ACほむ提督の航海日誌2.9

アダルトチルドレンのほむ提督が、生きづらさを抱えつつもそれを克服し、生きていこうと孤軍奮闘する日々をまとめたブログ。 生きづらさからの脱却、毒親の典型的特徴を備えた親への対処法、内向的な人間の生き方などを模索しています。

オリンピックに感じるもの~親と子~

オリンピックに感じるもの~親と子~


お久しぶりです、ほむ提督です。
徐々に春めいてきましたね。
雪景色も見納めと思うと、もっと散歩などして一面の銀世界を楽しんでおくのだったとわずかながら後悔しています。

またずいぶん間が空きました。
どうもやっぱり、私には向いてないって気が、するんだな……。


ブログという形態というか、外に発信することというか、定期的にやり続けるとか。

日記は3日坊主どころか1日で終わるし、習慣づけが成功したためしはないし。
外に発信するというのも、元々の性質が裡に溜め込むタイプだからわざわざ外に発信する気にならない。

まあこんな感じで、全然更新していないにしろ続いているといえば続いているとは言えます。
これが私のペースということなのかもしれませんねえ……。

人には向き不向きがあるというか、できることとできないことがあるんですよ。
仕方ない、と思うしかないです。


近況としては、具合悪い日々が相変わらず続いています。この間また病院に行きましたが、

もう体質だから、薬飲むの辞めたらまた悪化するよ

とのことでした。もう嫌になってしまうなあ……。


さて、私が気持ち悪い、苦しいと呻いている間に、文明はどんどん発達していく……。お隣とは言え、海を挟んだ外国で行われるオリンピックがリアルタイムで見られる。
いい時代ですよね。しかも画質が昔とは比べ物にならないほど美しい。

そんなオリンピックですが、今年も日本は大健闘したのではないでしょうか。
特に地元北海道出身のカーリング女子の銅メダルは、とてもうれしく思います。
他にはスピードスケートなんかは、見ていて興奮する熱い戦いでした。

フィギュアスケートは失敗しないように、しないようにと思って見ているので、熱くなるというより冷や冷やしましたね。
羽生結弦選手は、君本当に怪我復帰直後?と聞きたくなる出来栄えでしたね。圧倒的過ぎる……。

詳しく語れるほど本腰入れて見ていたわけではありません。
しかしそれでも十分楽しめるほど、いい試合、良い内容だったと思います。

そこには何も言うことはありません。今年もよかった、の一言に尽きます。
このまま興奮し、感動し、ああ楽しかったで済めばいいんですが、済まない自分もいるのです。

ではどこに何が言いたいかというと、選手の人間関係というか、親子関係についてです。

端的に言うと、羨ましいなあと。
テレビ向けの姿で実際は違うのかもしれませんが、強い絆を感じる、良好な親子関係に見えます。
それがいつも羨ましく感じてしまうのです。

親がサポートしてくれて、子供の夢を応援してあげたくて、支えてくれた親にetc……。

こういうのを聞くと、たまらなく羨ましい。
我が家の親は、子供の夢を応援する親ではないからです。

親の都合に子供を合わせる親といえます。まず親の意思ありき。

同じ親という存在なのに、何故にこうも違うのか。
そんなことを言っても仕方ないとわかってはいます。それでも思わずにはいられない、この醜い感情。

子供の夢を応援、なんて物語の中だけの出来事のようです。
私にとって親とは、私の人生の決定者です。どこに行くのか、何をして、何を選ぶのか。そういった人生の選択などは、全て親の意志によって決まってきました。
その意志に反することを言おうものなら

家からでていけ、家には必要ない、家の子ではない……

こんな言葉を言われたら、もう子供にはどうしようもありません。
ただただ従って生きてきました。次第におかしいとも思えなくなり、従うのが当然だと思い込んでいました。

幸いなことに最近は、やはり家の親がおかしいのだということに気がつくことができましたが。

私の親もあんな親だったら、私もオリンピック選手になれた、とは思いません。
私はなりたいとも思いませんし、思ってもなれないでしょう。
ですがオリンピックも何も関係なくただ親子の関係として、それを羨ましいと思う心がいつも、オリンピックを見る私にはあります。

そしてそんなことを思う自分が嫌になるわけです。
ああ楽しかった、今年もすごかったなあで終われたらどんなにいいことか。
心が健全でないと自覚してしまうのは嫌なものですね。

 


久しぶりの更新となりましたほむ提督です。

これからもこんなペースですが、更新自体は続けていきたいと思っています。


ほむ提督でした。

明けましておめでとうございます~社会不適合者の新年~

明けましておめでとうございます~社会不適合者の新年~

 


1か月遅れですが、あけましておめでとうございます。

皆さん、新年如何お過ごしでしょうか。

私は初詣や遠出も何とかこなせ、復調の兆しを感じています。

かと思えば、予想より多かった食事を残しもできず、食べ過ぎで苦しんだりもしました。
はっきり言って自業自得です。
せっかくよくなりつつあったのに、自分の馬鹿さ加減に腹が立ちます。


そんなこんなで一月経ってしまいました。

当初はもっと早くに更新する予定だったのですが……。


私は一度何か大きな出来事があると、なかなか平常に戻れない人間です。
内向性型の人間は、外出などイベントごとに外向性の人よりも多くエネルギーを費やすと言われています。

私はまさにそれでしょう。

何かイベントごとがあると通常の日常ルーチンに戻るのに、時間がかかるのです。
エネルギーの消費が激しく、しかも消費した分が埋まらないと普段の活動で手いっぱいなのです。

初詣に行き、親戚の集まりに顔を出し、家の掃除というかワックスがけを行い。
溜め込んでいた本や雑誌を消費し、病院にも行って。

その度に回復を待っていると、もう一月が終わっていました。

時間が経つのは早いですね。


しかもいい加減人に返さないといけない本やゲームを消費していたからなおさらです。

私は一つのことしかできないタイプで、やりはじめると朝から晩までそのことばかり考えています。
ゲームならずっとやっていて、食事やトイレでできないときも、次はどうしよう、こうしようと段取りを立てています。
本なら一日中読んでいられますし、読んでいない時もここまでの話を思い返したり、次はどうなるのかで頭がいっぱいです。

ブログの更新とか、そういう他のことはほとんど思いだしもしません。

なので本来私はブログとか、頻繁に更新するものって苦手なんですよね。
時間を作るというのは、何かの最中に中断することです。
これがなかなか難しいのです。

日常ルーチンにしてしまえばいいのですが、私は日常のルーチンはそんなに作れないのです。
朝や寝る直前みたいな他に何もできないときや、しない時くらいです。
こうしてブログ記事を書けるのは、書こうと決めていた時や他に何か熱中していることがない時くらいでしょうか。


ブログを書くことを軽んじているわけではないのですが、そこまで重いものにもしたくありませんし。


そのためこうして時間が空いてしまうわけです。
しかしこうして改めて自分を見直すと、やはり社会不適合者だなあという感想が浮かびます。

一回外出しただけで一週間ほど休みたくなるとか、現代社会にはどう考えても不適格でしょう。
一つのことしかできない、というのもよくないもので、学校行っているときは他に何もできませんでした。
毎日学校に行って帰ってくる、何とかその日々を終わらせるくらいしかできなかったわけです。
働きながら資格の勉強、とか休日には何らかのイベントや遊び、なんて到底できません。

それがわかっているから、現状無職なわけです。
働き出したら自分の人生なんて、何一つ確保できないでしょう。
週五日、何とか何事もなく行って帰ることで精一杯で、休日は回復に努める。
そんな日々を後は死ぬまで営々と繰り返すだけになります。
しかも学業よりもつらいものを、長期休暇もなしにです。

どう考えても自分にはそれはできません。



つくづく社会というものは、外れ者には厳しいものですね。
個性を大事に、皆違って皆いい等々……聞こえのいいことをCMやらドラマやら小説やら教育方針やらで言います。


しかし実際はどうです?

皆同じような服を着て、同じ時間に動き、同じようなことを言う。
そうでない人間はまともじゃない、浮いてるなどと言われ距離を取られる。
それだけならまだしも、大概の場合は人と違うというそれだけで攻撃の対象となります。

軽んじられ、詰られ、疎まれ、蔑視され……。
周りに合わせない、世間でいう一般ではない、普通ではないというだけで、社会はその存在をつるし上げます。

皆違っていいというわりに、何故違うことをすると責められるのか。
就職などで求められている人材も、個性がどうのと謳う割に必要なのは従順さですからね。
まず高校に行って、大学を出て、スーツ着て就職してサラリーマンに……この流れから外れた時点でろくでなし扱いされるのが日本です。

こんなもの、商品の大量生産と同じですよ。
安く手ごろな量産品を作る社会というコンベアに乗せられ、規格が違ったり型が合わなくなったものは廃棄品です。

そんな真似をしておいて、よく個性を尊重とか言えるものです。

皆と同じように、皆一緒に。

この言葉が蔓延り続ける限り、日本は衰退の一途をたどることでしょう。
建前、上っ面だけ、綺麗ごととしての「個性の尊重」……いつになったら日本は中身のある言葉を使えるようになるのか。

 


新年初っ端から辛気臭い話になりましたが、社会不適合者は不適合なりに、何とかまだ生きています。

今年もよろしくお願いします。


ほむ提督でした。

大晦日~1年の終わりを迎え~

大晦日~1年の終わりに~良いお年を


お久しぶりです、ほむ提督です。

ついに大晦日、今年もいよいよ終わりを迎えます。

終わりを目前とした今、様々な思いがこみ上げてきます。

何もできなかった後悔。
思い半ばどころか、何一つろくにこなせなかった苦しみ。

こんなはずじゃない。

まだやれる、もっとやれたはず。


満足に食事もできない体。

沈んでいく心。


思えば、楽しく、明るい気持ちになることはできないことばかりでした。


しかしこれを新年に引きずっていくのは、当然よくないことです。

辛く、苦しい闘病の年と言って過言ではない1年でした。
楽しい思い出など、振り返ってみると思いだせません。
ですが


もういい、言葉など既に意味をなさない


最後の最後まで、愚痴や不満を述べても仕方がありません。

それらをぐっと飲みこみ、せめて粛々と、この年の終わりを迎えようと思います。


このブログは、当初の想定より遥かに少ない記事数でありながら、想定以上の数の方が目を通してくれました。

そのような奇特な、ありがたい方々に厚く御礼申し上げます。


ありがとうございました。


どうか良いお年を。


ほむ提督でした。

アハ体験と悟り~フォースの暗黒面・ダークサイドの帳~

アハ体験と悟り~フォースの暗黒面・ダークサイドの帳~


お久しぶりです、ほむ提督です。

ちょこちょこ更新していこう、と思ったのもつかの間。
あれをしよう、これをしようと日々を過ごすうち、記事を書くことなど忘れ去ってました。


ですがふと気がついたことがあります。

私は記事を書くとき、何か記事として書けそうな題材を探します。
季節のこと、身の回りのこと、何でもいいので一つ話題になることをです。
それで何も面白い、書きたい材料がない時は書いていませんでした。

そもそも題材探しすらしないこともしょっちゅうですが。


しかし、これっておかしくないかと思ったわけです。

私は元々備忘録的に、当時の自分が何を考えていたのか。
どう考え、どう過ごしていたのかという自らの足跡を残そうと思い、ブログを始めました。
ブログという形態にしたのは、単なる日記では続けられないだろうとわかっていたからです。

また、同じように苦しんでいる誰かの助けになればと思ってのこともあります。
苦しんでいる最中、同じ苦しみを抱えた人のブログなどを見つけると嬉しいものです。

自分が異常なのではない、同じように悩み苦しむ人がいる。
それは自分を否定し、他者をも否定して迷う中、得難い肯定感であり、連帯感でもあります。
そんなささやかな助けとなれば、これはもうとても嬉しいことです。

そういうわけでブログを始めてみましたが、実際はこんな感じです。
しばらく間が空いたのは具合が悪かったため仕方がありません。
ブログところか、もう生きるの辞めたくなるほど病んでいたので。

 

しかし単純にさぼっている日も多いわけで。
毎日書かなければいけない、なんて決まっているわけではありません。
ですがそれにしても、もう少しねぇと思ったりもします。

そして書きたいこと、思うことはあるのになんでかな、と思ったわけです。
すると私のやろうとしたことと、やっていることがこれは少しずれていやしないかと気がついたのです。

備忘録とするなら、記事は何かの話題だけしっかりするよりむしろ、他愛もないことでいいのではと。
そして文量も一定程度必要だろうと思っていたのですが、こだわることもないかなと。


どうも自分で思い込みの枠を作り、そこに囚われていたようです。
暗黒面の帳ですね。暗黒面がフォースを曇らせ、真実を見抜けなくさせていたのです。

さて、この暗黒面とは、今最新作が上映されているスターウォーズに出てきます。ダークサイドいわば悪の勢力です。
その反対、正義に当たるのがジェダイなわけです。実際はそう単純に二分してはいけないのですが。
では暗黒面とは何かと一言でいえば、


執着


だと思っています。
ダークサイドについて、スターウォーズ内ではっきりと触れられてはいません。
というより、悪には「こうしなければならない」と決まりは必要ないと個人的には考えます。
なので明確に言及され得るものではないのでしょう。

一方正義とは、この場合ジェダイですが、それは悪に堕ちないように決まりを作ります。
この辺は法的正義や形式的正義がどうのと正義論になるので、ここでは割愛します。ジェダイは完全な正義でもありませんし。

とにかく正義、もしくは自らをそう信じている立場のジェダイは「ジェダイ・コード」という掟や、他にもいくつか掟や教義も持っています。
そこでジェダイは執着を持つことを禁じます。

ジェダイの教えは概ねが、ここに行きつくように思います。
他者に怒りを持つこと、個人に愛情を持つことなどを禁止するのも、それに執着することを戒めているといえます。

ですが愛情を持つことを禁じているからといって、非情になれと言っているのではありません。
むしろあらゆる存在を愛し、愛おしむようにせよと言っているわけです。
なのでその中の一つだけを特別視してはならない、と教えるのですね。
これはキリスト教でいうアガペー、無条件の愛、無償の愛の教えです。

所有を禁じる教えもありますが、これも根本的には同じことです。
全てに分け隔てなく、ということは何かを特別にしてはならない。
ひいてはその物や人、出来事や感情にも囚われてはならないということです。


もちろん思い込みや偏見にもです。
私が陥った視野狭窄の原因は、勝手に作り上げた「こうあらねば」という思い込みによるものです。
こういった思い込みや偏見はどこにでも転がっていて、気がつくと道を誤っているのです。


こういった暗黒面に囚われず、いかに自由な精神と綺麗な目でものを見るか。
これが大事で重要なことなのでしょうが、それだけに難しい。
仏教でいう八正道の考え方にあたるでしょうか。

これは涅槃、つまり悟りを開くための8つの項目である正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定のことです。
正しく見たり、考えたり、話したり聞いたり……といった教えです。

実は仏教と言うのは、本来宗教と言うよりも哲学の方が近いのではと常々思っています。
現在の仏教は神様(厳密には仏様)を敬い、祈っていればいいとか言っているのもいますが、こんなことブッダは言っていないのです。
そもそも仏陀の教えの中にはいなかった神様や仏様を後付けし、宗派争いなどをしている時点で仏教を名乗っていいのかとすら思います。

まあ今回は仏教の話は置いておきますが。


どうするのが良いことかわかったところで、暗黒面に対抗するにはもう一つ前段階があります。

それは、己が暗黒面に囚われていると知ることです。
思い込みや偏見はいけないという道理はわかってはいます。
しかし自分の価値感が凝り固まっていること、それ自体に気がつく必要があり、これがとても難しいのです。

こういったものは知らずして体に纏わりつき、いつの時代も人々を惑わせてきました。
常識、空気、普通……色々な言い方がありますが、その手のものがいつも人を、その思考を縛るのです。
これがなかなか曲者で、それを通常としていると意識すらできません。
なのでよく言われるのが、旅に出るということです。

旅と言っても様々ですが、よくインドに行くといい、人生観が変わるなんて言います。
それは価値観が国レベルで違うからです。ようは国外ということですので、厳密にはインドでなくてもいいでしょう。

しかし欧米、と言うか先進諸国は文化レベルや土台が同じため、海外でも一定程度基礎を同じくする面があります。
そこであえてそれらから離れた土地、その中でもインドは日本と大きく異なる社会や感覚を持つため、名が上がるのでしょう。

そうしてまるで違う環境に身を置くことで、ようやく自分を取り巻くものの姿が見えてきます。
けれど旅に出なければ気がつけないというわけでもありません。
気付きに良い方法としては、ぼんやりする時間を作るのがいいかもしれません。

 

私が自分の思い込みに気がついた時、思わず「あっ」と声が出ました。
こうして何かにふと気がついた時、どこか爽やかなすっきりした気持ちよさがありますよね。
いわゆるアハ体験です。


こんな体験は、ある時突然来るものかもしれません。
理屈はわかっていても、実感で身に付く瞬間です。

私の場合は、なんでブログが続かないのかぼんやりと考えていた際に、あっとひらめきました。
仏陀は瞑想の末に悟りを開いたと言われていますし、気付きに何か特別な行動は必要ないのかもしれません。
強いて言うのなら、頭を空にしてできるだけ無垢な頭になることでしょうか。
いつも予定や悩み事でいっぱいの頭を空にして、考えに執着しすぎないで考えること。


仏教でいうところの悟りとは、世界の真理に気がつくことだそうです。
ブッダの名の意味も、「(真理に)目覚めた人」という意味だそうですし。
つまり悟りとは、究極のアハ体験なのかもしれませんね。



長くなりましたし、話が飛びまくりな気もしますが、備忘録とはこういうものでしょう。
そういうわけで、これからは初心に戻って記事を書いていこうと思います。
適当に、力を抜いて。


ほむ提督でした。

日本でもクリスマス。その起源や由来、意味とは?~今年もやってくる~

日本でもクリスマス。その起源や由来、意味とは?~今年もやってくる~


こんにちは、ほむ提督です。

クリスマスが今年も来ますね。
準備、してますか?まだ早いですかね。
クリスマスツリー、クリスマスソング、プレゼント、ケーキ、デート、ディズニー、ホテルの予約等々・・・・・・

 


楽しみや期待は尽きませんが、一度クリスマスについて一応の理解はしておきましょう。


クリスマスは、イエス・キリストが誕生したことのお祝いで、キリスト教徒による祝祭が広まったものです。
それがさらに「冬至の祭り」と結びついたものが、現在のクリスマスという一大イベントのようです。
冬至の祭り」とは、冬至を境に日が長くなるため、それを太陽の復活であるとしてお祝いする祭りでした。


ですので、クリスマスとはChrist(キリスト)のmass(ミサ)という綴りなのです。



またクリスマスと言ったら欠かせないのが、ツリーです。
このツリー、モミの木なんですが、見ての通り葉が尖っています。
つまり針葉樹というわけです。学校で誰もが覚えたと思います。
そのうえ、紅葉することがない常緑樹でもあります。

この常緑樹と言うところが大事で、冬になっても葉を落とすことのないことから強い生命力を象徴するものとされました。
その寒さに負けない姿から、モミの木のような常緑樹も「冬至の祭り」に使われていたのです。
やがて「キリストの誕生祭」と「冬至の祭り」が一体化した際に、同じく取り込まれたのでしょう。


ちなみに、キリスト教以前の暦では日没を一日の境目としていました。
そのためいわゆるクリスマス・イヴと呼ばれる12月24日は、その夕刻から朝まで暦上はクリスマスと同じ日だったのです。
今では前夜祭扱いですが、元はクリスマスの始まりだったのです。


そしてキリスト教徒の多い欧米では、クリスマスはとても重要なものでもあります。
欧米ではクリスマス休暇とし、クリスマス前後大体20日あたりから休日になるそうです。
お店もほとんど閉店してしまうとか。証券会社なども休業し、取引をやめるそうですから入れ込みようがわかります。
第一次大戦では、クリスマスの間だけ停戦になり、クリスマスのお祝いをしたところすらあります。
戦時中でも基地にツリーを飾ったり、家族から基地にいる兵士にクリスマスカードが送られたりもしたようです。


そんな大事なキリスト教の祭りが、なぜ日本で年中行事として行われているのか。
気になりますよね。日本人の多くはキリスト教徒でもないのに、なんで?と。
そんな疑問にお答えすると


それは、日本人がお祭り好きだから。


ということになります。
実際そうとしか言いようがありません。詳しく調べたら違うのかもしれませんが。

日本にクリスマスが入ってきたのは、キリスト教が入ってきたのとほぼ同時期。
戦国時代頃に、宣教師が船でやって来たころです。
それと同時に、クリスマスも平民の間にまで徐々に広がり始めたようです。
初期の頃はあくまで「冬至の祭り」として行われていたそうですが、徐々にその建前もなくなっていったようです。


昭和辺りにはだいぶ浸透してきたといえます。
太平洋戦争の最中でも、クリスマスツリーの写真さえ残っているそうです。
これはだいぶ日本の行事として根付きつつあったといえます。

やがて企業などが販売促進のため、クリスマスを前面に押し出した商品の売り出しを始めます。
それも一因となり、今ではすっかりクリスマス商戦なんて言われるほどになっています。

ちなみに日本がチキンを食べるのは、ケンタッキーの仕業です。
ある日本在住の外国人が「日本では七面鳥は手に入らないから、ケンタッキーのチキンで祝おう」そう言って来店したそうです。



そのときKFCに電流走る……!

 


これだ、と思ったKFCは「クリスマスにはケンタッキー」とアピールを始めました。
欧米風に楽しむというクリスマスの過ごし方が徐々に日本に定着しつつあったところに、KFCが『クリスマスにはケンタッキー』をアピール。
欧米風が流行っていた時代もあり、それが的中したのです。
結果、今ではケンタッキーを超え「クリスマスにはチキン」とまでなっているのです。


なお日本ではチキンを食べますが、欧米では七面鳥です。
この七面鳥、実はアメリカの文化らしいです。
アメリカの開拓民が開拓途中で飢えに苦しんでいた時、インディアン(ネイティブアメリカン)から七面鳥が与えられ、飢え死にせずに済んだとか。
そのためアメリカ文化において七面鳥は、いわば「縁起物」としてクリスマス、結婚式などの祝い事に欠かせない食べ物となったそうです。
その風習がヨーロッパに伝わり、クリスマスには七面鳥!となったのです。

 


そんなこんなでクリスマスはすっかり日本に年中行事として定着したわけです。
ですが年末の日本は、宗教観の強い海外からは本当に頭おかしいでしょうね。
キリスト教のお祭りをやり、その1週間後には神道文化といえるお正月を祝い、おせちを食べます。
その後はお寺にお参りに行ったりするわけです。

近所にあるのが神社か、お寺かで違う人もいますが。
この考えがもうすでにおかしいのですけどね。

 

クリスマスは皆さんいかがお過ごしでしょうか。
ほむ提督は家で家族と過ごします、例年通り。
恋人と過ごされるという方もいるでしょう。
ホテルを取ってあるんだ、とかそんなドラマみたいなことしている人もいるんでしょう。


ですが欧米ではクリスマスは家族と家で過ごすものです。
仕事を休みにしてすら、家族と過ごすくらいです。
つまり恋人がいないから今年も家族と一緒、と悲しんでいる人。

安心してください。


その方が正しい、と言うか本式です。
我々の方が、本場風にやっているだけなのです。
何も気にすることはありません。



12月と言えば、一度クリスマスの記事は書いておかないとな、ということで今回はクリスマスについてでした。
体調が悪いので、今年はクリスマスのごちそうも楽しめそうにないのが、本当に残念です。


ほむ提督でした。

復活未だ遠く~忍耐の日々~

復活未だ遠く~忍耐の日々~


お久しぶりです、ほむ提督です。
大変ご無沙汰しております。

数か月ぶりの更新となりました。
何とか今も命を繋いでおりまする。


しかし相も変わらず不調は続いておりまして、今も毎日薬を3種服用しております。
それにくわえ、腹の調子を整えるための市販薬なども2種。
元気とは程遠い有様です。

それでもやや病状は安定しつつある、と思いたいところです。
辛い吐き気や腹部の膨満感などは、幾分か和らぎ、日々の暮らしが少しはましになりました。

そのため月が変わり今年もあと1年となったこともあり、久々の更新を思い立った次第であります。


最近、人々もするTwitterというものを、引きこもりニートもつぶやいてみむとてするなり。


やり始めたらブログより手軽で、こちらは具合がひどく悪い時もわりと続けられました。
Twitterとは、バカッターなるものもいるし、なんだか怖いものだと思っていたのです。
が、これがなかなかどうして、気軽でかつ人の想いや考えが様々見えるというのは面白いものです。

一方で、この気軽さが故に愚かな行為に走ってしまうのだというのもわかりました。
気軽、手軽はいいものの、過度な軽さになっていやしないか。
そんな疑問や恐怖すらわきます。過ちを犯すのも手軽と言うことですから、恐ろしい。
これは今のネット社会全般にいえることですね。

ただ個人的には、ダウンロード刑罰化などのように取り締まりすぎるのは逆に衰退を招く気もします。
ある程度混沌としていないと、新たなものは生まれにくいように思うからです。
実際YouTubeニコニコ動画で見た動画から、新たなことやものに興味を持つというのはよくあることだと思います。
それを奪い、あれもこれも禁止となると結局は知る人も興味を持つ人も減り、衰退に繋がるのではないでしょうか。

実際アニメグッズとかは売り上げが下がったりもしているようですし。
欲しいものは働けばすぐ手に入る時代ではない以上、どうしても興味が出ても絞っていかざるを得ないのでしょう。

またCD業界は売れないと騒ぎのようですが、それもやむを得ないでしょう。
耳にしないと知ることもなく、知りもしないものは買うことはないのです。
知るにしてもちょっと聞いてみようとか、ちょっといいな程度で物が買える時代ではないのです。

もはやかつてのように、音楽はCDかテレビ、もしくはラジオだけの時代ではありません。したがって低賃金、長時間労働などにあえぐ今の人々が、金と手間のかかるCDから離れていくのもわかります。


挙句に一番売れているのがAKBみたいな、福引券にCDがおまけでついているみたいな有様では。
正確には抽選券らしいですが、どちらにせよあれをCDの売り上げと言えるあたり大した面の皮の厚さです。


 

それはさておき、相変わらず体調悪い中、一応の復帰です。

現状、薬があっているのかやや体調は回復、といかないまでも落ち着きつつあります。
ここしばらく文字を書いたり、真剣に物を考えることから離れていました。
そのリハビリを兼ね、これからはちょこちょこ更新していけたらと思います。

しばらくは毒親アダルトチルドレンに関係ない、病気の療養記めいたものになりそうですが。


体が回復に向かう、仕事が来る等々、よりよい前途を祈って。

 


ほむ提督でした。

QMK~急にメールが来たので~

お久しぶりです、ほむ提督です。

 

題名の通り、はてなさんから急にメールが来たので、久しぶりに更新をします。

 

実を言うとまだ本調子ではないので、とりあえず生存報告的に。
そんなことが必要な人気ブログでもないし、ただの備忘録や日記程度のものですが。

メールで、そろそろ更新しませんか?とかされると、一応しておこうかな、しないとまずいかなという気持ちにさせられたので。

 

 

夏風邪は長引くものですが、夏のお腹の風邪も長引くようです。
体調を崩して早一月以上が経過しております。未だに食事の度に、今回は吐かないかという恐怖が抜けない私です。
そうなると好きだったはずの食事が、まるで楽しめなくなってしまい、そもそも胃の負担になるので量も食べられず、種類も食べられずと食事の質や内容ともに満たされない日々です。

そのため気力も欠けていき、気落ちしたままの一ヶ月ほどでした。
前回の更新から一月ほどたっているということで、今回はてなブログさんからメールが来て更新を促されたわけです。

その前回の更新からして、具合が悪くなったのが治ってきたとかいう程度のものでしたが、挙句にその後すぐにぶり返してしまいました。
二、三日の絶食をするほどの症状でした。治りかけで浮付いていた私を地獄に叩き落とす吐き気と腹痛……。
それが治ったのが一、二週間ほど前です。

ですがそこから少なくとも一週間は油断できませんでした。
何せ前回は治ったと思ってから一週間ほどでぶり返したのです。今回もそうならない保証はありませんでした。

しかし一週間たち、二週間たってもぶり返しはきません。
それどころか徐々に食べられる量が増え、種類も増えてきたのです。
このまま完治、希望の未来へレディ・ゴーッ!



とはなりませんでした。その三日後に再び襲い来る吐き気。
流石に、なんで私だけがこんな目に、と泣き言や恨み言が漏れました。

ですが吐き気がぐっとするものの、症状はだいぶ軽いのです。
現金なもので、これはどんどん良くなっている証拠だと思うとだいぶ調子が良くなりました。おかげでこうしてどうでもいい、個人的な近況を言い訳めいたブログに乗せられるわけです。

 

今回の件から私が得るべき教訓は、健康には気を遣えということです。

健康というのは当然のようで、実にありがたく、得難いものなのだということを実感しましたね。大病を患った人とかは皆同じようなことを言いますし、人は痛い目を見なければわからないとも言いますが、まったくその通りでした。

食べて、飲んで、動いて、寝るという当たり前のことが、当たり前にできる。
これはすごいことですよ。

失ってはじめてわかる、なんていうのは使い古された言葉ですけど、本当に失ってみて初めてありがたみを実感しました。
私自身、健康は大事なんて言葉の上ではわかっていましたが、実感はありませんでした。ですから無意味かもしれませんが、やはり伝えておきたいものです。


健康は大切です。
食べ過ぎ、飲み過ぎには気をつけること。
適度に運動をし、早寝して十分睡眠をとること。
食事の時はよく噛んで食べること、飲み物は冷たくしすぎないこと。

聞きなれた言葉ですが、これは本当に大事なことでした。

もうすぐ夏も終わりですが、これを読んでいる方がいれば、どうか体には気をつけてください。具合が悪くなってからでは遅いのです。

 

近況報告、ほむ提督でした。

きちんとした記事は、もうしばらく待ち体調が回復し次第です。