ACほむ提督の航海日誌2.9

アダルトチルドレンのほむ提督が、生きづらさを抱えつつもそれを克服し、生きていこうと孤軍奮闘する日々をまとめたブログ。 生きづらさからの脱却、毒親の典型的特徴を備えた親への対処法、内向的な人間の生き方などを模索しています。

ウイルスは許可しないィィィィィ──────ッ

ウイルスは許可しないィィィィィ──────ッ


こんにちは、ほむ提督です。
ここのところ急激に暑くなり、たいへん参っております。
ほむ提督の名前の通り、海にでも行きたいところです。

 


ここのところ体調が思わしくないということは、前々回記事で書いたとおりです。
実は未だに回復しておらず、食事の度に吐き気を感じる状態です。
一日の楽しみであり欠かすことのできない食事が、一日三回の苦痛と恐怖の時間になるのは辛いものです。
挙句に下痢なんかにもなりますし、上からも下からも食べては出ていってしまい困ります。おまけに吐くにせよ下痢するにせよ、体力を著しく消耗します。

そこに追撃をかけてくるこの暑さ。

しかも吐くのも下痢するのもトイレですが、トイレは大抵どこの家でも小さい個室でしょう。我が家もそうなのですが、個室の上小さいと熱がこもりやすいのです。
広い部屋で窓を全開にしていても汗が出るのに、窓を開けられない、ドアも占めたトイレの個室ですよ。
サウナかな?というほどの熱気に包まれ、吐き気や下痢のせいではなく意識を失いそうになります。

実際に私の親戚がこの間、熱中症で倒れたそうです。場所はトイレではなく外でしたが。道端の草むらの中にぶっ倒れているのを通りかかった人が見つけてくれ、一命はとりとめたそうです。
ですがその後病院にもいかず、もう元気だからと普段通り過ごしたそうです。
そのせいで次の日には具合が猛烈に悪くなり、急遽入院したそうで。

ばっかじゃなかろか、と思いました。

お年寄りって言うのはどうして、自分は大丈夫だと何の根拠もなく思うのでしょう。
意識を失って道端で倒れたくせに、意識を取り戻したからもう問題ないって考えますか、普通?
たぶん体と頭の整合性が取れてないからなんでしょうね。
体はもうヤバイ、死ぬぅと危険信号を出していても、頭がそれを認識できない、もしくは意識できないんですよ。
だからまだ暑くない、大丈夫だとクーラーや扇風機を出さない。
まだのど乾いていないとか言って水分補給もしない。

同じようにして何人死んだかわかっていますか、と。
毎年同じような死に方をしている人がいるのに、なぜそれより年上、もしくは近い年齢の自分は平気だと思うのか。
なんか体にいいことしたり、忠告に従ったら敗けみたいな感じありませんかお年寄りって。


あげく法事なんかもあるので早く治したい、とお医者様に言ったそうです。


お前の葬式になるんやで

 


話は変わりますが、近頃体調を崩しているのは上で述べたとおりです。
ですがその前日ほどに、私の知り合いのPCがウイルスに侵されました。
なんでもUSBの内部などにまで侵入して、勝手にフォルダやファイルのショートカットを作りまくるとか。
しかもそれにかかるとその元となったファイルなどは移動させたり消したりもできない。

ものすごい短い間隔で作られ、常駐のウイルス対策ソフトに消去され、また作って、また消しての繰り返しでした。
対策ソフトの履歴を見ると、ほとんど二秒おきくらいに消去していました。どんだけ作ってるんだ。

私はウイルスなどにはあまり詳しくないのですが、聞くだけ聞いて「あ、そう。頑張ってね」というわけにもいきません。
一応横から、あれしてみたら、これはしてみた、こうやって調べてみたらと口を挟んでおきました。

そうしたら次の日に体調を崩したのです。
病院に行くとお腹の風邪とかいうめちゃくちゃふわっとした病名を告げられました。
ウイルスが体の中で悪さをしているせいで体調が悪くなった、というありきたりの説明でした。

ですがそこで私には思い当たることがあったのです。
私は前日にPCのウイルス退治を手伝いました。
その時にウイルスが私の体に入り込んだのでは、と。
つまり

人PC共通感染症だったんだよ!

な、なんだってー!?

ということです。

まあ、冗談です。
ですがこれが本当になったら恐ろしいことですよね。
生活必需品と化したPCとそのネットワークから、人にまで感染するウイルス。
世界が比喩抜きで滅ぶのではないでしょうか。


結局そのウイルスは一週間ほどかけて何とか表面上は退治できたようです。
ウイルスなどに詳しくないため、完全に駆逐で来たかはわかりませんが、問題は起きなくなったようです。
しかし対処の途中もひどいものでした。まあ不慣れなど素人二人ですからね。
市販のウイルス対策ソフトを入れていたようなので、それでとりあえずスキャンしたら、ということで試してみたのです。
ところが

スキャン時間は16時間を予定しております


16時間て



フライト時間かなんか?


あまりに長すぎるような気がしたのですが、聞いてみたら納得いきましたよ。
ウイルス対策ソフトを入れているのはいいですが、今までスキャンをしっかりかけたことはなかったそうで。
四年ほど使っていて一度も自動スキャン以外したことなかった、と考えれば仕方ないかなという気にもなります。

こうなると自分のことも気になり、体調が良くない時でもできるので、私のPCもスキャンしました。
常駐ソフトもしっかり働いているし、変な所も見ない。変なものもダウンロードしていないので大丈夫だろう、と思っていたのです。

しかし8個ほど危険なものが見つかってびっくりしました。大事になる前に見つかってよかった。
意外とすり抜けて入ってきているものですね。もっと注意して、こまめなスキャンなどで気をつけないといけません。

この勝利で慢心しては駄目。索敵や先制を大事にしないと

といったところでしょう。

実際対策としては入り込む前に発見して対処するのが一番みたいです。
それとこういったウイルスが流行っているとかの情報収集などもいります。
そのためにはPCにあらかじめついている、Microsoftの対策ソフトだけでは些か心もとないです。
自分で市販やフリーのソフトを探して手に入れなければなりません。


それも一つや二つではない……全部だ!


全部は言いすぎですが、一つでは対応しきれない場合が多いとかで、私は結局二つ入れています。
そのうえ普段も怪しいサイトなどには近づかないようにしています。
それでもこうしてスキャンしてみるとウイルスに感染していました。

ウイルスにかかって大変だった知り合いも、そんな怪しいところを見られるほどネットを使う人ではないです。
ですがどうも履歴の時間などから察するに、YouTubeを閲覧中にウイルスに感染したようです。
見るだけでかかるのか、見たときにどこか押してしまったのかはわかりませんが。



大手サイトでも、動画を見るだけでもかかるなんて怖いですね。
ウイルススキャンなどはこまめにして、PCの調子を整える機会を増やしてみるといいでしょう。
自分は心当たりもないし大丈夫、と思っていてもウイルスが発見される可能性は十分にあります。
記事名の通り、許可しない、で一気に追い出せてしまえば楽なのですが。


まずは矢に刺されるところからですね。



未だ不調の続くほむ提督でした。

7月10日はウルトラマンの日! ~誕生51年、僕らの光の巨人~

7月10日はウルトラマンの日! ~誕生51年おめでとう~

 

こんにちは、ほむ提督です。

今日は題名通り、ウルトラマンの日です。何とかの日なんて言うのは、最近では毎日のようにありますけどね。本日はウルトラマンです。
一応今日は納豆の日でもあるんですが、とにかくウルトラマンの日です。

ちなみに納豆の日は、「なっ(7)とう(10)」の語呂合わせからきています。まあ、そうなるな。

関西納豆工業共同組合という組織があったそうで、彼らが関西における納豆の消費拡大を目指して、1981年に記念日として定めました。
この時は関西地域限定だったのですが、その後、全国納豆共同組合連合会という関西納豆工業共同組合の上位組織のようなところが、1992年に改めて7月10日を「納豆の日」と決めました。
今度は関西ではなく全国と名の付く組織の決定ですから、これを機に全国的な記念日となったのです。

 

そういう経緯があって全国的記念日となり、私も個人的に納豆は好きですが、それよりもよはりウルトラマンかなって。
お祝いの意味も込めてブログで取り上げようと思います。


さて、ではなぜ本日がウルトラマンの日なのかと言う疑問にまずはお答えしましょう。
それは1966年の本日7月10日



ウルトラマンが初めてテレビに出た日なのです。



テレビ初出演、ひいては全国にその存在を広く知られた日ということになりますね。
ただこれだけ聞くとこの日が第一話の放送日のように思うかもしれませんが、実際私も思いましたが、違うのです。

1966年、「ウルトラマン」の第一話「ウルトラ作戦第一号」が放送されたのは7月17日なのです。
ですがその一週間前の7月10日に、ウルトラマンウルトラ怪獣科学特捜隊が出演するイベントが放送されました。
ウルトラマンの生みの親である円谷英二さんもゲストとして登場した、「ウルトラマン前夜祭ウルトラマン誕生」という番組PRイベントです。
それが公開録画中継という形でテレビ放送されたのが、本日7月10日、すなわちウルトラマンの日なのです。



初めてウルトラマンを目にした人々の興奮はいかほどだったのか。
私は物心ついた時には見ていましたから、初めて見たとき自分がどう思ったかはわかりません。
ですが私にとっての明確なヒーロー像の一つであり、同じように日本人の多くがヒーローと言われて思い浮かべる姿でしょう。


M78星雲から来た光の巨人。
光の国から僕らのためにやってきてくれた正義のヒーロー。
巨大な怪獣を投げ飛ばし、やっつけるその偉大な姿にどれほど興奮し感動したことか。

日本の特撮を大きく進めた、文化的にも偉大な役割を果たした存在です。
毎回怪獣に破壊されるセットに、毎回異なる怪獣の姿。それらと戦うために動き回るウルトラマン
こういったものを作り、揃え、維持するのはどれほどの苦労と努力があったのでしょう。

そんな夢や希望、汗と涙で生まれてきたウルトラマンですが、誕生してもう半世紀も立つんですね。
それが未だに人々に親しまれ、広く知られている。すごいことですよね。
グッズなどについている柄は、新しいウルトラマンが次々出ている今でも初代ウルトラマンが多いです。
次にウルトラセブンで、次は怪獣たちではないでしょうか。
テレビで見たことのない世代でも、ウルトラマンといえば初代の姿が目に浮かぶのでは。


ちなみに私は初代ウルトラマンも好きですが、よく見ていた分だけウルトラセブンの方が好きです。
白、銀といったイメージの強いウルトラマンから、赤一色なウルトラセブンへ。
思い切った変更ですよね、今になって思うのですが。

頭のアイスラッガーという代表的で特徴的な武器もそうですけど、投げ技のウルトラマンと殴り合いのセブンとか戦い方の変化もありました。
アイスラッガーは残酷というか、グロい倒し方をするなと思いましたが、ウルトラマンも八つ裂き光輪とかいう名前から危険なもの使ってましたからおあいこでしょうか。


個人的にはエメリウム光線好きです。ワイドショットのまさにワイドな、スペシウム光線より幅広なビームも好きでしたが。
エメリウム光線ってなんだかスタイリッシュというか、スマートな感じがします。
サッと構えて素早く発射、派手さはないが牽制からとどめもさせるいぶし銀な活躍ですよ。

ウルトラマンはキャッチリングがなんか好きでした。あの使うときの音とか、なんだかぽわぽわボワボワした謎の見た目が。
今見ると小さい丸い光の輪がいっぱい集まって、一つの大きな輪を作っているみたいです。
八つ裂き光輪も輪ですし、ウルトラマン自体がどこか丸い印象を受けますし、輪や丸を意識して作っていたのでしょうか。


グッズといえば、私は昔大きなエレキングのおもちゃを持っていました。
鳴き声が出たりするやつで、幼い私は大喜びで毎日遊んでいました。
ですがある日壊れてしまい動かなくなってしまいました。直そうにもおもちゃ屋さんではできないとのことで、ひどく私は悲しみました。
そこで親がバンダイに連絡してくれて、壊れたエレキングを送れば直してくれることになったのです。

喜んで送り、待つこと数日。
ある日帰ってくると、玄関に大きな袋がかけられていました。

開けてみると、そこには新品のエレキングの姿が!


バンダイからの手紙があり、内部は壊れていて修理不可能でしたが、とても大事に思ってくれているようなので新品を送りますとのことでした。
もう大喜びで、確か私は泣いたような気がします。
しかも確かウルトラセブンからの手紙みたいなものも付属しており、もう大興奮でした。
今はその手紙はどこに行ったかわからなくなってしまいましたが、今でもあの時の嬉しさを何となく覚えています。
ちなみにエレキングの方はまだ家にいます。


バンダイには今出してるゲームとかで不満や怒りもありますが、嫌いになり切れない理由です。
バンダイは悪いところもあるかもしれませんが、こんな素敵な所もあるのです。
個人的にですが、バンダイに不満や怒りは持っても、心から嫌いにはならないでほしいなあと思います。

 

 

そういうわけで、今日はウルトラマンの日です。
今でもウルトラマンの必殺技や、怪獣の名前はすらすら出てきます。すっかりウルトラマンは私の一部となっているのでしょう。
たまにはそんな子供の頃のヒーローのことを思いだし、胸を躍らせてみるのもいいのではないでしょうか。

 


ほむ提督でした。

夏風邪と夏風~足がつった…つまり人類は滅亡する!~

夏風邪と夏風~足がつって人類は滅亡する!~

 

 

お久しぶりです、ほむ提督です。

 

ここ二週間ほど、風邪をひいてダウンしていました。
こんなに長く体調を崩したのも、何もできないほど体調を崩したのも久しぶりです。
未だに完全に回復したとは言えず、食事はここ三日ほどでようやく固形物が食べられるようになりました。


今回はブログらしいブログ、ただの近況報告的な日記です。
ブログというものが出た本来の目的に立ち返ってます。
今でこそ色々な内容や目的別のブログがありますが、かつては本当にただ近況を書いている個人的な日記でしたよね。
私も依然出始めの頃にしていましたが、飽きていつからか更新しなくなり、いつの間にか消滅していました。

 

そういうわけで、更新がなかった言い訳もかねて近況報告です。
元からそれほど頻繁に更新してないじゃないかと言われればその通りですけど。

 

二週間ほど前、まず夜というか早朝に足がつったんですよ。
ものすごい痛みに目が覚めましたが、目を覚ましたところでどうにもならないんですよね。必死に歯を食いしばって波が引くまで耐え、小康状態を迎えた所でマッサージ&温め開始。

なり始めの瞬間型の激痛から、常時続く恒常型の激痛へ変わり、やがて常時発動型ですが威力の低い痛みになりました。そこで痛みはあるものの、体から力を抜いてリラックスを心がけて収まるのを待ちます。

 

が、治らない時は治らないもので、その日はちっとも痛みが引きません。
しゃーない、切り替えていく、ということで二の矢を放つことにしました。

なお足がつる、というのは別名「こむら返り」とも言います。筋肉さんがこむらがえった、のこむら返りです。
だからどうということもないのですが、薬局で薬をもらうときはこむら返り用の薬となっています。違うこともあるかもですが、私が見たときはそうでした。

足がつるというのは、足の筋肉が収縮して伸びなくなってしまう状態のことです。
治る時はすぐ治るのですが、治らない時は一日治らないこともある厄介な状態です。

こむら返りの原因には筋肉疲労や貧血、ミネラルや水分不足があります。
逆に言えば、足りていないものを補えば治療になります。
というわけで、水分やミネラルなどを補給するためスポーツ飲料を飲みました。
痛む足をできるだけ動かさずに移動するのは骨が折れましたが、何とか達成できました。


が……駄目っ……!


まるで治まらない……!痛み……!変わらずっ……!


結局筋肉を揉んだり、撫でたり温めたりしましたが痛みはひかず、まんじりともせず夜を明かすこととなりました。
眠気と痛みで思い頭を抱えつつ、何とか朝食は取りました。
食事と洗顔などでようやく頭がはっきりしてきて、「今日は早く寝よう」なんて思いながらPCの電源を入れました。
ニュースなどを見て情報を仕入れ、メールを確認してといったデイリー任務を実行。
夜はひどい目にあったが、何はともあれ日常、通常営業に戻れたと思っていました。その時は。


ふと気がつくと、何やら胸がむかつくのです。
今すぐどうこうというほどではないのですが、どこか違和感を感じる程度の気持ち悪さ。何だか気持ち悪いなと思いはしましたが、夜寝られなかったからそのせいで体調が悪いのだろうと気にしないでいたのです。

そうしたらある時突然、胃の方からこみあげてくるものが。


やばい、と思い最初は無理やり飲み込むようにして、胃に押し戻しました。
しかししゃっくりのように、繰り返し繰り返し襲い来る吐き気。
胃が痙攣しているかのように、自分の意思とコントロールを外れ吐き気を突き上げてきます。

 

もういかん、と思ってとっさに近くにあったゴミ箱を手に取った途端、思いっきりぶちまけました。

 

実に数年ぶりくらいの嘔吐でした。

 


と、ここまで書いておいてなんですが、他人の詳しい嘔吐描写なんか見ても仕方ないなと思ったので、後はダイジェストで。


結局その日はそれから何度も吐いたので、午後一で病院に行き点滴をしてもらいました。吐き気止めと吐いて失った体力を回復する成分が入っていたそうです。
それでその場は治まったものの、その日の夜はとても固形物は口にできませんでした。胃に入れると吐き気がぶり返してしまうのです。

その次の日は少し食べれたのですが結局吐き戻し、その日から三日ほど前まで固形物はほとんどなしでした。
お腹は減るが、腹に何も入っていなければ元気という辛い日々でした。

私は食事、入浴、睡眠という日常行為の三つが大好きです。
ですが食事はできず、風呂は入れず、眠れはするが楽しむ余裕がない。
これはなかなかに辛いものがありましたね。


ですが新たな発見もありました。
それは

です。

音というのは、あるのとないのとではまるで違いますね。
苦しみでもうろうとした頭でベッドに横たわり、水分を補給しては寝るを繰り返していてとても退屈でした。
退屈だと思える程度に回復したのはいいのですが、動けるほどでもなく寝ているだけ。テレビは部屋にありませんし、できることもないのでただただ呆然としているだけ。
そんなとき、天気もよくなったので換気もかねて窓を開けました。


飛び込んでくる音、音、音!

遠くで車が走り、風が草木を揺らし、鳥が鳴く。
そんな些細で当たり前の音が、一気に世界を彩りました。
ベッドから動けずとも、一瞬も同じではない様々な音の移り変わりのなんと素晴らしいことか。
元気な時は気にもとめなかったのですが、世界はなんて数多くの多様な音に彩られていることでしょう。

いつまでも飽きることなく聞いていられる、最高の音楽でした。


そんな感動をね、しました。病気特有のポエム感で。
臭いはあいにく鼻がつまっていて感じられませんでしたが、音だけでも夏を感じさせる爽やかな風でした。
未だに具合が悪いし、症状が重い時は本当に辛かったので病気になってよかったとは言いませんが、せめてものプラスを見つけました。

 

ただどうして急に風邪なんか引いたのか、コレガワカラナイ。デッデッデデデデ!
思い当たる節としては、現在も私を苦しめているこの猛烈な暑さと、気温の変動です。
まあ夏ですから、百歩譲って暑いのは良しとします。
ですが気温の変動は激しすぎませんか。

雨が降って寒いかと思えば、いきなり雲一つもない晴れで暑い。かと思えば曇り、曇ったのに暑いせいで異常な蒸し暑さ。
そんなことがどうもここのところ多い気がします。こうもムラがあると体温調節が上手くできないですよね。
おかげですっかりオデノカラダハボドボドダ!

これにくわえ、寝ている間に暑さで水分を失い足がつったこと、それにより寝不足になったことも加わり今回風邪をひいたのかなと思っています。
しかしこの最近異常気象じゃないかという話も、ここ数年毎年している気がします。
つまり異常気象がずっと続いているわけですよ。ひどいところでは洪水、地震と大災害レベルですしね。

「これまでに経験したことのないような大雨」というフレーズもなんか毎年聞いている気がするんですが。
例年にない暑さとか寒さとか、降雪量とかそのへんもですけど、毎年どこかでこのような異常気象が続いているように感じます。
地震もだんだん多くなってきていますし、台風も今年は早いし被害はひどいし。


人類は滅亡する!


な、なんだってー!?


があまり洒落にならなくなりそうで怖いですね。
異常気象を除いても、どこかの国のせいで第三次世界大戦とか、全世界で核ミサイルの嵐になったりとかも心配です。

 

 

そんな感じで体調の悪いほむ提督でした。
皆さんも体調管理には気をつけてくださいね。
久しぶりに風邪なんか引くと、健康の大切さが身に沁みました。

小林麻央さん死去~34歳の生涯~22日夜自宅にて

「人生で一番泣いた日です」「お察しください」「心残りだと思う」「心配で心配でしょうがないんじゃないでしょうか」


歌舞伎俳優、市川海老蔵(39)の妻でフリーアナウンサー小林麻央さんが22日夜、都内の自宅で亡くなりました。
まだ34歳という若さでした。麻央さんは東京都出身で、バラエティー番組に出演したり天気情報のキャスターを務めたりなどで活躍しました。

平成22年、歌舞伎俳優の市川海老蔵さんと結婚。
その後は芸能活動を控えて子育てに専念していましたが、去年6月、夫の海老蔵さんが会見で、麻央さんの乳がんと闘病中であることを明らかにしました。
麻央さん自身は去年9月にブログを開設して、闘病生活や家族とのやり取り、日々の心境などを詳しくつづり、大きな反響を呼びました。
そのブログはイギリスの公共放送BBCに取り上げられるほどで、世界規模の影響を与えました。

しかし21日に容態が急変し、22日夜
ついにご自宅で死去されました。34歳でした。

ご冥福をお祈りします。

 


麻央さんはブログによると先月29日に退院し、在宅医療に切り替えていたようです。
これはもしかしたら、もう助からないと判断しての帰宅だったのでしょうか。
二つ前の記事で小林麻央さんについての記事を書いたこともあり、ショックです。


海老蔵さんの会見も、辛いものでした。
言葉にならない声を絞り出すような会見でした。

その一方で、マスコミの執拗なシャッター音。無神経で、無礼失礼と言いたい質問。
そういったものがひどく不愉快な会見でした。
少しでもお涙ちょうだいの話、言葉を引き出そうと、声が詰まる海老蔵さんを質問攻めにする姿のあさましさ。

麻央さんのどんな表情を思いだしますか、みたいに聞いておいて、海老蔵さんが全部だと答えるのです。
ですがそこで質問した記者はそんなこと聞いてないように、「笑顔ですよね?」なんてごり押しするんですよ。
我先にと質問ばかり、なんとか泣ける話を引き出そうとしていてどうにも不快でしたね。


上記題名に使った言葉は、全て海老蔵さんの言葉ですが、本当に重いものです。
子供たちについてまず会見で触れていて、「分かってると思うけど、分かってないところもあると思う」と。
母がなくなったことが理解できない子供たちの様子は、聞いているこちももらい泣きしてしまいます。

「どうすればいいのか、考えても考えても答えが出ないものだったと思う」「心残りだと思う」

麻央さんが子供たちを残していくことについて、どう思いどんなに辛かったか。
海老蔵さんの言葉からでも、子供を残していくことに麻央さんがどれほど苦しんだのかを察するに余りあります。
そして妻を亡くし辛い中で、母の死もよく理解できない年齢の子供たち二人を育てていかなければならない。
海老蔵さんも、何と重いものを託されたのか。



別に私は市川海老蔵さんのファンでも小林麻央さんのファンでもありません。
ですががんという重病に侵され、ついには離別を迎えてしまった家族に、芸能人も一般人もありません。
小林麻央さんは、がんの苦しみの中でもブログで闘病の様子を公開し、他の人を勇気づけるなど、病気と最後まで闘いました。
夫の市川海老蔵さんも、それを傍で支え続けましたが、それも並大抵のことではありません。

共に偉大なことだったと思います。


ですが一方で、これ以上関係のない人間がグダグダと語ることでもありません。
結局そのことで騒ぎたてれば、人の死をネタにして金に換えるマスコミと同類です。
それは嫌ですので、ただご冥福をお祈りするのみとします。

 

お悔やみ申し上げます。

ほむ提督/怒りのブログ更新

ほむ提督/怒りのブログ更新


最近更新が滞っているほむ提督です。
色々やること、やりたいことがあるとついついブログを後回しにしてしまい、時間がなくなります。
ブログも「やること」なんですが、どうしても記事に時間をかけてしまうので後にしてしまうんですよね。
その時間をかけないようにするために、数をこなさなくてはいけないので、できるだけ更新するべきなんですが、わかっているんですがなかなかできない。
そんなことだから上達しないんだぞと言われれば全くその通りなんですが。


そんなほむ提督でも唐突に更新したくなる時があります。
それが今回のような、何らかのエネルギーが強烈に生まれたときです。
今回は見ての通り怒りです。怒りを原動力にするとただの愚痴みたいになるのですが、かなりの熱量を持つ感情ですので書く勢いはつきます。

ではさっそく本題に入りたいと思います。

 

 

ものの言い方、聞き方



私は現状ほぼただのニートです。
犯罪を犯し捕まったら、名前の前に無職とつくのではないでしょうか。
一応ライターとして仕事もしていますが、新人、ど素人なので仕事をもらう以前の段階です。
シナリオを書いて応募したりとかしていますが、成果はまだまだ出ていません。
ちょっとしたブログなどの記事を書いてお小遣いを稼いでいる程度ですから、自称フリーライターと名乗れるかも怪しいところです。


そんな状態ですから、世間的に見て自分がまずい状態であることはわかっています。
ですが一方でこういう世界を一度自分で選んだ以上、最初の内はマイナスの一方だろうというのもわかっていました。
そもそもライターとしての勉強を実践、研究を繰り返して学んでいる段階ですから、すぐに仕事を受けられなくて当然です。
この世界一本で食っていくのか、とか悩みを感じているくらいです。


ただ、私は複数のことができないタイプなのです。
「バイトとかしながらやったら」とか言われますし自分でも思いましたが、バイトしたらバイトを無難にこなすためだけに一日の活力を使いきります。
まずそんな器用なことができていたら、学生の間に色々やっていたでしょうし、結末がわかりきっています。
また内向性でも書きましたが、内向的極まる人間ですので、外出して何かをすることにかかる労力やストレスが多数一般の方々よりはるかに多いのです。
一、二時間外出すると特に何もしていなくても、頭が重くなり発熱に似た状態になり、とてもそこから何かを頑張ろうという体調ではなくなります。


頭ではそういった事情を理解していても、「現状、世間から見ればただのニートだぞ」ということに焦りや不安もあります。
それでも親には何とか意見を聞いてもらえ、こうしてニートまがいの生活をしているのです。だから甘えといえばそうなのでしょう。そう言われれば何も言えません。言いたいことは色々ありますが。
ですがそれでも


ものには言い方というものがある


と思いませんか。


「今どれだけ稼いでるんだ? 稼げてるか? ん?」


うるさい、と思ってはいけないのでしょうか。

私がまだニートらしきことを始めて二か月たったあたりです。
不安や焦りもありつつ、それと付き合いながらやっていかねばと思っている所にこれですよ。

親に話をした際に、結果が出るまで一年は短くてもかかるといった話をして、そのうえで了解も得ました。
どうしてもしばらくかかるけど、初めてやりたいことをやるので、お願いだから黙って見守ってくれと。

ところがこれです。

あなたの一年は二か月なんですか、と。見守るというのは、すぐに成果が出ないとわかっているのに、あえて駄目だと言わせることですかと。
しかも真面目に聞かれるならともかく、酒を飲んで酔っ払い、へらへら笑いながら言われたら腹も立ちます。
挙句に「心配だったから」聞いてみたようで。


どこが心配しているんですかね。
どう聞いても煽っているだけでしょう。


一方で自分が不安に思うあまり、過敏に反応しすぎたかなとも思います。
実際しばらくはこの不安や焦りとうまく付き合っていかなければならないのですから、こんなことで一々爆発していてはいけません。
とはいえやっぱり、少しくらい察してくれと思うのは甘えでしょうか。
へらへら毎日遊んでいたわけでもないのに、将来のことも考えられない馬鹿だとでも思われているのでしょうか。


「今どんなことをしているのか気になったから」らしいですが、だったらそう聞けばいいんですよ。
稼げていないことに負い目や焦りがあって当然の相手に、「稼げてんのか?」とか笑って聞くことのどこにそんな意味があるんですかね。
「今どんなことしているんだ」と聞かれるなら、こちらも普通に答えられるのに、なんでわざわざ煽るような聞き方をするんでしょうか。



答え:無神経だから。


これにつきるんですよね。
ほむ提督はいわゆるアダルトチルドレンに分類されます。これは機能不全家庭で育ったことで、成人してもなお心にトラウマや生きにくさを抱えている人のことです。
その機能不全家庭を作る親が、子供に悪影響を与える親、「毒親」です。こういう無神経さもその毒の一つです。
相手が自分の子供だから、自分が優位だからこその無神経です。相手が他人であれば、そのくらいは多少気を回すでしょう。
親しき仲にも礼儀ありといえば、まあそう言うことでもあります。

 

まあこの程度の無神経さはどこの家庭の親も持ち合わせているかもしれません。
ほむ提督はいわゆる一般的な親や親子関係がわからないので何とも言えません。

今回のことで、そこまで反応しなくてもと思う人はきっといい親子関係を築けているのではないでしょうか。
何故か。それはこの件の問題が、親しき仲にも礼儀ありという話だけでは済まないからです。お金、ひいては生活や人生に関わるものであり、親子の絶対的関係に関わる話なのです。


親子の関係はどうしても絶対的な上下になります。親に出てけと言われれば、子は従うしかないのです。
まして私は今、親に甘えているという立場です。ほぼ無職ですから。
そこで成果がない、稼げていないと言わされる恐怖。想像できるでしょうか。
稼げてないならやめろ、やめて働くか家からでて行って一人でやれ。
そう言われてしまえばもうおしまいなのです。

そんなこと親が言わないと思える人は、正常で、幸せです。
私は全くそうは思えません。私はお年玉だとかをほとんど使わず貯めてきましたが、それはいざ出てけと言われた時のためです。
もしくは私が耐えられなくなり、家出をする時の資金にしようと思っていました。


親は自分を追い出したりしない、自分の味方になってくれる。
そんな親への無条件の信頼が、私にはありません。
親に愛されていると感じたこともなく、思ってもいませんでした。
私の意見は無視される以前に聞かれることもなく、親が決めたならそれに従うのが当然という家庭でした。

逆らうなら家からでていけ、と平気で言われてきました。そんな子はいらない、家に置いておかないと。
そんな風に育てられ、親が意見を翻して私を追い出さないとどうして思えるでしょう。

だからこそ、成果を問われると過剰に反応してしまうのです。
それに私が何か聞かれるのは、いつも良い成果を求めてのことです。試験の結果、進学先等々、親の期待に沿う良い答えを常に求められました。
そんな相手に成果がないと告げなくてはならないのです。事前にそのことはわかってもらったはずと思っても、恐ろしいことです。



こうして書くうちに頭の中が整理できましたが、アダルトチルドレンの生きづらさというものを実感します。

結局は親子関係や家庭の歪みが尾を引いて、人生のあらゆる場面で潜在的障害となっているのです。
愛されなかったゆえの自己否定感や、自己肯定感の低さ。要は自分自身すら自分を愛せない、信じられないのです。
また家や食事などを取り上げるぞ、などと脅しで支配されてきたため自分を抑圧して育ってきてしまいました。
そのためいつも無気力、無感動で、無力感や諦念に襲われています。また自己主張や感情表現も苦手です。
いつも親の望む結果を出すことを求められ、できないとひどく罵倒されてきたため、完璧主義者です。
失敗がひどく怖く、ゲームでうっかりミスしただけで、いてもたってもいられなくなるほど落ち着かなくなります。



こういうものが積み重なって、生きづらいという言葉に集約されるのでしょう。

本当に、生きづらいです。

 

私が親を愛するように、親にも私を愛してほしい

 


怒りから醒めて、いっそ悲しくなってきたほむ提督でした。

小林麻央さん闘病に七転八倒~ガン治療とQOL~

小林麻央さん闘病に七転八倒~ガン治療とQOL


お久しぶりです。ほむ提督です。
近頃忙しく、ブログの更新も止まっておりました。

ブログはあくまで好きでやっていること、つまりやってもやらなくてもいいものです。そう思っていると、どうしても空いた時間には休憩や娯楽を優先してしまいます。
ですが一応このブログは生業にしたいと目下鋭意努力中の物書きの練習でもあります。
それを思えば、本来は毎日更新して然るべきなんですよね。
それはわかっている、いるのになかなか手をつけられない。夏休みの宿題めいて困難な問題です。ほむ提督は結局学生の間、この夏休み宿題病を克服できませんでした。今もです。

習慣づけることによって継続する、という方法がよく聞かれます。
ですが私は習慣とかすごく嫌いなタイプというか、あれをしなければと決められるのがすごく嫌いです。
毎日朝起きてから自分の一日の予定を決めるくらいが好きです。なんというか自由でいたいのです。

普段の生活はむしろ毎日決まった動きを繰り返す派なんですけどね。
毎日決まった時間に起き、決まった時間に家を出て、同じ道を通り同じ位置で電車に乗る。そんな風に自分で決めたルーチンを繰り返すのが好きですし、それを崩されると尋常ではなく不快でブチ切れます。

発達障害の人は、自分で決めたルーチンを乱されるのをひどく嫌うらしいですが、自分もその辺は当てはまるなと思います。
自分でもちょっとおかしいぞ、と思うほど腹が立ち制御不能な怒りが高圧となり、肉の裡で膨れ上がったりします。
ひどく熱いものが、腹の奥から沸きあがってくる。


あひゃららららら


たまらず、叫んだ。
身体の内に眠る獣が、解き放たれようとしていた。

いいから更新だ!

獣は、ゴリラであった。

いいから更新。

そういうことになった。

 

 

そういうことになったので、今回は小林麻央さんのがん闘病のニュースをきっかけに、QOL(クオリティー・オブ・ライフ)について少し考えたいです。

QOLとは、そのまま人の人生の質や社会的にみた生活の質のことです。
生活の質のことではありますが、概ねその質の向上を目指す意味合いで使われています。QOLを意識して、という使い方をされますがそれは「生活の質を意識して、それを向上させることを念頭に置いて」という意味です。

割と最近、と言っても年を取ってきたので最近の幅が十年くらいになっているのですが、最近一般にまで一定の浸透をしてきた概念です。
この質とは身体的なものだけでなく精神的なもの、ひいてはその原因となる事柄にまで及びます。生活の豊かさや充実に加え、自己実現などの精神的充足も含めて広く「人生の質」を示す概念と言えます。

このように広義の概念であるため、政治や経済のみならず医療や労働など幅広い分野で使われています。

今回取り上げるのはその中でも特に医療についてです。
そのきっかけが上記で挙げたように、小林麻央さんのがん闘病のニュースです。

がん治療は近年目覚ましい進歩を続けており、今や不治の病ではなくなりました。
しかしその治療といえど未だ確実ではなく、また治療期間も長期にわたってしまいます。そこで問題となるのがこのQOLの問題です。


長期における治療、その負担は多くの面で人生の質の悪化に繋がります。
まずは当然身体の痛みです。がん治療は大抵抗がん剤による治療が行われますが、それは身体的な苦痛が多く伴うものです。
この痛みに耐えかねて治療の打ち切り、安楽死を望む患者もいるというほどですから想像を絶するものなのでしょう。
抗がん剤は強力な効果を持ちますが、それは同時に毒であるとも言え身体への負担を見ながら品を変えて投薬することになります。それもあり抗がん剤治療は長期にわたるのですが、その期間は1サイクル1から3週間でそれを二回三回、と繰り返していきます。

効果が出るのか、治るのかという恐怖や不安に加え薬により痛みを受けながらですから、この時点で大変つらいことです。

身体の痛みは当然精神的な苦痛にもなります。
夜も痛みで目が覚めるということも珍しくないそうですし、おまけに入院しての治療が主ですので、一人で苦痛に耐えねばならないのです。それもまた精神的な負担となります。そして夜も眠れない、痛みが続くとあれば寝不足になり疲労も貯まっていきます。疲労は精神にも悪影響を与えます。

最近は通院での治療や、副作用を取り除く治療なども増えてきたそうです。しかしそれらもいつ体調が急変するかなどの不安は絶えません。
抗がん剤の副作用は痛みのみではなく、髪が抜けるなどもよくあげられます。
これもまた精神的ダメージが大きいようで、目に見えて髪が抜け落ちていくことへの恐怖や髪の抜けた自分の姿にストレスを感じるようです。
さらに貧血や嘔吐、発熱に下痢に口内炎の頻発、やがては手足のしびれにまで至ることもあります。

明らかに病気の症状ですが、これが治療のための副作用なのです。
そのようなものに常に悩まされるため、当然患者の精神状態は悪化の一途をたどります。


このように多くの身体、精神的な苦痛を長期にわたり伴うのががん治療です。
ですがそれに耐えかねて死を選んだり、その後も生きる気力を使い果たして抜け殻のようになってしまっては、治療の意味がありません。


そこで意識され始めたのがQOLの考え方です。
ただ病気が治ればよいというのではなく、治療期間も患者の人生と考え、その充実も意識するよう心掛ける。その例が副作用の抑制であったり、外来での治療であったりという治療方法の変更です。

生きてるだけでラッキーだよ、だったこれまでより、更に一歩先へ行こうとする試みともいえます。その中には当然、患者本人のみならずその周辺の人間についても配慮が及びます。
患者を支える家族の精神的、経済的負担なども考慮する必要があるということです。


例えば今回の小林麻央さんの件では、マスコミのあまりの対応に批判が出ています。
命に関わる病気の闘病中であるにもかかわらず、その周辺や実家への張り込みや盗撮などが行われていたというのです。
あげくそれをやめるようお願いした市川海老蔵氏に対し、脅しとも取れる記事が掲載されたのです。
いわく


取材を自粛もしくは切り上げる条件として、私たち現場の取材者は海老蔵氏にこんなことを申し出るだろう。であれば、今後はご子息の襲名・ご披露に関する取材および舞台・公演の宣伝を自粛させてもらいます

とのことです。

辞めさせるなら、今後一切宣伝なんかはしないしさせないぞというわけです。
自分の闘病のために、夫や息子にこのような脅しをかけられた小林麻央さんの精神的負担は察するに余りあります。
病は気からと言いますが、苦しい闘病生活に加えてこのような仕打ちを受けていれば治るものも治りません。

こういったことがないようにするのも、治療の一環と考えるのが現在のQOLを踏まえた医療なのです。なおそれを医者や病院がするかは別の話です。仕組み作りなどは政治の範疇ですし。
さらに患者の治療費や入院費用などの諸経費、挙句に遺産など経済的な話なども考慮に入れなければなりません。
そういった諸々の事情も含め、治療期間も人生の一部としてより良いものにしていこう、というのが医療におけるQOLの考えなのです。



その点今回の小林麻央さんについてのマスコミについては、残念の一言に尽きます。
一般にも概念が浸透し始め、教科書にも載るようなことに真っ向から反することを行ったわけです。
マスコミではなく一般人であるなら、闘病中の患者周辺に押し掛け、あまつさえ脅しをかけるなど言語道断だとわかるはずです。
ですがマスコミは平気で行い、会見で自粛を要請されたにもかかわらず、なおも続けています。
知る権利、報道の自由などと言うお題目を掲げれば、そのような無法も通るとでも思っているのでしょうか。

近頃のマスコミの在り様には、疑念を抱かざるを得ません。

 


ほむ提督でした。

親に「親」をやってほしかった

子供には子供の言い分だってあるんだ!


継続するのが相変らず難しいほむ提督です。
やらなければ、と思うことはもうその時点であまり継続しませんよね。
やりたいと思っているうちは続くのですが、いつの間にかやらなければになっているという不思議。
やりたくなくてもやらなければいけないことは、だからいつも辛くて面倒なんですよね。やりたいわけではない、という感情がどこかにあるんですよ。
子供の頃毎日宿題やるとか、大人になっても仕事のため毎日英語の勉強するとか。健康のために毎日運動するとか、食事制限とか何でもです。

社会人になれば勉強をしなくていいと思う子供は多いかもしれません。
ですが大人になればなるほど時間は減るのに、学ばなくてはいけないことも何処からか湧いてきます。勉強しているだけで済むって言うことはありがたいことだったのだ、と今になり思い知らされています。
ただ子供の時より意味があるといえば語弊がありますが、どうして学ぶのか目的が明白であるといえます。

ただどちらにせよ、人は死ぬまで何かを学び続ける生き物なのだということでしょう。

生きているということは知ること


なんですね。


もっとも、子供は子供でその時特有の悩みや感じ方があるので、一概に子供の方が楽とは言えません。
アダルトチルドレンも何も関係なく、子供として親というか大人に言いたいことの一つです。

大人の立場と感覚で子供のことを考えるのは間違いです。


子供の時は自分達も大人に向かって腹を立てたり、理解してもらえず辛かったくせに、大人になるとみんな忘れてしまうんですよね。
色々なことを悩み、考えて大きくなってきたはずなのに、大人になると子供は楽でいい、子供の考えなんかたかが知れていると言いだす。
子供はかつてあなたがそうだったように、拙くともあなたが思うよりもずっと色々なことを考えて生きています。


ここからは大人というより親にと言えることですが

子供は他人


であるということを忘れないでほしいです。
他人というのは関係のない人という意味ではなく、あなたではなくあなたの付属品でも所有物でもないということです。

子供には子供の考えや予定や気持ちが存在します。
子供の考えなんて浅はかだという人もいますが、浅はかであってもそれをないがしろにする言い訳にはなりません。
この方が良い、これが子供のためだと思っても頭から子供の意見を無視し、否定するべきではありません。

子供は一つの人格を持った存在であり、別個の人間です。
あなたがいきなり、一方的に物事を決められたらどう思うでしょう。自分の意見など一顧だにせず、そもそも聞かれもせずに自分に関係することが決められていく。
不快感を覚えるのではないでしょうか。私にだって考えがある、私にも予定が、私はこうしたいのに。
そんな風に不満に思うのではないですか。

子供も同じですよ。


子供の言い分だってあるんだ!


私はガンダム宇宙世紀派なんですが、それでもガンダムXはすごく好きです。
地味だの不人気だの打ち切りだの言われますが、好きなものは好きなんです。
本来毎回使ったりして話を盛り上げる必殺技を、あえて「使わない」ことに重きを置くというのはなかなかできないと思います。
あと序盤でさらりと言われてますが、戦争前の100分の1まで人口が下がっているという重い世界観も好きです。
そんな中で生きてきたから、好青年に見える主人公も銃を向けられたら反射的に撃ってしまうとか。それだけ荒れた世界なのだと示していますよね。
こういった登場人物に血が通ったというか、細かい設定や動きが地に足がついた感じでいいのです。


それはともかく、その作品の中で好きな言葉があります。
主人公の仲間の中でも一番年長の医者の台詞です。


大切に思うのと、大切にするというのは似ているようで違う


というセリフです。一言一句合っているかはわかりませんが。

これはとても大事なことだと思います。
親と子供に限定することなく、全ての人間関係にも言えることですね。
大切に思い、そのために何かをする。それ自体はいいことです。
しかしそれで相手を大切にできているでしょうか。

あなたが大切に思っていても、伝わらないものは意味がないのです。
独りよがりの善意は時に悪意よりもたちが悪いものです。
自分は正しい、あなたのためにという思いがあるので、相手が嫌がっても気にしません。むしろどうしてわかってくれないの、と相手を非難するに至ることもあります。

相手のことなのに、何故自分の考えだけが正しいと思えるのか、コレガワカラナイ


感情にせよ考えにせよ、相手がいることは何でも相手に伝わらないと意味がないのです。大切に思っていようと、相手が大切にされていると思えなくては相手はそう感じません。
心を傷つけられて育ってきたアダルトチルドレンや引きこもり、ニートの人の親はこの辺が大概理解できていません。
子供はひどく傷つき、苦しみながら育ってきたのに、「あんなに大切に育ててきたのに」と本気で思っています。

今になってようやくわかった。なんでお母さんが私にああしてくれたか……。
そんなドラマみたいな話を期待しているのならやめてください。迷惑です。
わかってもらえるのなら、後と言わずその時わかってもらうのが一番です。
わかってもらえずとも、わかってもらいたい。何故ならこの方があなたのためだと思うから、つまり「あなたが大切だから」。
そんな気持ちが伝わればそれだけでも十分意味はあるのではないでしょうか。

考えまでもは理解されなくても、ともかく相手を大事に思っている、そのことだけでも伝われば意味はあるはずです。
完全に理解は得られなくても、そう思う気持ちがあなたにあることが相手に伝わる努力をするべきでしょう。


だからといって相手の意思を無視してはいけませんが。
あなたのためだからと一方的に押し付けることが、本当に相手を大切に、尊重しているといえますか。

相手は人格を持つれっきとした個人なのです。たとえ自分の子供でもです。

大切に思うからこうしなさいと言っているの、ではなく大切にするためにどうするかを考えてみるべきではないでしょうか。
難しいことかもしれませんが、もとより親になり人ひとりを立派に育て上げるとは簡単なはずがないのです。
本来仕事と一緒にすることではないと思います。


かつての子供は天からの授かりもの、という考えはいい考えだと思います。
今は産み分けやら妊娠日の調整やらで自分の好きなタイミングとか考えて産めてしまいます。だから子供は自分のもの、みたいな意識になってしまっている節があるのではないでしょうか。
子供は理想の家族生活、理想の奥さんお嫁さん像を叶えるための付属品ではありません。人格を持つ親の理想通りにはならない個人なのです。

親の方々には、いつでもそのことを忘れないように心がけていただきたいものです。

当日になっていきなり、「今日は出掛けるぞ」なんて言ってませんか。
些細な所からほころびが出てくるものですよ。子供に予定はない、子供は親が出掛けるといえばついてくるもの。そういう意識がどこかにあったりしませんか。

 

 

 

 

久しぶりに更新したと思ったら、また重い話になりました。
おかしい、こんなはずでは……。
本当はもっと軽めの話を書こうと思っていたのですが、変ですね。
題名も途中で書き替えましたよ。書いている最中に、これは違う方向に行くなとわかってしまったので。


まあ更新したのでとにかくよし!ということにしておきましょう。
ほむ提督でした。