくことではないでしょうか。


社会を変わっていくきっかけになればという意見や、偏見を持つ方が悪いなどもそうです。先に同性婚が認められるなど、同性愛自体が認められてから、子供など家庭の話になるべきではないですか。

子供は同性愛とは関係ないのです。

関係ないのに、同性愛を世間や社会に認めされるための礎にしようというのですか。

犠牲になったのだ、古くから続く差別の撤廃、その犠牲にな……。

なんて言うつもりですか。

周りが何か言っても、愛情を注げばなんて言いますが、言われて一番傷つくのは、その可能性があるのは子供です。
本来関係もない子供が一番傷つきやすいのに、その子供を無視して同性カップルが認められた。そのことだけを喜ぶのはおかしなことです。

愛情を注げば、大切にすれば、なんていうのは大人の、親の目線です。
どこまでも親の目線から、根拠もなく、愛を注げばきっと大丈夫。
そんな無責任な話はないです。

子供は同性愛者を認めるための道具ではない。
同性愛者の人が一般家庭と同じように子どもを持つためにいるわけでもない。

子供は子供として、一人の人間なのです。


同性カップルを認めてほしければ、まずはその人たちだけに影響することをするべきです、同性婚などのように。
それを怠り、未だ世間が同性愛に厳しい中でやる必要があったかと疑問を抱くのです。
子供を巻き込む前に、先にやるべきことがまだまだ残ってはいませんか。

もちろん、同性カップルの人達が子供を持ちたいと思うことを否定はしません。
子供を持ちたい、親になりたいというのは同性、異性問わず当然のことと思います。
しかし今の社会では子供の負担が大きくなるような、リスクが高い気がするのです。
それからも守り、立派に育ててみせると決意しているのなら応援したいです。
ですが、子供のことを考えると、やはりまだ時期尚早ではないかとも思うのです。

今回の件に否定的、もしくは不安な態度を示すと偏見を持っていると非難されてしまいます。しかしただ称賛するだけ、それ以外は悪とすら言いかねない態度や流れには危険を感じます。

どうも、同性愛に理解があることが進歩的、今時という流れのようなのです。
同性愛に関係することで否定的なことを言う人間は遅れている、時代遅れの偏見。
そんな雰囲気です。
一種の同調圧力とも言えるでしょう。世間の変化の流れに逆らうものは悪なのです。


ですがやはり私は、手放しで賛成とは言い難いです。
もちろん同性愛の人を、社会的に認める動きとして喜ばしく思います。
ただそこに子供を巻き込んで良いものか。
他に先にやること、できることがあるだろうと思ってしまうのです。


同性愛者の人の側に立つか、子供にこだわるかの違いといえます。
私が親との関係に苦しむ身であればこそ、なおさら気になるのかもしれません。



どうなるにせよ、すでに事態は動き始めました。
せめて同性カップルの人も子供も、共に良い方向に向かうことを祈ります。

 

ほむ提督でした。

男性カップル 大阪市が養育里親全国初認定

男性カップル 大阪市が養育里親全国初認定

虐待などにより親元で育てられない子供の養育里親について、大阪市が男性カップルを認定しました。
厚生労働省は同性カップルの里親認定について「聞いたことがない」としており、全国初とみられます。


大阪市は昨年、市内在住の30代と40代の男性を養育里親と認定しました。市は養育する子供については、詳細を明らかにしていません。

男性カップルの里親はルールや規則上どうなっているのかというと、実は問題ないようです。もっともそのような想定をしていないため、端から区別していなかったとも取れますが。

厚労省は2011年に里親委託に関するガイドラインを策定しました。各自治体はそれに基づいて里親の認定について運用を進めています。

なんとこのガイドライン、里親希望者の要件について、同性カップルかどうかを定めていません。そのため同省家庭福祉課は「ガイドライン上、同性カップルでも里親を希望することは可能」であると解釈しています。
しかし実際認定されたというのは、これまで把握している限りではないようで、今回が初とみられます。


また自治体によっては、同性カップルを異性間の結婚に相当する関係と認める動きもあります。同性カップルの里親を望む声も、以前から一部ではあったようです。
ですが里親については夫婦を前提とし、性的マイノリティー(LGBT)の認定には消極的な意見もまた存在します。

厚労省によると国内では現在、約4万5000人の子供が社会的養護のもとで生活しているようです。大半は児童養護施設などで暮らし、里親に預けられているのは1割強、約5000人ほどです。

 

同性カップルが里親に認められれば、里親の元で暮らす子供も増えるのでしょうか。
男性カップルの認定について、やはり賛否両論あるようです。
私個人としては、賛成とも反対ともしがたいですね。

ただ賛否どちらでも、一番大事なことを忘れてはいけないのではないでしょうか。

つまり


それは本当に子どものためになるのか


ということです。


男性カップルでも普通の夫婦でも、それが子供のためになるのなら、私はよいことだと思います。


同性カップルが認められれば、里親が増え、施設ではなく家庭で育つことができる子供が増えるかもしれません。
家庭が最高、とは言いません。施設でも幸せに育つこともできるかもしれません。
家庭で育ち虐待を受け、施設で育たなければならない子供がいることを思えば、家庭が一番とは断言できません。

ですが家庭で育つのが、日本の一般であり普通です。
日本という国は、とにかく同調圧力の強い国です。
普通とか一般、人並みなどやたらと人と同じであることを強いられる社会です。
その中で生きていかねばならないことを考慮すると、やはり普通である「家庭」で育つ方が良いと言わざるを得ません。

その家庭の受け皿が広がることを考えれば、今回の件は良いことと思えます。

また里親の親になる決意や意思は固いと思われ、その点も良いことだと思います。
虐待をする親もそうですが、生んだからと良い親になれるわけではないです。生むだけでは生物学上の親になれても、人間的な親にはなりえません。
親になろう、親として生きていこうとする覚悟があり、行動をしてこそ親になれます。

自ら親となることを望み、審査なども受けて里親となるのですから、その点は産んだだけの親よりは良いかと思うのです。

ただ忘れないでほしいのは、子供は一人の人間だということです。

親の幸せな家族像、家族計画のために存在するわけではないのです。

同性カップルでも、通常の夫婦でもそれは同じです。


幸せになるために、子供という要素を求める。そういう考えがどこかにあること自体は悪くないのです。最愛のパートナーと、その間にできた子供。そんな幸せの光景を求めることを、悪いとは言えません。

ですが親となること、親として子供の人生に責任を負うことをもっと深く考えるべきだとも思います。
一人の人間の人生において、誰にも勝てないほど大きな影響を及ぼし続けるのが親です。

結婚を悩むのと同じ、それ以上に悩まなくてはいけないことだと思うのです。
結婚はあくまで自立した他人との話です。ですが子供は親によって生まれ、生きるのです。親の振る舞いが、言動が、その全てに子供は影響されていくものです。


私はいわゆるアダルトチルドレンです。
これは診断を受けて決定される病名ではないので、あくまで自称になりますが私はそうだと思っています。
親に人生を支配され、苦しみ続けてきた私だからこそ、親の影響力の怖さを知っています。


だからこそ、親は「親である」ということに、もっと注意を払って欲しいと思っています。
家庭における絶対権力者として、子供にとって最初にして最後、最大の寄る辺として、子供の最も身近な大人、人間として。
子供は親から、親が思うよりもずっと多くのものを受け取って育つのです。


今回の同性カップルは、親に当たる存在がそもそも偏見を持たれます。
持つ方が悪いとかいう理想論の問題ではなく、事実持たれてしまうのです。減りつつあるとはいえ、事実です。
もっとも、これは片親などの場合にも存在しうる問題でもあります。
そういう意味では、同性カップルだけの問題ではありません。
しかしこのような偏見などのように、いわゆる人並み世間並みでないだけで家庭や親としての問題は増加します。
家庭という場の受け皿が広がったのは良いことですが、その家庭が一般的でないためすでに問題を内包しているのです。

悪いと言っているのではないのです。ただ事実として、問題が増えてしまうのです。
親はそれにも対処しつつ、一般家庭でも起こりうる家庭の問題や親子関係などにも対処しなければならないのです。

まずはそのことが心配です。
自ら里親になろうとしているのですから、決意も意思も固いのでしょう。
ですが意思があってもできないことはできないのです。まして人の心の問題などはなおさらです。

親は決意していようと、それは本当に子どものためになるのか。
子供も自分で考え、その家庭に行くと決めたのかもしれません。
しかし現実問題どうなるのでしょう。
やってみなければわからないといえばその通りです。

ですがやってみて駄目だった時、傷ついた時の手助けの準備はできているのでしょうか。
一般家庭ですらうまくサポートできていないような現状で、いざというとき動けるのでしょうか。

認定するのはいいのですが、その後のこともきちんと考えているのでしょうか。
そういった不安もあります。

 

長くなったので、次に続きます。

たつき監督~北朝鮮が弾道ミサイル発射・排他的経済水域外に落下~12.1話

たつき監督~北朝鮮が弾道ミサイル発射 排他的経済水域外に落下~12.1話


菅義偉官房長官が4月5日午前8時過ぎ、緊急の記者会見を開きました。
それによると北朝鮮が東岸から午前6時42分ごろ、弾道ミサイル1発を発射しました。
数十キロほど飛んで日本海に落下したようですが、日本の排他的経済水域EEZの外に落ちたと推定されるとしています。
今のところ、付近を航行中の船舶や航空機への被害の報告はないということです。

菅長官はミサイル発射について、「国連安全保障理事会決議への明白な違反であり、断じて容認できない」と非難を発表しました。

アメリカ太平洋軍北朝鮮が地上設備からミサイル1発を発射し、9分後に日本海へ落ちたと発表したようです。アメリカの初期評価では、飛翔体は準中距離弾道ミサイルと推定されています。

アメリカと韓国が実施している合同演習への対抗と、6日から始まる米中首脳会談を前に、ミサイル能力を誇示する狙いがあるとみられています。


こんなことブログで取り上げる必要はないのですが、すごいびびったのでついまとめました。大した情報がないので内容はさほどないです。
でも怖かったんですよ。


全く知らない間に起きていたことで、しかもアメリカの発表を見ると9分で落下したそうです。日本本土まで来ていればもう少しかかったでしょうが、それでも一時間も必要ないでしょう。
下手したらまだ寝たり朝ご飯を食べている間に、いきなりミサイルで吹き飛ばされたかもしれません。


ぞっとしました。


検索語やTwitterのつぶやきで今何が多いかがわかる、トレンドというものを見ると笑いました。ミサイルや飛翔体を挟むようにたつき監督や、12.1話の文字が並んでました。
今回の記事名みたいな感じですよ。
これはケモノフレンズというアニメの監督と、その話数です。
ミサイルと同列か、それより上にアニメが来るのですから、さすがは日本人だなと思いました。

平和ボケしていると言われればそうですし、危機感がないというのも全くその通りです。ですが平和ボケしていられるほど平和な国なのだということは、それ自体は悪いことではないと思います。

ただ心配にはなります。こんなことでいいのでしょうか。平和に慣れて、危険を危険とわからくなっていたりしないでしょうか。
自衛隊が防いでくれる、まさか本当に撃ち込まれたりはしない、アメリカが助けてくれる。そんな風に思っているかどうかはわかりません。ですが平和すぎて、現実に起きることだという認識や想像ができないのでしょう。

事故や事件と同じで、自分の身に実際に起きるまでは

「まさかそんなこと」


そんな風に、現実には起きるわけないと思ってしまうのです。実際私もまさか本当に日本にミサイルが落ちてくることはないだろう、と思っています。
世界各地でテロが起き、紛争が起きているのを知っていて、つい先ほどミサイルが発射されたと知ってもです。


これはよくないことかもしれません。ですが一方で平和が続いてきた証拠であり、いいことだとも思います。

それでも怖さも感じるのは、自衛隊というか政府が信用できないからかもしれません。

かつてまだ民主党がトップだった時ですが、ミサイルが日本に飛んできたことがあったはずです。上空を通過したはずでしたが、とにかく危険はなかったのです。なかったのですが、その時は迎撃のために自衛隊が動いたはずです。


ですが当時のトップ、総理か防衛相か忘れましたが、そのあたりが迎撃の指示を出さなかったのです。迎撃準備を自衛隊がしていたのに命令を出せず、確か確認すらろくにできていなかったはずです。


実際は上空を通過し危険はなかったので命令は出さなくてよかったのです。しかし確認もおぼつかず、公式発表すらだいぶ時間がかかったように記憶しています。
その時に感じた憤りというか、恐怖は今も残っています。

このような政府では、今まさに日本にミサイルが来ても、命令が出ないので自衛隊は動けない。動けないまま素通りさせて着弾してしまいかねない。そう思ったのです。
東京など、自分達が危険な所に着弾するとわかればすぐに命令を出すでしょう。

死にたくないから。

ですが他の所では、特に東京から遠いところなどはすぐには命令を出さないぞ、と感じたのです。


何故か。責任を取りたくないからです。


そんな政治家や政府への不信感が、このような恐怖を生むのかもしれません。

6時42分に発射され、9分で落ちたミサイルについて8時に発表があるというのもです。安全だともうわかっているからでしょうが、もしかしたら何も知らないまま死んでたかと思うと怖くなりました。知って何もできずに死ぬよりましかもしれませんが。

脅しだとしても実際にミサイルを撃つ国が近くにいる。
改めて考えると、恐ろしいことです。
どうなるにせよ、平和ボケした日本人のままでいられるよう願いたいです。

 

速報について、ほむ提督でした。

森永ヒ素ミルク中毒事件の残す傷~障害被害者、高い死亡率~

森永ヒ素ミルクの爪痕~障害被害者、高い死亡率~


1955年に発生した「森永ヒ素ミルク中毒事件」から、62年ほどが経過しました。かつては不買運動など大規模な騒動となった事件も、今や政治経済や現代社会など、子供が学校で習う教科書にその名を残す程度になりました。

時の経過とともに事件の記憶は世間から薄れ、消え去っていきます。

ですが障害を受けた被害者は今も存命の方もいます。当時粉ミルクを飲んだのですから、現在60歳を超えた頃です。医療のなどが発達した現代では、人によってはまだ働かなければならない齢です。

ですがこの事件により被害を受けた方は、重い場合は手足の麻痺などで動くこともできないという方もいます。長年の障害に加え加齢もあり、健常者よりますます生きにくい体で生きていかなければならないのです。

そんな被害者の方について、大阪府立成人病センター(現大阪国際がんセンター)の疫学調査により新たな事実が判明しました。

なんと被害者の方に予測される死亡率が、一般国民よりも高いというのです。

ですが一方で、追跡可能な被害者全体の死亡率は一般と変わらないレベルにまで低下したことも判明しました。
また被害者が「発がん年齢」に達しているため、がん罹患(りかん)率についても調査が行われました。全国のがん罹患率と比べると、全体としてはほぼ変わりませんでした。しかし肝臓がんは1.56倍と、やや高い数値が出たようです。

これについて調査を担当した医師は、ヒ素ミルク事件当時はまだC型肝炎ウイルスなどが知られていなかったことを理由の一つに挙げます。ヒ素ミルクを飲んだ乳児の治療で輸血などが行われたそうですが、C型肝炎などは今のようにその危険性などが知られていなかったようです。

近頃でもまだテレビで肝炎などについて、給付が受けられる、みたいな話をしているので当然ですね。

そのため当時の輸血治療の際に、肝炎などに感染してしまった人が多かったからではないか、と推測しているようです。


森永ヒ素ミルク事件は、私はいつだったか、学校で習った近代史辺りの教科書で見かけた気がします。水俣病イタイイタイ病などのような公害などと一緒で、急速に発展した社会による歪みの一つですね。

簡潔な事件の概要としては、
森永ヒ素ミルク中毒事件は、1955年頃から主に西日本を中心として起きた毒物混入事件です。森永乳業製の粉ミルクにヒ素が混入していて、飲んだ乳幼児に多数の死者や中毒患者を出してしまいました。

森永ヒ素ミルク事件とも言います。私はこちらで習いましたね。

森永乳業は、乳製品の凝固を防ぐ安定剤として、第二燐酸ソーダというものを粉ミルクに加えていました。品質が悪く酸化した牛乳は溶けにくいようで、それを誤魔化すために溶解しやすくする薬品を加えたようです。

試験段階では純度の高いものを使用していたのですが、本格導入時には安価なため純度の低い工業用を使用しました。


もうこの時点で正気じゃないと思うのですよね。工業用、ということは人が口にしてはいけないでしょう、おそらく。普通に考えればです。

後に裁判となった際にこの工業用第二燐酸ソーダの納入業者は、「まさか食品に工業用の薬品を使用するとは思わなかった」と証言したらしいです。

それはそうですよね。当時でもやはりおかしいことだったのでしょう。
そもそも品質の悪さを誤魔化すために、薬品を使って早く溶かしてしまおうという発想がすでにひどいですよ。

当時の社会の闇は深い。

そしてついに1955年に徳島工場で製造された「森永ドライミルク」の製造に、第二燐酸ソーダが用いられました。これに多量のヒ素が含まれていたため、これを飲んだ1万3千名もの乳児がヒ素中毒になり、130名以上の中毒による死亡者も出たそうです。

当初は奇病扱いされたのですが、岡山大学医学部の妹尾佐知丸教授が森永乳業製の粉ミルクが原因だと突き止めました。その後岡山県を通じて当時の厚生省(現厚生労働省)に報告され、事件として発覚しました。

ですが当時の発達万歳な時代背景や消費者の立場の弱さもあり、被害者の運動は抑え込まれてしまいました。

しかしその14年後、大阪大学医学部の人たちにより、被害者に後遺症が残っている可能性が浮上しました。その報告が日本公衆衛生学会で発表され、事件は再燃したのです。
被害者の運動も再び始まり、裁判や不買運動などが起き、全国的に事件が知られていきました。

森永は事件当時も再燃後も、長きに渡り責任を否定し、逆に被害者を糾弾する動きさえあったようです。ですが発生から15年経過した1970年、ついに森永側も自らの責任を認めました。

これによって事件は、事件としては収束の方向に向かっていくのですが、残されたものもありました。

それは現在も苦しみや不便に耐えながら生きる被害者と、その親です。

麻痺や知的障害、精神疾患など重度障害の苦しみ。さらに障害者故に差別を受けたりもしたそうです。

また親の方もそのような毒物を飲ませ、自分の子供を障害者にしてしまったのです。その自責の念に長く苦しめられたようです。
自分の手で子供に毒を飲ませたわけですから、その苦しみは想像できません。


事件は徐々に収束に向かい、今では教科書で名前を見る程度です。
ですがその被害者は障害を抱え、今も生きている。そのことはつい忘れがちですよね。
とは言え、常にそのような人たちについて考えることはできないというのも事実です。

安倍総理の妻、安倍昭恵夫人の実家がこの森永です。
この二人が今問題になっていることから、この事件についての話題が急に出たことに作為を感じるという人もいるようです。


そういう裏読みはしようと思えばできるし、どこかにそういう意図があるのかもしれません。ですがそれはそれとして、このようなきっかけでもなければ日々の暮らしの中、事件やその被害者のことは風化していきます。
このニュースの送り手の意図はどうあれ、忘れられていく事件とその関係者について考える、良い機会とできたらいいですね。

また、既に社会人として働く人はもちろん、新社会人、新入社員となった人たちも忙しい中少し考えてみてください。

あなたの会社は大丈夫ですか?

業績のために人を踏みにじるようなところではないですか?その片棒を担ぐことになりませんか?

社会の一員として、また組織の一員として、その在り方を考えるという点でも良い機会としたいですね。

私は学校の授業で事件の存在自体は事実として知っていました。しかし改めて調べてみると、色々と考えさせられる事件でした。どのような意図に基づく報道かは知りませんが、個人的にはよいきっかけになったと思います。

 

ほむ提督でした。