ACほむ提督の航海日誌2.9

アダルトチルドレンのほむ提督が、生きづらさを抱えつつもそれを克服し、生きていこうと孤軍奮闘する日々をまとめたブログ。 生きづらさからの脱却、毒親の典型的特徴を備えた親への対処法、内向的な人間の生き方などを模索しています。

小林麻央さん死去~34歳の生涯~22日夜自宅にて

「人生で一番泣いた日です」「お察しください」「心残りだと思う」「心配で心配でしょうがないんじゃないでしょうか」


歌舞伎俳優、市川海老蔵(39)の妻でフリーアナウンサー小林麻央さんが22日夜、都内の自宅で亡くなりました。
まだ34歳という若さでした。麻央さんは東京都出身で、バラエティー番組に出演したり天気情報のキャスターを務めたりなどで活躍しました。

平成22年、歌舞伎俳優の市川海老蔵さんと結婚。
その後は芸能活動を控えて子育てに専念していましたが、去年6月、夫の海老蔵さんが会見で、麻央さんの乳がんと闘病中であることを明らかにしました。
麻央さん自身は去年9月にブログを開設して、闘病生活や家族とのやり取り、日々の心境などを詳しくつづり、大きな反響を呼びました。
そのブログはイギリスの公共放送BBCに取り上げられるほどで、世界規模の影響を与えました。

しかし21日に容態が急変し、22日夜
ついにご自宅で死去されました。34歳でした。

ご冥福をお祈りします。

 


麻央さんはブログによると先月29日に退院し、在宅医療に切り替えていたようです。
これはもしかしたら、もう助からないと判断しての帰宅だったのでしょうか。
二つ前の記事で小林麻央さんについての記事を書いたこともあり、ショックです。


海老蔵さんの会見も、辛いものでした。
言葉にならない声を絞り出すような会見でした。

その一方で、マスコミの執拗なシャッター音。無神経で、無礼失礼と言いたい質問。
そういったものがひどく不愉快な会見でした。
少しでもお涙ちょうだいの話、言葉を引き出そうと、声が詰まる海老蔵さんを質問攻めにする姿のあさましさ。

麻央さんのどんな表情を思いだしますか、みたいに聞いておいて、海老蔵さんが全部だと答えるのです。
ですがそこで質問した記者はそんなこと聞いてないように、「笑顔ですよね?」なんてごり押しするんですよ。
我先にと質問ばかり、なんとか泣ける話を引き出そうとしていてどうにも不快でしたね。


上記題名に使った言葉は、全て海老蔵さんの言葉ですが、本当に重いものです。
子供たちについてまず会見で触れていて、「分かってると思うけど、分かってないところもあると思う」と。
母がなくなったことが理解できない子供たちの様子は、聞いているこちももらい泣きしてしまいます。

「どうすればいいのか、考えても考えても答えが出ないものだったと思う」「心残りだと思う」

麻央さんが子供たちを残していくことについて、どう思いどんなに辛かったか。
海老蔵さんの言葉からでも、子供を残していくことに麻央さんがどれほど苦しんだのかを察するに余りあります。
そして妻を亡くし辛い中で、母の死もよく理解できない年齢の子供たち二人を育てていかなければならない。
海老蔵さんも、何と重いものを託されたのか。



別に私は市川海老蔵さんのファンでも小林麻央さんのファンでもありません。
ですががんという重病に侵され、ついには離別を迎えてしまった家族に、芸能人も一般人もありません。
小林麻央さんは、がんの苦しみの中でもブログで闘病の様子を公開し、他の人を勇気づけるなど、病気と最後まで闘いました。
夫の市川海老蔵さんも、それを傍で支え続けましたが、それも並大抵のことではありません。

共に偉大なことだったと思います。


ですが一方で、これ以上関係のない人間がグダグダと語ることでもありません。
結局そのことで騒ぎたてれば、人の死をネタにして金に換えるマスコミと同類です。
それは嫌ですので、ただご冥福をお祈りするのみとします。

 

お悔やみ申し上げます。

ほむ提督/怒りのブログ更新

ほむ提督/怒りのブログ更新


最近更新が滞っているほむ提督です。
色々やること、やりたいことがあるとついついブログを後回しにしてしまい、時間がなくなります。
ブログも「やること」なんですが、どうしても記事に時間をかけてしまうので後にしてしまうんですよね。
その時間をかけないようにするために、数をこなさなくてはいけないので、できるだけ更新するべきなんですが、わかっているんですがなかなかできない。
そんなことだから上達しないんだぞと言われれば全くその通りなんですが。


そんなほむ提督でも唐突に更新したくなる時があります。
それが今回のような、何らかのエネルギーが強烈に生まれたときです。
今回は見ての通り怒りです。怒りを原動力にするとただの愚痴みたいになるのですが、かなりの熱量を持つ感情ですので書く勢いはつきます。

ではさっそく本題に入りたいと思います。

 

 

ものの言い方、聞き方



私は現状ほぼただのニートです。
犯罪を犯し捕まったら、名前の前に無職とつくのではないでしょうか。
一応ライターとして仕事もしていますが、新人、ど素人なので仕事をもらう以前の段階です。
シナリオを書いて応募したりとかしていますが、成果はまだまだ出ていません。
ちょっとしたブログなどの記事を書いてお小遣いを稼いでいる程度ですから、自称フリーライターと名乗れるかも怪しいところです。


そんな状態ですから、世間的に見て自分がまずい状態であることはわかっています。
ですが一方でこういう世界を一度自分で選んだ以上、最初の内はマイナスの一方だろうというのもわかっていました。
そもそもライターとしての勉強を実践、研究を繰り返して学んでいる段階ですから、すぐに仕事を受けられなくて当然です。
この世界一本で食っていくのか、とか悩みを感じているくらいです。


ただ、私は複数のことができないタイプなのです。
「バイトとかしながらやったら」とか言われますし自分でも思いましたが、バイトしたらバイトを無難にこなすためだけに一日の活力を使いきります。
まずそんな器用なことができていたら、学生の間に色々やっていたでしょうし、結末がわかりきっています。
また内向性でも書きましたが、内向的極まる人間ですので、外出して何かをすることにかかる労力やストレスが多数一般の方々よりはるかに多いのです。
一、二時間外出すると特に何もしていなくても、頭が重くなり発熱に似た状態になり、とてもそこから何かを頑張ろうという体調ではなくなります。


頭ではそういった事情を理解していても、「現状、世間から見ればただのニートだぞ」ということに焦りや不安もあります。
それでも親には何とか意見を聞いてもらえ、こうしてニートまがいの生活をしているのです。だから甘えといえばそうなのでしょう。そう言われれば何も言えません。言いたいことは色々ありますが。
ですがそれでも


ものには言い方というものがある


と思いませんか。


「今どれだけ稼いでるんだ? 稼げてるか? ん?」


うるさい、と思ってはいけないのでしょうか。

私がまだニートらしきことを始めて二か月たったあたりです。
不安や焦りもありつつ、それと付き合いながらやっていかねばと思っている所にこれですよ。

親に話をした際に、結果が出るまで一年は短くてもかかるといった話をして、そのうえで了解も得ました。
どうしてもしばらくかかるけど、初めてやりたいことをやるので、お願いだから黙って見守ってくれと。

ところがこれです。

あなたの一年は二か月なんですか、と。見守るというのは、すぐに成果が出ないとわかっているのに、あえて駄目だと言わせることですかと。
しかも真面目に聞かれるならともかく、酒を飲んで酔っ払い、へらへら笑いながら言われたら腹も立ちます。
挙句に「心配だったから」聞いてみたようで。


どこが心配しているんですかね。
どう聞いても煽っているだけでしょう。


一方で自分が不安に思うあまり、過敏に反応しすぎたかなとも思います。
実際しばらくはこの不安や焦りとうまく付き合っていかなければならないのですから、こんなことで一々爆発していてはいけません。
とはいえやっぱり、少しくらい察してくれと思うのは甘えでしょうか。
へらへら毎日遊んでいたわけでもないのに、将来のことも考えられない馬鹿だとでも思われているのでしょうか。


「今どんなことをしているのか気になったから」らしいですが、だったらそう聞けばいいんですよ。
稼げていないことに負い目や焦りがあって当然の相手に、「稼げてんのか?」とか笑って聞くことのどこにそんな意味があるんですかね。
「今どんなことしているんだ」と聞かれるなら、こちらも普通に答えられるのに、なんでわざわざ煽るような聞き方をするんでしょうか。



答え:無神経だから。


これにつきるんですよね。
ほむ提督はいわゆるアダルトチルドレンに分類されます。これは機能不全家庭で育ったことで、成人してもなお心にトラウマや生きにくさを抱えている人のことです。
その機能不全家庭を作る親が、子供に悪影響を与える親、「毒親」です。こういう無神経さもその毒の一つです。
相手が自分の子供だから、自分が優位だからこその無神経です。相手が他人であれば、そのくらいは多少気を回すでしょう。
親しき仲にも礼儀ありといえば、まあそう言うことでもあります。

 

まあこの程度の無神経さはどこの家庭の親も持ち合わせているかもしれません。
ほむ提督はいわゆる一般的な親や親子関係がわからないので何とも言えません。

今回のことで、そこまで反応しなくてもと思う人はきっといい親子関係を築けているのではないでしょうか。
何故か。それはこの件の問題が、親しき仲にも礼儀ありという話だけでは済まないからです。お金、ひいては生活や人生に関わるものであり、親子の絶対的関係に関わる話なのです。


親子の関係はどうしても絶対的な上下になります。親に出てけと言われれば、子は従うしかないのです。
まして私は今、親に甘えているという立場です。ほぼ無職ですから。
そこで成果がない、稼げていないと言わされる恐怖。想像できるでしょうか。
稼げてないならやめろ、やめて働くか家からでて行って一人でやれ。
そう言われてしまえばもうおしまいなのです。

そんなこと親が言わないと思える人は、正常で、幸せです。
私は全くそうは思えません。私はお年玉だとかをほとんど使わず貯めてきましたが、それはいざ出てけと言われた時のためです。
もしくは私が耐えられなくなり、家出をする時の資金にしようと思っていました。


親は自分を追い出したりしない、自分の味方になってくれる。
そんな親への無条件の信頼が、私にはありません。
親に愛されていると感じたこともなく、思ってもいませんでした。
私の意見は無視される以前に聞かれることもなく、親が決めたならそれに従うのが当然という家庭でした。

逆らうなら家からでていけ、と平気で言われてきました。そんな子はいらない、家に置いておかないと。
そんな風に育てられ、親が意見を翻して私を追い出さないとどうして思えるでしょう。

だからこそ、成果を問われると過剰に反応してしまうのです。
それに私が何か聞かれるのは、いつも良い成果を求めてのことです。試験の結果、進学先等々、親の期待に沿う良い答えを常に求められました。
そんな相手に成果がないと告げなくてはならないのです。事前にそのことはわかってもらったはずと思っても、恐ろしいことです。



こうして書くうちに頭の中が整理できましたが、アダルトチルドレンの生きづらさというものを実感します。

結局は親子関係や家庭の歪みが尾を引いて、人生のあらゆる場面で潜在的障害となっているのです。
愛されなかったゆえの自己否定感や、自己肯定感の低さ。要は自分自身すら自分を愛せない、信じられないのです。
また家や食事などを取り上げるぞ、などと脅しで支配されてきたため自分を抑圧して育ってきてしまいました。
そのためいつも無気力、無感動で、無力感や諦念に襲われています。また自己主張や感情表現も苦手です。
いつも親の望む結果を出すことを求められ、できないとひどく罵倒されてきたため、完璧主義者です。
失敗がひどく怖く、ゲームでうっかりミスしただけで、いてもたってもいられなくなるほど落ち着かなくなります。



こういうものが積み重なって、生きづらいという言葉に集約されるのでしょう。

本当に、生きづらいです。

 

私が親を愛するように、親にも私を愛してほしい

 


怒りから醒めて、いっそ悲しくなってきたほむ提督でした。

小林麻央さん闘病に七転八倒~ガン治療とQOL~

小林麻央さん闘病に七転八倒~ガン治療とQOL


お久しぶりです。ほむ提督です。
近頃忙しく、ブログの更新も止まっておりました。

ブログはあくまで好きでやっていること、つまりやってもやらなくてもいいものです。そう思っていると、どうしても空いた時間には休憩や娯楽を優先してしまいます。
ですが一応このブログは生業にしたいと目下鋭意努力中の物書きの練習でもあります。
それを思えば、本来は毎日更新して然るべきなんですよね。
それはわかっている、いるのになかなか手をつけられない。夏休みの宿題めいて困難な問題です。ほむ提督は結局学生の間、この夏休み宿題病を克服できませんでした。今もです。

習慣づけることによって継続する、という方法がよく聞かれます。
ですが私は習慣とかすごく嫌いなタイプというか、あれをしなければと決められるのがすごく嫌いです。
毎日朝起きてから自分の一日の予定を決めるくらいが好きです。なんというか自由でいたいのです。

普段の生活はむしろ毎日決まった動きを繰り返す派なんですけどね。
毎日決まった時間に起き、決まった時間に家を出て、同じ道を通り同じ位置で電車に乗る。そんな風に自分で決めたルーチンを繰り返すのが好きですし、それを崩されると尋常ではなく不快でブチ切れます。

発達障害の人は、自分で決めたルーチンを乱されるのをひどく嫌うらしいですが、自分もその辺は当てはまるなと思います。
自分でもちょっとおかしいぞ、と思うほど腹が立ち制御不能な怒りが高圧となり、肉の裡で膨れ上がったりします。
ひどく熱いものが、腹の奥から沸きあがってくる。


あひゃららららら


たまらず、叫んだ。
身体の内に眠る獣が、解き放たれようとしていた。

いいから更新だ!

獣は、ゴリラであった。

いいから更新。

そういうことになった。

 

 

そういうことになったので、今回は小林麻央さんのがん闘病のニュースをきっかけに、QOL(クオリティー・オブ・ライフ)について少し考えたいです。

QOLとは、そのまま人の人生の質や社会的にみた生活の質のことです。
生活の質のことではありますが、概ねその質の向上を目指す意味合いで使われています。QOLを意識して、という使い方をされますがそれは「生活の質を意識して、それを向上させることを念頭に置いて」という意味です。

割と最近、と言っても年を取ってきたので最近の幅が十年くらいになっているのですが、最近一般にまで一定の浸透をしてきた概念です。
この質とは身体的なものだけでなく精神的なもの、ひいてはその原因となる事柄にまで及びます。生活の豊かさや充実に加え、自己実現などの精神的充足も含めて広く「人生の質」を示す概念と言えます。

このように広義の概念であるため、政治や経済のみならず医療や労働など幅広い分野で使われています。

今回取り上げるのはその中でも特に医療についてです。
そのきっかけが上記で挙げたように、小林麻央さんのがん闘病のニュースです。

がん治療は近年目覚ましい進歩を続けており、今や不治の病ではなくなりました。
しかしその治療といえど未だ確実ではなく、また治療期間も長期にわたってしまいます。そこで問題となるのがこのQOLの問題です。


長期における治療、その負担は多くの面で人生の質の悪化に繋がります。
まずは当然身体の痛みです。がん治療は大抵抗がん剤による治療が行われますが、それは身体的な苦痛が多く伴うものです。
この痛みに耐えかねて治療の打ち切り、安楽死を望む患者もいるというほどですから想像を絶するものなのでしょう。
抗がん剤は強力な効果を持ちますが、それは同時に毒であるとも言え身体への負担を見ながら品を変えて投薬することになります。それもあり抗がん剤治療は長期にわたるのですが、その期間は1サイクル1から3週間でそれを二回三回、と繰り返していきます。

効果が出るのか、治るのかという恐怖や不安に加え薬により痛みを受けながらですから、この時点で大変つらいことです。

身体の痛みは当然精神的な苦痛にもなります。
夜も痛みで目が覚めるということも珍しくないそうですし、おまけに入院しての治療が主ですので、一人で苦痛に耐えねばならないのです。それもまた精神的な負担となります。そして夜も眠れない、痛みが続くとあれば寝不足になり疲労も貯まっていきます。疲労は精神にも悪影響を与えます。

最近は通院での治療や、副作用を取り除く治療なども増えてきたそうです。しかしそれらもいつ体調が急変するかなどの不安は絶えません。
抗がん剤の副作用は痛みのみではなく、髪が抜けるなどもよくあげられます。
これもまた精神的ダメージが大きいようで、目に見えて髪が抜け落ちていくことへの恐怖や髪の抜けた自分の姿にストレスを感じるようです。
さらに貧血や嘔吐、発熱に下痢に口内炎の頻発、やがては手足のしびれにまで至ることもあります。

明らかに病気の症状ですが、これが治療のための副作用なのです。
そのようなものに常に悩まされるため、当然患者の精神状態は悪化の一途をたどります。


このように多くの身体、精神的な苦痛を長期にわたり伴うのががん治療です。
ですがそれに耐えかねて死を選んだり、その後も生きる気力を使い果たして抜け殻のようになってしまっては、治療の意味がありません。


そこで意識され始めたのがQOLの考え方です。
ただ病気が治ればよいというのではなく、治療期間も患者の人生と考え、その充実も意識するよう心掛ける。その例が副作用の抑制であったり、外来での治療であったりという治療方法の変更です。

生きてるだけでラッキーだよ、だったこれまでより、更に一歩先へ行こうとする試みともいえます。その中には当然、患者本人のみならずその周辺の人間についても配慮が及びます。
患者を支える家族の精神的、経済的負担なども考慮する必要があるということです。


例えば今回の小林麻央さんの件では、マスコミのあまりの対応に批判が出ています。
命に関わる病気の闘病中であるにもかかわらず、その周辺や実家への張り込みや盗撮などが行われていたというのです。
あげくそれをやめるようお願いした市川海老蔵氏に対し、脅しとも取れる記事が掲載されたのです。
いわく


取材を自粛もしくは切り上げる条件として、私たち現場の取材者は海老蔵氏にこんなことを申し出るだろう。であれば、今後はご子息の襲名・ご披露に関する取材および舞台・公演の宣伝を自粛させてもらいます

とのことです。

辞めさせるなら、今後一切宣伝なんかはしないしさせないぞというわけです。
自分の闘病のために、夫や息子にこのような脅しをかけられた小林麻央さんの精神的負担は察するに余りあります。
病は気からと言いますが、苦しい闘病生活に加えてこのような仕打ちを受けていれば治るものも治りません。

こういったことがないようにするのも、治療の一環と考えるのが現在のQOLを踏まえた医療なのです。なおそれを医者や病院がするかは別の話です。仕組み作りなどは政治の範疇ですし。
さらに患者の治療費や入院費用などの諸経費、挙句に遺産など経済的な話なども考慮に入れなければなりません。
そういった諸々の事情も含め、治療期間も人生の一部としてより良いものにしていこう、というのが医療におけるQOLの考えなのです。



その点今回の小林麻央さんについてのマスコミについては、残念の一言に尽きます。
一般にも概念が浸透し始め、教科書にも載るようなことに真っ向から反することを行ったわけです。
マスコミではなく一般人であるなら、闘病中の患者周辺に押し掛け、あまつさえ脅しをかけるなど言語道断だとわかるはずです。
ですがマスコミは平気で行い、会見で自粛を要請されたにもかかわらず、なおも続けています。
知る権利、報道の自由などと言うお題目を掲げれば、そのような無法も通るとでも思っているのでしょうか。

近頃のマスコミの在り様には、疑念を抱かざるを得ません。

 


ほむ提督でした。

親に「親」をやってほしかった

子供には子供の言い分だってあるんだ!


継続するのが相変らず難しいほむ提督です。
やらなければ、と思うことはもうその時点であまり継続しませんよね。
やりたいと思っているうちは続くのですが、いつの間にかやらなければになっているという不思議。
やりたくなくてもやらなければいけないことは、だからいつも辛くて面倒なんですよね。やりたいわけではない、という感情がどこかにあるんですよ。
子供の頃毎日宿題やるとか、大人になっても仕事のため毎日英語の勉強するとか。健康のために毎日運動するとか、食事制限とか何でもです。

社会人になれば勉強をしなくていいと思う子供は多いかもしれません。
ですが大人になればなるほど時間は減るのに、学ばなくてはいけないことも何処からか湧いてきます。勉強しているだけで済むって言うことはありがたいことだったのだ、と今になり思い知らされています。
ただ子供の時より意味があるといえば語弊がありますが、どうして学ぶのか目的が明白であるといえます。

ただどちらにせよ、人は死ぬまで何かを学び続ける生き物なのだということでしょう。

生きているということは知ること


なんですね。


もっとも、子供は子供でその時特有の悩みや感じ方があるので、一概に子供の方が楽とは言えません。
アダルトチルドレンも何も関係なく、子供として親というか大人に言いたいことの一つです。

大人の立場と感覚で子供のことを考えるのは間違いです。


子供の時は自分達も大人に向かって腹を立てたり、理解してもらえず辛かったくせに、大人になるとみんな忘れてしまうんですよね。
色々なことを悩み、考えて大きくなってきたはずなのに、大人になると子供は楽でいい、子供の考えなんかたかが知れていると言いだす。
子供はかつてあなたがそうだったように、拙くともあなたが思うよりもずっと色々なことを考えて生きています。


ここからは大人というより親にと言えることですが

子供は他人


であるということを忘れないでほしいです。
他人というのは関係のない人という意味ではなく、あなたではなくあなたの付属品でも所有物でもないということです。

子供には子供の考えや予定や気持ちが存在します。
子供の考えなんて浅はかだという人もいますが、浅はかであってもそれをないがしろにする言い訳にはなりません。
この方が良い、これが子供のためだと思っても頭から子供の意見を無視し、否定するべきではありません。

子供は一つの人格を持った存在であり、別個の人間です。
あなたがいきなり、一方的に物事を決められたらどう思うでしょう。自分の意見など一顧だにせず、そもそも聞かれもせずに自分に関係することが決められていく。
不快感を覚えるのではないでしょうか。私にだって考えがある、私にも予定が、私はこうしたいのに。
そんな風に不満に思うのではないですか。

子供も同じですよ。


子供の言い分だってあるんだ!


私はガンダム宇宙世紀派なんですが、それでもガンダムXはすごく好きです。
地味だの不人気だの打ち切りだの言われますが、好きなものは好きなんです。
本来毎回使ったりして話を盛り上げる必殺技を、あえて「使わない」ことに重きを置くというのはなかなかできないと思います。
あと序盤でさらりと言われてますが、戦争前の100分の1まで人口が下がっているという重い世界観も好きです。
そんな中で生きてきたから、好青年に見える主人公も銃を向けられたら反射的に撃ってしまうとか。それだけ荒れた世界なのだと示していますよね。
こういった登場人物に血が通ったというか、細かい設定や動きが地に足がついた感じでいいのです。


それはともかく、その作品の中で好きな言葉があります。
主人公の仲間の中でも一番年長の医者の台詞です。


大切に思うのと、大切にするというのは似ているようで違う


というセリフです。一言一句合っているかはわかりませんが。

これはとても大事なことだと思います。
親と子供に限定することなく、全ての人間関係にも言えることですね。
大切に思い、そのために何かをする。それ自体はいいことです。
しかしそれで相手を大切にできているでしょうか。

あなたが大切に思っていても、伝わらないものは意味がないのです。
独りよがりの善意は時に悪意よりもたちが悪いものです。
自分は正しい、あなたのためにという思いがあるので、相手が嫌がっても気にしません。むしろどうしてわかってくれないの、と相手を非難するに至ることもあります。

相手のことなのに、何故自分の考えだけが正しいと思えるのか、コレガワカラナイ


感情にせよ考えにせよ、相手がいることは何でも相手に伝わらないと意味がないのです。大切に思っていようと、相手が大切にされていると思えなくては相手はそう感じません。
心を傷つけられて育ってきたアダルトチルドレンや引きこもり、ニートの人の親はこの辺が大概理解できていません。
子供はひどく傷つき、苦しみながら育ってきたのに、「あんなに大切に育ててきたのに」と本気で思っています。

今になってようやくわかった。なんでお母さんが私にああしてくれたか……。
そんなドラマみたいな話を期待しているのならやめてください。迷惑です。
わかってもらえるのなら、後と言わずその時わかってもらうのが一番です。
わかってもらえずとも、わかってもらいたい。何故ならこの方があなたのためだと思うから、つまり「あなたが大切だから」。
そんな気持ちが伝わればそれだけでも十分意味はあるのではないでしょうか。

考えまでもは理解されなくても、ともかく相手を大事に思っている、そのことだけでも伝われば意味はあるはずです。
完全に理解は得られなくても、そう思う気持ちがあなたにあることが相手に伝わる努力をするべきでしょう。


だからといって相手の意思を無視してはいけませんが。
あなたのためだからと一方的に押し付けることが、本当に相手を大切に、尊重しているといえますか。

相手は人格を持つれっきとした個人なのです。たとえ自分の子供でもです。

大切に思うからこうしなさいと言っているの、ではなく大切にするためにどうするかを考えてみるべきではないでしょうか。
難しいことかもしれませんが、もとより親になり人ひとりを立派に育て上げるとは簡単なはずがないのです。
本来仕事と一緒にすることではないと思います。


かつての子供は天からの授かりもの、という考えはいい考えだと思います。
今は産み分けやら妊娠日の調整やらで自分の好きなタイミングとか考えて産めてしまいます。だから子供は自分のもの、みたいな意識になってしまっている節があるのではないでしょうか。
子供は理想の家族生活、理想の奥さんお嫁さん像を叶えるための付属品ではありません。人格を持つ親の理想通りにはならない個人なのです。

親の方々には、いつでもそのことを忘れないように心がけていただきたいものです。

当日になっていきなり、「今日は出掛けるぞ」なんて言ってませんか。
些細な所からほころびが出てくるものですよ。子供に予定はない、子供は親が出掛けるといえばついてくるもの。そういう意識がどこかにあったりしませんか。

 

 

 

 

久しぶりに更新したと思ったら、また重い話になりました。
おかしい、こんなはずでは……。
本当はもっと軽めの話を書こうと思っていたのですが、変ですね。
題名も途中で書き替えましたよ。書いている最中に、これは違う方向に行くなとわかってしまったので。


まあ更新したのでとにかくよし!ということにしておきましょう。
ほむ提督でした。

継続は力なりとはいうものの 言うは易く行うは難し

継続は力なり 言うは易く行うは難し わかっちゃいるけど続かない、続けられない

 


徐々に暑くなり始め、季節の変化を感じます。
気温の変化や花粉などで大変な今日この頃です。
そのせいでブログの更新もめっきり減りました。いいわけなんですけど。

言い訳といえば、時々言い訳はしない(キリッみたいなのがかっこいいように扱う話を見ます。ですが言い訳というか、どうしてそうなったのかという話は理解や納得には一定程度必要だよなあといつも思います。
言い訳はしない、ということで自分はいい恰好できて満足かもしれませんけどね。
本当に責任とかを感じているのなら、相手にどう思われようが行動の意味や意義を話す努力は必要なのでは?


ということで、ブログの更新が減ったのは気温の変化や花粉症のせいだと言い訳してみました。実際そんな大人気ブログとかでもないし、自分の分を書く練習や備忘録の意味合いが強いのですが、言い訳として。

誰に言い訳しているのだろう、と思うときの言い訳は、自分の中の罪悪感とか良心に対してが多いです。なんか自分が言い訳めいたことを考えているな、というときは一度立ち止まって考えてみてください。
意外とこれが重要で、そういう何となく引っかかることが自らの本心や本当の望みを知らせるサインです。このサインを見逃したり無視したりし続けると、どんどん命が己から乖離していきます。



ほぼニートのような生活になってから思うのは、自分がいかに己の人生を生きていなかったかということです。

私の家庭は典型的な一般家庭です。日本では珍しくもない、本当によくある家庭です。
父親が朝早く仕事に出掛け、夜遅くに酔っぱらって帰ってくる。
母親は早く起きて朝食や弁当の準備などをしてくれ、日中は掃除など火事に励み時々パートに出掛けたりする。
サラリーマンの父と主婦の母というありきたりな両親です。
さらに父親は仕事仕事で家にはほとんどいなく、たまの休日は母に買い物のために車を運転させられる。
それ以外は寝てたり何か趣味らしきことをしている。母親はいつも口うるさく学校の成績、宿題、塾がどうのと怒っている。そんなどこにでもある家庭です。

そんななかに、毒親といわれる由縁、子供をその生涯にわたり苦しめる毒が潜んでいるのです。私の父はその年代に典型的な仕事人間で、朝早く出掛け夜は遅く休日も時々仕事の電話をしていました。
私は父が一定の年齢、役職になり職場が変わった最近まで、ろくに父親と会うことがありませんでした。朝は起きて朝食を食べる頃には父は食事を終え、学校に行く準備をする間にもう父は出勤しています。
夜は私が寝るのが早い子だったというのもありますが、小中学校の頃は寝る前に帰っている方が少なかったです。
高校くらいになると夜ふかしできるようになり帰ってきた父に会うことも増えましたが、基本酔っ払いで会話は不可能でした。
休日はさすがに食事は一緒になりますが、母と買い物に行くか外で趣味の庭いじりかでやはりそれほど同じ空間にはいませんでした。

そんな生活でしたので、私は父と話をしたことはろくになく育ちました。
未だにこの年でも父と二人にされると何を話していいのかわかりません。
またいずれ記事にしようと思いますが、父は仕事がひどく精神的にきつい時期や兄と折り合いが悪い時期がありました。その頃の父は些細なことでいきなりキレて大声で怒鳴り散らし、幼い私はひどく怖かったものです。
そのせいか未だに父はいつキレて怒り出すかわからず、それが怖くて接するのにはいつでもひどく緊張します。母が出掛けて父と二人なんてときは、いっそ父も一緒に連れて出てくれといつも思います。

 

そんなわけで家庭、というか親子関係に父が不在とも言える状況でした。
ですがこれはあまり私世代では珍しくないのです。仕事人間の父親が家庭を顧みない時代だったようです。ですから家には母親と子供だけなのですが、兄は学校の成績こそ私より悪いものの生きる力のある人でした。
要領よく飄々としたところのある人で、母が何度怒り怒鳴っても何食わぬ顔でよく出かけていました。
私は昔から親の言うことをよくきくいい子でしたので、とてもそんなことはできなかったです。
兄のこういう、勉強とかではない生きる上の力は本当に今でも羨ましいです。どこででも生きていけるタイプなんですよね。

これで兄もいなくなった家庭には、母と私の二人きりです。この母は典型的な教育ママであり、お受験ママでした。
一般的なと言う通り、世間的には勉強していい高校、いい大学に行って公務員になるのが幸せ、みたいなモデルができ始めた頃でした。
自分が働いていた当時は珍しい、女性で理系のうえ最新技術だったパソコンなども使うキャリアウーマンだったせいもあるでしょう。

なので学校の成績が悪くはないが望む域でもない。そのくせよく出かける、つまり遊んでいる兄には当然不満を感じていました。
一方で家庭を顧みない父への不満もずっと貯めてきました。もっと幼い赤ん坊の頃の育児すら手伝わなかったそうですから、やむなしという気もします。

そこに親の、というよりもっぱら母親の言うことをよくきいてくれる子が一人いるわけです。望む通りに学校の成績はいつも良く、父や兄のように母を置いて遊びに行かない子供です。母親の望みが集中するのもわからなくもないでしょう。

私は気がつくと母のそういった願いを受け止める器と化していました。
母の言うことを聞いていい成績を取り、習い事もきちんとして、母親の話を聞いてくれ、母親の面倒を受けないと生きていけない。そういう母が望む理想の子供を演じることを

強いられているんだ!


最後がおかしいと思う方がいるかもですが、こういった一般的な教育ママや家庭に縛られた母にはよくある望みのようです。
自分の存在理由を求めるようなもので、この子は私がいないとダメだから、この子を育てるのが私の使命。そんな感じで自分の人生に意味を持たせるために、子供が自立してしまっては困るのです。
子供に勉強や習い事をさせ、立派に育て上げる理想の母親を演じるための小道具みたいなものです。

どう強いられたかというのは色々あります。塾などの習い事も、よくある話ですが行かされましたし。
例えば私は部屋から出ているときはタイマーで時間を計られ、それ以上の休憩を認められませんでした。鳴ったら早く部屋に戻って勉強、というわけです。つけずに下にいると、何遊んでいるのと叱られたものです。
おかげで未だに私は食事以外で部屋から出ることはほとんどないです。もう体に染みついているのです。部屋から出てはいけないと。
家族でリビングでくつろぐなんて、別世界の話ですよ。部屋から長い間でていると怒られるんですからね。


また学校の成績も、テストで80点以下を取ろうものならひどくののしられたものです。何やってたの、とかちゃんとしなさいとかヒステリックに叫ばれるのが、ひどく怖く辛かったです。
今時の子は失敗に弱い、とか言われますが私も失敗には弱く、何より失敗することが怖い。失敗、ようはテストで一度でも、少しでも低い点、それが78点とかでもものすごく詰られ罵倒されたからです。
大学生になっても、試験を受けるときはいつも失敗したらどうしようと胃が痛くなりました。こうなると最終的には、何か新しいことに挑戦することがなくなります。
何かをすれば失敗する可能性があるからです。失敗すると怒られ、怖くて傷つく。なら何もしなければいい。無意識の内にそう考えるようになります。

 

このように色んな恐怖や痛みで縛られ、理想のいい子を演じざるを得なくなっていったのです。また子供と親の絶対的関係も問題でした。世間の親はあまり深く考えていないですが、子供にとっての親の存在がいかに大きいかという話です。
子供にとって親は最も身近な大人であり、保護者であり、わからないこともできないことも親に聞けば解決する、そんな絶対者なのです。
これは幼い赤ん坊だけでなく、ある程度の年齢になってもどこかで無意識的にそう捉えている節があります。
そこで親は正しい、親の言うことを聞いていればいい。絶対者にそういわれて育つと、ある程度自我が確立してもなお親の支配下に置かれてしまうのです。
親と違うことを思うと、自分の考えや感じたことの方が間違っているのだと、意識無意識の両者あるいは片方で考えてしまうのです。
その結果、本当はやりたくない。本当は辛い。そういった本心の、自らのサインを黙殺あるいは排除してしまう。

 

私は本当に最近になって、自分の本心だとかそういったことに気がつけました。
普通ならもっと早く気がつき、親に反発したりするのでしょう。それが反抗期です。
私は反抗期らしい反抗期はありませんでしたし、何より親の言う通りに生きるのが正しいのだとずっと思っていました。

言われた通りに勉強し習い事に行き、親の指示した高校大学を出て、家から通える職場で働く。できれば公務員になる。
そう言われ続けていましたから、自分の人生はずっとそうなるのだろうと思っていましたし、それ以外の人生など考えたこともなかったのです。
進路や将来のことに悩んだりなんて一度もしたことがありませんでした。
何故なら、もうどうするべきか決まっていたからです。
私にとってそれは自分の考えることではなかったのです。

 

 

ひどいものですよね。
自分の人生なんかまるで生きていない。そもそも思考が停止していたわけで、哲学的ゾンビみたいなものです。
今になって、本当はあの時辛かったんだな、とかやりたくなかったのにとか、そう言うことに気がつくのです。
アダルトチルドレンの治療として、このように過去に本当はどう思っていたのかの確認が行われます。

ですがこれはアダルトチルドレンでなくても、大事なことです。
とかく忙しない世の中で、私達は自分の心や本心のサインを無視しがちです。
しかし無視して生き急いだ果ては、取り返しがつかなくなってからの後悔です。
本当はあのときああしたかった、こうしたかったと後になってわかっても、もうどうしようもないのです。
取り返しがつかなくなる前に、世間や常識、親や他人に惑わされず、己の心や望みに向き合ってみるべきです。
早ければ早いほど、取り戻せる可能性は高くなると思いますよ。


 

これブログを更新しなかった言い訳から始まった話です。
本当はしなくちゃいけないな、と思いつつ後回しにしてたから己の良心の痛みに勝手に苛まれているのです。ですが夏休みの宿題とか普段の予習復習とかと同じで、毎回そう思うんですけどやらないのですね。本当はやらなきゃと思うのに。
夏休み前は必ず先に終わらせる、と思うんです。試験前になるといつも、普段から勉強しておけばと思うのです。

わかってても、言うは易く行うは難しというわけです。心のままに生きるとか、かっこいいけどそういう訳にもいかない世の中です。
自分のことだというのに、ままならないものですよね。

連休の過ごし方 花見に旅行、読書と引きこもり、いつも渋滞

連休の過ごし方 花見に旅行、読書と引きこもり

 

連休明けの憂鬱な一週間目、みなさんいかがお過ごしでしょうか。
私はどうにもやる気が出ません。すっきり意識や気持ちを切り替える、というのは難しいものです。
とりあえずそれでも動き出さねば、ということでブログの更新から始めてみます。


提督らしく、錨上げ!出港!というところでしょうか。それ以前、船に火を入れろ、出港準備という段階かもしれません。
しかも遠洋に出るでもなく、近海で航行練習のみ、くらいの気持ちです。


そういうわけで、とにかく記事の方を書いていこうと思います。

さて、連休の過ごし方というわけですが、今更という話題です。
ですが連休などの休みの後

もっとああしていれば

そう後悔することはありませんか。私は時々あります。
連休など長い休みになればなるほど、この後悔が頭をもたげてきます。
そんな方に向けて、特に内向性型の人に向けての話です。



私は内向性の強い人間です。
内向性人間の特徴として、何もしない時間、一人で静かに過ごす時間が必要であるという点があります。
休みになるとどこかに出掛けたり、何かをしたりして

ああ、楽しかった。いい気分転換になった。
明日からまた頑張ろう。

という風にはなかなかならないです。
もちろん楽しくない外出だから、というのではありません。
興味のあることのための楽しい外出もあります。ですが終わると、ああ疲れた、となりがちです。

これも内向性の特徴として言われています。
外出して活動したあとは、たとえそれが楽しい体験であっても、消耗したと感じるのです。
ですから、楽しい外出でも終われば疲労がどっしりとのしかかり、明日から頑張ろうとはとても思えません。

楽しいイベントや予定で忙しい週末より、何もすることのない週末を選ぶのも内向性の特徴と言われています。
私はもろにそうです。楽しくても忙しいより、何もなくていいので一人で静かにしていたいのです。

ですがここで社会とのずれが発生します。
社会、世間では連休は旅行花見など、多くのイベントが行われる時期です。
そしてそれをさぞ素晴らしく、連休とはこうするものだと言わんばかりです。
そのために、どうしても惑わされてしまうのです、普通、世間並みとかいうまやかしに。


ですが考えてみてください。
休みの過ごし方なんか人それぞれ、良いも悪いもないものです。
何かが終わった後に、もっとああしていればというのは何事にもあります。
ですが休みにおいて、世間で言われていることをしなかったからと、何か間違ったような気になる必要はありません。
大事なのは自分が休めたかどうかです。

外向性の強い人は外に出て、買い物や遊びなどイベントをこなすことで刺激を受け、活力を得ます。
内向性の強い人は、一人で静かに過ごして活力を得ます。
人により元気の出し方が違うというだけの話です。

ではどうして惑わされてしまうのか。
それは以前にも内向性の話をした際に触れた気がしますが、社会が外向性の人向けにできているからです。
例えば多くの人が意識無意識に影響を受けている存在に、テレビがあります。
しかしその成り立ち、構成を考えてみてください。
あれは


番組の間にCMを流しているのではありません。
CMの間に番組を流しているのです。


この基本的なことを、私達は時折忘れてしまいます。
テレビ番組とは究極的には、CMを見せるためのつなぎでしかないのです。
しかもその番組すら言ってみれば宣伝なのです。


番組を作る会社があり、そこに資金を提供する複数の企業などがあります。
彼らは出資者であり製作者ではありません。
しかし製作者は資金提供を受けている以上、その意向をある程度反映させなくてはいけません。その結果できるのが、旅行や買い物、食事に遊びにといった様々なことに興味を抱かせる番組です。

それを前面に打ち出しているか否かに関わらず、多かれ少なかれ、テレビ番組にはそういった部分があります。
つまり宣伝を含む番組、宣伝、番組の繰り返しとなっているわけです。
ご飯をおかずにご飯を食べるみたいな話ですね。
つまり


あいつらは! 何億という金をかけて!人々の脳みそにサブリミナルメッセージを送り、 思考を操作してるんだ!
俺は中退したけど短大にも通ってたんだ!専攻は心理学だった。だから分かる!これは企業の陰謀だ!!



概ねこれで間違っていません。
企業はテレビ雑誌ネットなどを通じて人々に何らかの興味を抱かせ、金を使わせようとしているのです。
企業は利益を求める団体であるということを踏まえれば当然のことです。
そしてそのターゲットが外向性の強い人なのも当然です。

私のような内向性の強い人間は、はっきり言って不経済な存在です。
休みに一人で部屋で本を読んだり、寝転がりぼんやりとしていれば十分なんていうのは、経済に何ら寄与しない存在です。
なので企業はあの手この手でメッセージを送り、人々を少しでも外に出そうとするのです。

外に出て金を使え利益を上げさせろというわけですね。


少し闇の深い話をすると、社会が外向型向けなのもそれが理由です。
金を使う人間が多い方が企業や国には都合が良いのです。
企業は自らの提供するもので利益を得られ、国は税などで収益を得られるわけですから。

そして企業が自分達に利益のある、都合のいい政治家に金を渡し、政治家は更なる金と権力のために仕事をする。
そこで先ほどのテレビ番組のように、自分に資金提供してくれる企業への配慮も当然しなければなりません。
根回しするにも金が要りますし、単純に懐を温めるためにも、提供を続けてもらいたいですからね。

世間の上、上流部分ではそういった仕組みが存在します。それこそ戦後あたりからある仕組みです。
昔から政治家、企業、医者にやくざというのはがっちり絡み合っているものです。表で振るう力が権力、警察などで裏がやくざというわけです。
その仕組みにのっとって、互いに都合のいい外向型の人間を中心に据えた社会が構成されていくわけです。
まああまり詳しいことまでは書きません。
詳しい話をすると「誤って豚足を喉に詰まらせたことによる事故死」してしまうので。
悪しき政治家の命を受け、悪徳マッポがのっぴきならない暗黒メガコーポを守っているのだ。何たるマッポーめいた暗黒体制か!

おお、ブッダよ!寝ておられるのですか!



企業のこういった宣伝以外にも、気になってしまうことといえば人の話です。
誰かがこんなことをした、どこそこに行った、あんなことをして楽しかった。
そんな話をしていると、自分も何かすればよかったかなと思ってしまうものです。
ですが外向性の強い人の方が、声が大きい(物理的な話ではなく)ので耳に入りやすいだけです。

内向型の人の共感できる、静かな過ごし方をしている人はまずあまり聞こえるように話をしません。
親しい数人と話すことがあっても、積極的に休みの内容についてまでは話さない人が多いです。そのため耳に入りにくいだけで、聞こえれば内向型の人の多くはそちらに心を動かされるでしょう。

まずそもそも人の過ごし方が良く思えるのは、隣の芝生は青く見えるようなもので、よくある現象にすぎません。
もしくは食事に出掛けると他の人が食べている料理の方が、自分の選んだものよりおいしそうに見えるあれです。
ただの錯覚なので、あまり気にしない方がいいでしょう。

休みが終わってからふと、あれをした方が良かったのではないか、自分は休みを無駄にしたのではないかと思うこともあります。
外向内向関係なく、他にも何かやれたんじゃないかと思う場合です。
そういう場合は、自分が休み明けだということを思いだしてみてください。
あなたは休みを過ごし、活力を取り戻したなのです。だからそのように思えるのです。思うだけの余裕ができたと言えます。
活力を取り戻す最中の、休みの間とは自分の状態が違うのです。

当時のあなたには休息こそが最良でしたが、その休みを経たから後になって、何かをした方がよかった、したかったという後悔のようなものをするのです。
できない、しようと思わないほど自分は疲れていたのだな、と自らの状態をきちんと認識して無駄な後悔はしないことです。

 

 

そんなわけで、ここまで連休の過ごし方について述べてみました。
早い話、人それぞれで、みんな違ってみんないいというだけです。
旅行と引きこもり、花見と天井の染み数え。どちらも人によって価値が違うのです。終わってからああしたらこうしたら、というのも無意味です。
休み前と後ではもう前提条件から違うのですから、勘違いしてくよくよしたらもったいないです。
どうせ思うのなら、まあまあ悪くない休みだったかな、と良い風に考えた方が健康的ですよ。

 

 

天気がしばらく悪いというのもあって、気が滅入りますね。
休み明け、未だに気合が入らないほむ提督でした。

初の米艦防護、護衛艦「いずも」出港! 房総半島から四国沖まで

初の米艦防護実施、護衛艦「いずも」出港―房総半島から四国沖へ

 

 

海上自衛隊最大級ヘリコプター搭載型護衛艦いずも」(1万9500トン)が1日午前10時ごろ、横須賀基地(神奈川県)を出港しました。
いずもは横須賀基地を出港後、午後には米軍補給艦と合流し、千葉県の房総半島沖から四国沖まで護衛する予定です。
海上護衛ということで、当然ですが攻撃を受けるなどした場合、必要最小限の武器使用も認められています。

いずもは平成27年に就役したヘリコプター搭載護衛艦DDH)で、いずも型護衛艦の1番艦です。
2017年現在、2番艦の「かが」と共に海上自衛隊では最大の護衛艦となります。ヘリ搭載型という最新型空母のようなもので、搭載したヘリコプターで対潜水艦の哨戒などを行います。

その後米軍補給艦は日本海などに向かい、弾道ミサイルを警戒監視中の米イージス艦カール・ビンソン、共に行動する艦隊への燃料補給などを行うとみられます。
この任務は友軍の補給を支援するものであり、合同訓練と同様に極めて重要なものであるといえます。

今回の出港は安全保障関連法に基づき、自衛隊が米軍艦船を守る「米艦防護」を行うためです。
米艦防護は自衛隊に新設された「米軍等の武器等防護」に基づくもので、安保法施行により可能になりました。
日本の防衛のために活動する米軍などの艦船や、航空機を対象に実施できます。なお、一応戦闘が行われている現場では行わないということになっています。


米艦防護は、昨年3月の同法施行後初めての実施となります。米軍の要請を受け、稲田朋美防衛相が命じました。
北朝鮮との関係が緊迫する中、新任務の実施で日米同盟の結束を顕示すると共に、共同訓練に続き日米の連携を深め、北朝鮮をけん制する狙いがあります。

これ以後の「米軍等の武器等防護」の対象としては、北朝鮮の弾道ミサイル発射をに対応すべく警戒中の米イージス艦。そのイージス艦などを後方支援する補給艦、日米共同訓練などへの適用が想定されています。

安保関連法による新任務としては、南スーダン国連平和維持活動(PKO)での、派遣部隊の「駆け付け警護」などが話題になりました。
しかしこれまで任務が実施されたことはなく、今回が同法に基づく初めての実施となり、これを機に運用が本格化する可能性があります。


また、いずもは護衛を終えた後シンガポールに向かい、そこで開催される国際観艦式に参加する予定のようです。

 


また騒がれそうな事態ですね。

正直このニュースを見たときは、またどこかや誰かが騒ぎ出すだろうな、とまず思いました。米軍を護衛するために自衛隊が出動するわけですからね。
戦争に加担するのか、とかアメリカの犬めとか。そういったいつもの批判が出るかな、と。こういった話題は変な人や粘着する人が湧くのであまり触れませんが。


私としては、ただ無事に行って帰ってくることを祈るばかりです。
ミサイル発射は失敗した、とは聞かされていますが実際がどうなのかは一国民には分かりません。そして失敗にせよ何らかの実験だったにせよ、実弾が撃たれ緊張が高まっているのも事実です。

対潜警戒もできるヘリ空母が抜錨ということで、北朝鮮潜水艦の攻撃なども想定しているのかもしれません。


敵の潜水艦を発見!

ダメだ!


本当潜水艦とかいらないので、何事もなく警護を終えてほしいものです。


また以前も書いた気もしますが、アメリカとの関係や戦争がどうだというのは自衛隊の方々にはどうにもできないことです。
どうせ声をかけるなら批判や罵りではなく、無事で帰って来いと激励や祈りをかけてあげてほしいです。


しかし自衛隊関係は、実にニュースになりませんね。
なんかやってはいるものの扱いが小さかったり、目立たなかったり。
本来割と重大なことなので、目立つようにするべきではないのかと思うのですけどねえ。気がつくと、こうしてました、とかこんなことがありました、と後から知ることが多いんですよ。

日本のために文字通り命を懸けている人たちなんですから、こそこそと隠すようなニュースはどうなのでしょう。
お前が見ていないだけだ、という批判があるかもしれないですが、私は一般的なニュースの時間にニュース見てます。
朝や夜の6から8時くらいのです。大体多くの人はこのあたりにテレビつけるのでは。朝夕のご飯時ですからね。



徐々に高まっていく緊張が恐ろしいですね。
風呂にいたため、昨日の地震が結構怖かったほむ提督でした。

 


ちなみに今回の護衛艦いずもの先代は

名前は出雲ま……じゃなかった

日本海軍の装甲巡洋艦出雲型の1番艦「出雲」です。
似た名前に僕らのヒーロー出雲マンがいますが、こちらは正しくは出雲丸で貨客船、つまり民間商船です。
相方のヒャッハーさんが言っている様に、商船改造空母として戦うことになってしまいましたが。

出雲は実に45年ほども現役の歴戦艦であり、大正天皇が乗艦する御召艦を務めたこともある名誉ある艦です。
出雲という名自体が出雲大社に代表されるように、日本神話などにも深く関わる日本国伝統の名です。
その名を受け継いだ名誉ある艦から、更にその名を受け継いだのが護衛艦「いずも」なのです。

そんな良き名を背負った艦が、乗員全員と共に無事に日本に帰還してくれることを祈ります。