ACほむ提督の航海日誌2.9

アダルトチルドレンのほむ提督が、生きづらさを抱えつつもそれを克服し、生きていこうと孤軍奮闘する日々をまとめたブログ。 生きづらさからの脱却、毒親の典型的特徴を備えた親への対処法、内向的な人間の生き方などを模索しています。

大晦日~1年の終わりを迎え~

大晦日~1年の終わりに~良いお年を


お久しぶりです、ほむ提督です。

ついに大晦日、今年もいよいよ終わりを迎えます。

終わりを目前とした今、様々な思いがこみ上げてきます。

何もできなかった後悔。
思い半ばどころか、何一つろくにこなせなかった苦しみ。

こんなはずじゃない。

まだやれる、もっとやれたはず。


満足に食事もできない体。

沈んでいく心。


思えば、楽しく、明るい気持ちになることはできないことばかりでした。


しかしこれを新年に引きずっていくのは、当然よくないことです。

辛く、苦しい闘病の年と言って過言ではない1年でした。
楽しい思い出など、振り返ってみると思いだせません。
ですが


もういい、言葉など既に意味をなさない


最後の最後まで、愚痴や不満を述べても仕方がありません。

それらをぐっと飲みこみ、せめて粛々と、この年の終わりを迎えようと思います。


このブログは、当初の想定より遥かに少ない記事数でありながら、想定以上の数の方が目を通してくれました。

そのような奇特な、ありがたい方々に厚く御礼申し上げます。


ありがとうございました。


どうか良いお年を。


ほむ提督でした。

アハ体験と悟り~フォースの暗黒面・ダークサイドの帳~

アハ体験と悟り~フォースの暗黒面・ダークサイドの帳~


お久しぶりです、ほむ提督です。

ちょこちょこ更新していこう、と思ったのもつかの間。
あれをしよう、これをしようと日々を過ごすうち、記事を書くことなど忘れ去ってました。


ですがふと気がついたことがあります。

私は記事を書くとき、何か記事として書けそうな題材を探します。
季節のこと、身の回りのこと、何でもいいので一つ話題になることをです。
それで何も面白い、書きたい材料がない時は書いていませんでした。

そもそも題材探しすらしないこともしょっちゅうですが。


しかし、これっておかしくないかと思ったわけです。

私は元々備忘録的に、当時の自分が何を考えていたのか。
どう考え、どう過ごしていたのかという自らの足跡を残そうと思い、ブログを始めました。
ブログという形態にしたのは、単なる日記では続けられないだろうとわかっていたからです。

また、同じように苦しんでいる誰かの助けになればと思ってのこともあります。
苦しんでいる最中、同じ苦しみを抱えた人のブログなどを見つけると嬉しいものです。

自分が異常なのではない、同じように悩み苦しむ人がいる。
それは自分を否定し、他者をも否定して迷う中、得難い肯定感であり、連帯感でもあります。
そんなささやかな助けとなれば、これはもうとても嬉しいことです。

そういうわけでブログを始めてみましたが、実際はこんな感じです。
しばらく間が空いたのは具合が悪かったため仕方がありません。
ブログところか、もう生きるの辞めたくなるほど病んでいたので。

 

しかし単純にさぼっている日も多いわけで。
毎日書かなければいけない、なんて決まっているわけではありません。
ですがそれにしても、もう少しねぇと思ったりもします。

そして書きたいこと、思うことはあるのになんでかな、と思ったわけです。
すると私のやろうとしたことと、やっていることがこれは少しずれていやしないかと気がついたのです。

備忘録とするなら、記事は何かの話題だけしっかりするよりむしろ、他愛もないことでいいのではと。
そして文量も一定程度必要だろうと思っていたのですが、こだわることもないかなと。


どうも自分で思い込みの枠を作り、そこに囚われていたようです。
暗黒面の帳ですね。暗黒面がフォースを曇らせ、真実を見抜けなくさせていたのです。

さて、この暗黒面とは、今最新作が上映されているスターウォーズに出てきます。ダークサイドいわば悪の勢力です。
その反対、正義に当たるのがジェダイなわけです。実際はそう単純に二分してはいけないのですが。
では暗黒面とは何かと一言でいえば、


執着


だと思っています。
ダークサイドについて、スターウォーズ内ではっきりと触れられてはいません。
というより、悪には「こうしなければならない」と決まりは必要ないと個人的には考えます。
なので明確に言及され得るものではないのでしょう。

一方正義とは、この場合ジェダイですが、それは悪に堕ちないように決まりを作ります。
この辺は法的正義や形式的正義がどうのと正義論になるので、ここでは割愛します。ジェダイは完全な正義でもありませんし。

とにかく正義、もしくは自らをそう信じている立場のジェダイは「ジェダイ・コード」という掟や、他にもいくつか掟や教義も持っています。
そこでジェダイは執着を持つことを禁じます。

ジェダイの教えは概ねが、ここに行きつくように思います。
他者に怒りを持つこと、個人に愛情を持つことなどを禁止するのも、それに執着することを戒めているといえます。

ですが愛情を持つことを禁じているからといって、非情になれと言っているのではありません。
むしろあらゆる存在を愛し、愛おしむようにせよと言っているわけです。
なのでその中の一つだけを特別視してはならない、と教えるのですね。
これはキリスト教でいうアガペー、無条件の愛、無償の愛の教えです。

所有を禁じる教えもありますが、これも根本的には同じことです。
全てに分け隔てなく、ということは何かを特別にしてはならない。
ひいてはその物や人、出来事や感情にも囚われてはならないということです。


もちろん思い込みや偏見にもです。
私が陥った視野狭窄の原因は、勝手に作り上げた「こうあらねば」という思い込みによるものです。
こういった思い込みや偏見はどこにでも転がっていて、気がつくと道を誤っているのです。


こういった暗黒面に囚われず、いかに自由な精神と綺麗な目でものを見るか。
これが大事で重要なことなのでしょうが、それだけに難しい。
仏教でいう八正道の考え方にあたるでしょうか。

これは涅槃、つまり悟りを開くための8つの項目である正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定のことです。
正しく見たり、考えたり、話したり聞いたり……といった教えです。

実は仏教と言うのは、本来宗教と言うよりも哲学の方が近いのではと常々思っています。
現在の仏教は神様(厳密には仏様)を敬い、祈っていればいいとか言っているのもいますが、こんなことブッダは言っていないのです。
そもそも仏陀の教えの中にはいなかった神様や仏様を後付けし、宗派争いなどをしている時点で仏教を名乗っていいのかとすら思います。

まあ今回は仏教の話は置いておきますが。


どうするのが良いことかわかったところで、暗黒面に対抗するにはもう一つ前段階があります。

それは、己が暗黒面に囚われていると知ることです。
思い込みや偏見はいけないという道理はわかってはいます。
しかし自分の価値感が凝り固まっていること、それ自体に気がつく必要があり、これがとても難しいのです。

こういったものは知らずして体に纏わりつき、いつの時代も人々を惑わせてきました。
常識、空気、普通……色々な言い方がありますが、その手のものがいつも人を、その思考を縛るのです。
これがなかなか曲者で、それを通常としていると意識すらできません。
なのでよく言われるのが、旅に出るということです。

旅と言っても様々ですが、よくインドに行くといい、人生観が変わるなんて言います。
それは価値観が国レベルで違うからです。ようは国外ということですので、厳密にはインドでなくてもいいでしょう。

しかし欧米、と言うか先進諸国は文化レベルや土台が同じため、海外でも一定程度基礎を同じくする面があります。
そこであえてそれらから離れた土地、その中でもインドは日本と大きく異なる社会や感覚を持つため、名が上がるのでしょう。

そうしてまるで違う環境に身を置くことで、ようやく自分を取り巻くものの姿が見えてきます。
けれど旅に出なければ気がつけないというわけでもありません。
気付きに良い方法としては、ぼんやりする時間を作るのがいいかもしれません。

 

私が自分の思い込みに気がついた時、思わず「あっ」と声が出ました。
こうして何かにふと気がついた時、どこか爽やかなすっきりした気持ちよさがありますよね。
いわゆるアハ体験です。


こんな体験は、ある時突然来るものかもしれません。
理屈はわかっていても、実感で身に付く瞬間です。

私の場合は、なんでブログが続かないのかぼんやりと考えていた際に、あっとひらめきました。
仏陀は瞑想の末に悟りを開いたと言われていますし、気付きに何か特別な行動は必要ないのかもしれません。
強いて言うのなら、頭を空にしてできるだけ無垢な頭になることでしょうか。
いつも予定や悩み事でいっぱいの頭を空にして、考えに執着しすぎないで考えること。


仏教でいうところの悟りとは、世界の真理に気がつくことだそうです。
ブッダの名の意味も、「(真理に)目覚めた人」という意味だそうですし。
つまり悟りとは、究極のアハ体験なのかもしれませんね。



長くなりましたし、話が飛びまくりな気もしますが、備忘録とはこういうものでしょう。
そういうわけで、これからは初心に戻って記事を書いていこうと思います。
適当に、力を抜いて。


ほむ提督でした。

日本でもクリスマス。その起源や由来、意味とは?~今年もやってくる~

日本でもクリスマス。その起源や由来、意味とは?~今年もやってくる~


こんにちは、ほむ提督です。

クリスマスが今年も来ますね。
準備、してますか?まだ早いですかね。
クリスマスツリー、クリスマスソング、プレゼント、ケーキ、デート、ディズニー、ホテルの予約等々・・・・・・

 


楽しみや期待は尽きませんが、一度クリスマスについて一応の理解はしておきましょう。


クリスマスは、イエス・キリストが誕生したことのお祝いで、キリスト教徒による祝祭が広まったものです。
それがさらに「冬至の祭り」と結びついたものが、現在のクリスマスという一大イベントのようです。
冬至の祭り」とは、冬至を境に日が長くなるため、それを太陽の復活であるとしてお祝いする祭りでした。


ですので、クリスマスとはChrist(キリスト)のmass(ミサ)という綴りなのです。



またクリスマスと言ったら欠かせないのが、ツリーです。
このツリー、モミの木なんですが、見ての通り葉が尖っています。
つまり針葉樹というわけです。学校で誰もが覚えたと思います。
そのうえ、紅葉することがない常緑樹でもあります。

この常緑樹と言うところが大事で、冬になっても葉を落とすことのないことから強い生命力を象徴するものとされました。
その寒さに負けない姿から、モミの木のような常緑樹も「冬至の祭り」に使われていたのです。
やがて「キリストの誕生祭」と「冬至の祭り」が一体化した際に、同じく取り込まれたのでしょう。


ちなみに、キリスト教以前の暦では日没を一日の境目としていました。
そのためいわゆるクリスマス・イヴと呼ばれる12月24日は、その夕刻から朝まで暦上はクリスマスと同じ日だったのです。
今では前夜祭扱いですが、元はクリスマスの始まりだったのです。


そしてキリスト教徒の多い欧米では、クリスマスはとても重要なものでもあります。
欧米ではクリスマス休暇とし、クリスマス前後大体20日あたりから休日になるそうです。
お店もほとんど閉店してしまうとか。証券会社なども休業し、取引をやめるそうですから入れ込みようがわかります。
第一次大戦では、クリスマスの間だけ停戦になり、クリスマスのお祝いをしたところすらあります。
戦時中でも基地にツリーを飾ったり、家族から基地にいる兵士にクリスマスカードが送られたりもしたようです。


そんな大事なキリスト教の祭りが、なぜ日本で年中行事として行われているのか。
気になりますよね。日本人の多くはキリスト教徒でもないのに、なんで?と。
そんな疑問にお答えすると


それは、日本人がお祭り好きだから。


ということになります。
実際そうとしか言いようがありません。詳しく調べたら違うのかもしれませんが。

日本にクリスマスが入ってきたのは、キリスト教が入ってきたのとほぼ同時期。
戦国時代頃に、宣教師が船でやって来たころです。
それと同時に、クリスマスも平民の間にまで徐々に広がり始めたようです。
初期の頃はあくまで「冬至の祭り」として行われていたそうですが、徐々にその建前もなくなっていったようです。


昭和辺りにはだいぶ浸透してきたといえます。
太平洋戦争の最中でも、クリスマスツリーの写真さえ残っているそうです。
これはだいぶ日本の行事として根付きつつあったといえます。

やがて企業などが販売促進のため、クリスマスを前面に押し出した商品の売り出しを始めます。
それも一因となり、今ではすっかりクリスマス商戦なんて言われるほどになっています。

ちなみに日本がチキンを食べるのは、ケンタッキーの仕業です。
ある日本在住の外国人が「日本では七面鳥は手に入らないから、ケンタッキーのチキンで祝おう」そう言って来店したそうです。



そのときKFCに電流走る……!

 


これだ、と思ったKFCは「クリスマスにはケンタッキー」とアピールを始めました。
欧米風に楽しむというクリスマスの過ごし方が徐々に日本に定着しつつあったところに、KFCが『クリスマスにはケンタッキー』をアピール。
欧米風が流行っていた時代もあり、それが的中したのです。
結果、今ではケンタッキーを超え「クリスマスにはチキン」とまでなっているのです。


なお日本ではチキンを食べますが、欧米では七面鳥です。
この七面鳥、実はアメリカの文化らしいです。
アメリカの開拓民が開拓途中で飢えに苦しんでいた時、インディアン(ネイティブアメリカン)から七面鳥が与えられ、飢え死にせずに済んだとか。
そのためアメリカ文化において七面鳥は、いわば「縁起物」としてクリスマス、結婚式などの祝い事に欠かせない食べ物となったそうです。
その風習がヨーロッパに伝わり、クリスマスには七面鳥!となったのです。

 


そんなこんなでクリスマスはすっかり日本に年中行事として定着したわけです。
ですが年末の日本は、宗教観の強い海外からは本当に頭おかしいでしょうね。
キリスト教のお祭りをやり、その1週間後には神道文化といえるお正月を祝い、おせちを食べます。
その後はお寺にお参りに行ったりするわけです。

近所にあるのが神社か、お寺かで違う人もいますが。
この考えがもうすでにおかしいのですけどね。

 

クリスマスは皆さんいかがお過ごしでしょうか。
ほむ提督は家で家族と過ごします、例年通り。
恋人と過ごされるという方もいるでしょう。
ホテルを取ってあるんだ、とかそんなドラマみたいなことしている人もいるんでしょう。


ですが欧米ではクリスマスは家族と家で過ごすものです。
仕事を休みにしてすら、家族と過ごすくらいです。
つまり恋人がいないから今年も家族と一緒、と悲しんでいる人。

安心してください。


その方が正しい、と言うか本式です。
我々の方が、本場風にやっているだけなのです。
何も気にすることはありません。



12月と言えば、一度クリスマスの記事は書いておかないとな、ということで今回はクリスマスについてでした。
体調が悪いので、今年はクリスマスのごちそうも楽しめそうにないのが、本当に残念です。


ほむ提督でした。

復活未だ遠く~忍耐の日々~

復活未だ遠く~忍耐の日々~


お久しぶりです、ほむ提督です。
大変ご無沙汰しております。

数か月ぶりの更新となりました。
何とか今も命を繋いでおりまする。


しかし相も変わらず不調は続いておりまして、今も毎日薬を3種服用しております。
それにくわえ、腹の調子を整えるための市販薬なども2種。
元気とは程遠い有様です。

それでもやや病状は安定しつつある、と思いたいところです。
辛い吐き気や腹部の膨満感などは、幾分か和らぎ、日々の暮らしが少しはましになりました。

そのため月が変わり今年もあと1年となったこともあり、久々の更新を思い立った次第であります。


最近、人々もするTwitterというものを、引きこもりニートもつぶやいてみむとてするなり。


やり始めたらブログより手軽で、こちらは具合がひどく悪い時もわりと続けられました。
Twitterとは、バカッターなるものもいるし、なんだか怖いものだと思っていたのです。
が、これがなかなかどうして、気軽でかつ人の想いや考えが様々見えるというのは面白いものです。

一方で、この気軽さが故に愚かな行為に走ってしまうのだというのもわかりました。
気軽、手軽はいいものの、過度な軽さになっていやしないか。
そんな疑問や恐怖すらわきます。過ちを犯すのも手軽と言うことですから、恐ろしい。
これは今のネット社会全般にいえることですね。

ただ個人的には、ダウンロード刑罰化などのように取り締まりすぎるのは逆に衰退を招く気もします。
ある程度混沌としていないと、新たなものは生まれにくいように思うからです。
実際YouTubeニコニコ動画で見た動画から、新たなことやものに興味を持つというのはよくあることだと思います。
それを奪い、あれもこれも禁止となると結局は知る人も興味を持つ人も減り、衰退に繋がるのではないでしょうか。

実際アニメグッズとかは売り上げが下がったりもしているようですし。
欲しいものは働けばすぐ手に入る時代ではない以上、どうしても興味が出ても絞っていかざるを得ないのでしょう。

またCD業界は売れないと騒ぎのようですが、それもやむを得ないでしょう。
耳にしないと知ることもなく、知りもしないものは買うことはないのです。
知るにしてもちょっと聞いてみようとか、ちょっといいな程度で物が買える時代ではないのです。

もはやかつてのように、音楽はCDかテレビ、もしくはラジオだけの時代ではありません。したがって低賃金、長時間労働などにあえぐ今の人々が、金と手間のかかるCDから離れていくのもわかります。


挙句に一番売れているのがAKBみたいな、福引券にCDがおまけでついているみたいな有様では。
正確には抽選券らしいですが、どちらにせよあれをCDの売り上げと言えるあたり大した面の皮の厚さです。


 

それはさておき、相変わらず体調悪い中、一応の復帰です。

現状、薬があっているのかやや体調は回復、といかないまでも落ち着きつつあります。
ここしばらく文字を書いたり、真剣に物を考えることから離れていました。
そのリハビリを兼ね、これからはちょこちょこ更新していけたらと思います。

しばらくは毒親アダルトチルドレンに関係ない、病気の療養記めいたものになりそうですが。


体が回復に向かう、仕事が来る等々、よりよい前途を祈って。

 


ほむ提督でした。

QMK~急にメールが来たので~

お久しぶりです、ほむ提督です。

 

題名の通り、はてなさんから急にメールが来たので、久しぶりに更新をします。

 

実を言うとまだ本調子ではないので、とりあえず生存報告的に。
そんなことが必要な人気ブログでもないし、ただの備忘録や日記程度のものですが。

メールで、そろそろ更新しませんか?とかされると、一応しておこうかな、しないとまずいかなという気持ちにさせられたので。

 

 

夏風邪は長引くものですが、夏のお腹の風邪も長引くようです。
体調を崩して早一月以上が経過しております。未だに食事の度に、今回は吐かないかという恐怖が抜けない私です。
そうなると好きだったはずの食事が、まるで楽しめなくなってしまい、そもそも胃の負担になるので量も食べられず、種類も食べられずと食事の質や内容ともに満たされない日々です。

そのため気力も欠けていき、気落ちしたままの一ヶ月ほどでした。
前回の更新から一月ほどたっているということで、今回はてなブログさんからメールが来て更新を促されたわけです。

その前回の更新からして、具合が悪くなったのが治ってきたとかいう程度のものでしたが、挙句にその後すぐにぶり返してしまいました。
二、三日の絶食をするほどの症状でした。治りかけで浮付いていた私を地獄に叩き落とす吐き気と腹痛……。
それが治ったのが一、二週間ほど前です。

ですがそこから少なくとも一週間は油断できませんでした。
何せ前回は治ったと思ってから一週間ほどでぶり返したのです。今回もそうならない保証はありませんでした。

しかし一週間たち、二週間たってもぶり返しはきません。
それどころか徐々に食べられる量が増え、種類も増えてきたのです。
このまま完治、希望の未来へレディ・ゴーッ!



とはなりませんでした。その三日後に再び襲い来る吐き気。
流石に、なんで私だけがこんな目に、と泣き言や恨み言が漏れました。

ですが吐き気がぐっとするものの、症状はだいぶ軽いのです。
現金なもので、これはどんどん良くなっている証拠だと思うとだいぶ調子が良くなりました。おかげでこうしてどうでもいい、個人的な近況を言い訳めいたブログに乗せられるわけです。

 

今回の件から私が得るべき教訓は、健康には気を遣えということです。

健康というのは当然のようで、実にありがたく、得難いものなのだということを実感しましたね。大病を患った人とかは皆同じようなことを言いますし、人は痛い目を見なければわからないとも言いますが、まったくその通りでした。

食べて、飲んで、動いて、寝るという当たり前のことが、当たり前にできる。
これはすごいことですよ。

失ってはじめてわかる、なんていうのは使い古された言葉ですけど、本当に失ってみて初めてありがたみを実感しました。
私自身、健康は大事なんて言葉の上ではわかっていましたが、実感はありませんでした。ですから無意味かもしれませんが、やはり伝えておきたいものです。


健康は大切です。
食べ過ぎ、飲み過ぎには気をつけること。
適度に運動をし、早寝して十分睡眠をとること。
食事の時はよく噛んで食べること、飲み物は冷たくしすぎないこと。

聞きなれた言葉ですが、これは本当に大事なことでした。

もうすぐ夏も終わりですが、これを読んでいる方がいれば、どうか体には気をつけてください。具合が悪くなってからでは遅いのです。

 

近況報告、ほむ提督でした。

きちんとした記事は、もうしばらく待ち体調が回復し次第です。

ウイルスは許可しないィィィィィ──────ッ

ウイルスは許可しないィィィィィ──────ッ


こんにちは、ほむ提督です。
ここのところ急激に暑くなり、たいへん参っております。
ほむ提督の名前の通り、海にでも行きたいところです。

 


ここのところ体調が思わしくないということは、前々回記事で書いたとおりです。
実は未だに回復しておらず、食事の度に吐き気を感じる状態です。
一日の楽しみであり欠かすことのできない食事が、一日三回の苦痛と恐怖の時間になるのは辛いものです。
挙句に下痢なんかにもなりますし、上からも下からも食べては出ていってしまい困ります。おまけに吐くにせよ下痢するにせよ、体力を著しく消耗します。

そこに追撃をかけてくるこの暑さ。

しかも吐くのも下痢するのもトイレですが、トイレは大抵どこの家でも小さい個室でしょう。我が家もそうなのですが、個室の上小さいと熱がこもりやすいのです。
広い部屋で窓を全開にしていても汗が出るのに、窓を開けられない、ドアも占めたトイレの個室ですよ。
サウナかな?というほどの熱気に包まれ、吐き気や下痢のせいではなく意識を失いそうになります。

実際に私の親戚がこの間、熱中症で倒れたそうです。場所はトイレではなく外でしたが。道端の草むらの中にぶっ倒れているのを通りかかった人が見つけてくれ、一命はとりとめたそうです。
ですがその後病院にもいかず、もう元気だからと普段通り過ごしたそうです。
そのせいで次の日には具合が猛烈に悪くなり、急遽入院したそうで。

ばっかじゃなかろか、と思いました。

お年寄りって言うのはどうして、自分は大丈夫だと何の根拠もなく思うのでしょう。
意識を失って道端で倒れたくせに、意識を取り戻したからもう問題ないって考えますか、普通?
たぶん体と頭の整合性が取れてないからなんでしょうね。
体はもうヤバイ、死ぬぅと危険信号を出していても、頭がそれを認識できない、もしくは意識できないんですよ。
だからまだ暑くない、大丈夫だとクーラーや扇風機を出さない。
まだのど乾いていないとか言って水分補給もしない。

同じようにして何人死んだかわかっていますか、と。
毎年同じような死に方をしている人がいるのに、なぜそれより年上、もしくは近い年齢の自分は平気だと思うのか。
なんか体にいいことしたり、忠告に従ったら敗けみたいな感じありませんかお年寄りって。


あげく法事なんかもあるので早く治したい、とお医者様に言ったそうです。


お前の葬式になるんやで

 


話は変わりますが、近頃体調を崩しているのは上で述べたとおりです。
ですがその前日ほどに、私の知り合いのPCがウイルスに侵されました。
なんでもUSBの内部などにまで侵入して、勝手にフォルダやファイルのショートカットを作りまくるとか。
しかもそれにかかるとその元となったファイルなどは移動させたり消したりもできない。

ものすごい短い間隔で作られ、常駐のウイルス対策ソフトに消去され、また作って、また消しての繰り返しでした。
対策ソフトの履歴を見ると、ほとんど二秒おきくらいに消去していました。どんだけ作ってるんだ。

私はウイルスなどにはあまり詳しくないのですが、聞くだけ聞いて「あ、そう。頑張ってね」というわけにもいきません。
一応横から、あれしてみたら、これはしてみた、こうやって調べてみたらと口を挟んでおきました。

そうしたら次の日に体調を崩したのです。
病院に行くとお腹の風邪とかいうめちゃくちゃふわっとした病名を告げられました。
ウイルスが体の中で悪さをしているせいで体調が悪くなった、というありきたりの説明でした。

ですがそこで私には思い当たることがあったのです。
私は前日にPCのウイルス退治を手伝いました。
その時にウイルスが私の体に入り込んだのでは、と。
つまり

人PC共通感染症だったんだよ!

な、なんだってー!?

ということです。

まあ、冗談です。
ですがこれが本当になったら恐ろしいことですよね。
生活必需品と化したPCとそのネットワークから、人にまで感染するウイルス。
世界が比喩抜きで滅ぶのではないでしょうか。


結局そのウイルスは一週間ほどかけて何とか表面上は退治できたようです。
ウイルスなどに詳しくないため、完全に駆逐で来たかはわかりませんが、問題は起きなくなったようです。
しかし対処の途中もひどいものでした。まあ不慣れなど素人二人ですからね。
市販のウイルス対策ソフトを入れていたようなので、それでとりあえずスキャンしたら、ということで試してみたのです。
ところが

スキャン時間は16時間を予定しております


16時間て



フライト時間かなんか?


あまりに長すぎるような気がしたのですが、聞いてみたら納得いきましたよ。
ウイルス対策ソフトを入れているのはいいですが、今までスキャンをしっかりかけたことはなかったそうで。
四年ほど使っていて一度も自動スキャン以外したことなかった、と考えれば仕方ないかなという気にもなります。

こうなると自分のことも気になり、体調が良くない時でもできるので、私のPCもスキャンしました。
常駐ソフトもしっかり働いているし、変な所も見ない。変なものもダウンロードしていないので大丈夫だろう、と思っていたのです。

しかし8個ほど危険なものが見つかってびっくりしました。大事になる前に見つかってよかった。
意外とすり抜けて入ってきているものですね。もっと注意して、こまめなスキャンなどで気をつけないといけません。

この勝利で慢心しては駄目。索敵や先制を大事にしないと

といったところでしょう。

実際対策としては入り込む前に発見して対処するのが一番みたいです。
それとこういったウイルスが流行っているとかの情報収集などもいります。
そのためにはPCにあらかじめついている、Microsoftの対策ソフトだけでは些か心もとないです。
自分で市販やフリーのソフトを探して手に入れなければなりません。


それも一つや二つではない……全部だ!


全部は言いすぎですが、一つでは対応しきれない場合が多いとかで、私は結局二つ入れています。
そのうえ普段も怪しいサイトなどには近づかないようにしています。
それでもこうしてスキャンしてみるとウイルスに感染していました。

ウイルスにかかって大変だった知り合いも、そんな怪しいところを見られるほどネットを使う人ではないです。
ですがどうも履歴の時間などから察するに、YouTubeを閲覧中にウイルスに感染したようです。
見るだけでかかるのか、見たときにどこか押してしまったのかはわかりませんが。



大手サイトでも、動画を見るだけでもかかるなんて怖いですね。
ウイルススキャンなどはこまめにして、PCの調子を整える機会を増やしてみるといいでしょう。
自分は心当たりもないし大丈夫、と思っていてもウイルスが発見される可能性は十分にあります。
記事名の通り、許可しない、で一気に追い出せてしまえば楽なのですが。


まずは矢に刺されるところからですね。



未だ不調の続くほむ提督でした。

7月10日はウルトラマンの日! ~誕生51年、僕らの光の巨人~

7月10日はウルトラマンの日! ~誕生51年おめでとう~

 

こんにちは、ほむ提督です。

今日は題名通り、ウルトラマンの日です。何とかの日なんて言うのは、最近では毎日のようにありますけどね。本日はウルトラマンです。
一応今日は納豆の日でもあるんですが、とにかくウルトラマンの日です。

ちなみに納豆の日は、「なっ(7)とう(10)」の語呂合わせからきています。まあ、そうなるな。

関西納豆工業共同組合という組織があったそうで、彼らが関西における納豆の消費拡大を目指して、1981年に記念日として定めました。
この時は関西地域限定だったのですが、その後、全国納豆共同組合連合会という関西納豆工業共同組合の上位組織のようなところが、1992年に改めて7月10日を「納豆の日」と決めました。
今度は関西ではなく全国と名の付く組織の決定ですから、これを機に全国的な記念日となったのです。

 

そういう経緯があって全国的記念日となり、私も個人的に納豆は好きですが、それよりもよはりウルトラマンかなって。
お祝いの意味も込めてブログで取り上げようと思います。


さて、ではなぜ本日がウルトラマンの日なのかと言う疑問にまずはお答えしましょう。
それは1966年の本日7月10日



ウルトラマンが初めてテレビに出た日なのです。



テレビ初出演、ひいては全国にその存在を広く知られた日ということになりますね。
ただこれだけ聞くとこの日が第一話の放送日のように思うかもしれませんが、実際私も思いましたが、違うのです。

1966年、「ウルトラマン」の第一話「ウルトラ作戦第一号」が放送されたのは7月17日なのです。
ですがその一週間前の7月10日に、ウルトラマンウルトラ怪獣科学特捜隊が出演するイベントが放送されました。
ウルトラマンの生みの親である円谷英二さんもゲストとして登場した、「ウルトラマン前夜祭ウルトラマン誕生」という番組PRイベントです。
それが公開録画中継という形でテレビ放送されたのが、本日7月10日、すなわちウルトラマンの日なのです。



初めてウルトラマンを目にした人々の興奮はいかほどだったのか。
私は物心ついた時には見ていましたから、初めて見たとき自分がどう思ったかはわかりません。
ですが私にとっての明確なヒーロー像の一つであり、同じように日本人の多くがヒーローと言われて思い浮かべる姿でしょう。


M78星雲から来た光の巨人。
光の国から僕らのためにやってきてくれた正義のヒーロー。
巨大な怪獣を投げ飛ばし、やっつけるその偉大な姿にどれほど興奮し感動したことか。

日本の特撮を大きく進めた、文化的にも偉大な役割を果たした存在です。
毎回怪獣に破壊されるセットに、毎回異なる怪獣の姿。それらと戦うために動き回るウルトラマン
こういったものを作り、揃え、維持するのはどれほどの苦労と努力があったのでしょう。

そんな夢や希望、汗と涙で生まれてきたウルトラマンですが、誕生してもう半世紀も立つんですね。
それが未だに人々に親しまれ、広く知られている。すごいことですよね。
グッズなどについている柄は、新しいウルトラマンが次々出ている今でも初代ウルトラマンが多いです。
次にウルトラセブンで、次は怪獣たちではないでしょうか。
テレビで見たことのない世代でも、ウルトラマンといえば初代の姿が目に浮かぶのでは。


ちなみに私は初代ウルトラマンも好きですが、よく見ていた分だけウルトラセブンの方が好きです。
白、銀といったイメージの強いウルトラマンから、赤一色なウルトラセブンへ。
思い切った変更ですよね、今になって思うのですが。

頭のアイスラッガーという代表的で特徴的な武器もそうですけど、投げ技のウルトラマンと殴り合いのセブンとか戦い方の変化もありました。
アイスラッガーは残酷というか、グロい倒し方をするなと思いましたが、ウルトラマンも八つ裂き光輪とかいう名前から危険なもの使ってましたからおあいこでしょうか。


個人的にはエメリウム光線好きです。ワイドショットのまさにワイドな、スペシウム光線より幅広なビームも好きでしたが。
エメリウム光線ってなんだかスタイリッシュというか、スマートな感じがします。
サッと構えて素早く発射、派手さはないが牽制からとどめもさせるいぶし銀な活躍ですよ。

ウルトラマンはキャッチリングがなんか好きでした。あの使うときの音とか、なんだかぽわぽわボワボワした謎の見た目が。
今見ると小さい丸い光の輪がいっぱい集まって、一つの大きな輪を作っているみたいです。
八つ裂き光輪も輪ですし、ウルトラマン自体がどこか丸い印象を受けますし、輪や丸を意識して作っていたのでしょうか。


グッズといえば、私は昔大きなエレキングのおもちゃを持っていました。
鳴き声が出たりするやつで、幼い私は大喜びで毎日遊んでいました。
ですがある日壊れてしまい動かなくなってしまいました。直そうにもおもちゃ屋さんではできないとのことで、ひどく私は悲しみました。
そこで親がバンダイに連絡してくれて、壊れたエレキングを送れば直してくれることになったのです。

喜んで送り、待つこと数日。
ある日帰ってくると、玄関に大きな袋がかけられていました。

開けてみると、そこには新品のエレキングの姿が!


バンダイからの手紙があり、内部は壊れていて修理不可能でしたが、とても大事に思ってくれているようなので新品を送りますとのことでした。
もう大喜びで、確か私は泣いたような気がします。
しかも確かウルトラセブンからの手紙みたいなものも付属しており、もう大興奮でした。
今はその手紙はどこに行ったかわからなくなってしまいましたが、今でもあの時の嬉しさを何となく覚えています。
ちなみにエレキングの方はまだ家にいます。


バンダイには今出してるゲームとかで不満や怒りもありますが、嫌いになり切れない理由です。
バンダイは悪いところもあるかもしれませんが、こんな素敵な所もあるのです。
個人的にですが、バンダイに不満や怒りは持っても、心から嫌いにはならないでほしいなあと思います。

 

 

そういうわけで、今日はウルトラマンの日です。
今でもウルトラマンの必殺技や、怪獣の名前はすらすら出てきます。すっかりウルトラマンは私の一部となっているのでしょう。
たまにはそんな子供の頃のヒーローのことを思いだし、胸を躍らせてみるのもいいのではないでしょうか。

 


ほむ提督でした。